sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(42)・・・R2.6.20①

              その42

 

 令和2年6月下旬の或る朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールでタイムカードにスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液を溢れんばかりにたっぷりと掌に取り、手指を丸めたり、伸ばしたり、擦り合わせたり、爪の間にも染み込ませようとトントンしたり、ともかく丁寧過ぎるぐらいに消毒する。

 この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、何かもうがいをしておく。

 そんな一定の安心感が得られるまでの儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 習慣的な朝の挨拶を交わした後、もしかしたら蒸し暑くなって来た影響もあるのか? 紫外線が強くなっている効果も大きいのか? 我が国では急速に新型コロナウイルス感染症が収まっていること、全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請、更に都道府県をまたぐ移動の自粛も解除されている所為で気の緩みが出始めたのか? 福岡県、大阪府、神奈川県、東京都、北海道等と、広範囲に亙ってまだ新たな感染者が無視出来ない数出ていること、大阪でも難波、梅田、天王寺、京橋等の繁華街で人波は確実に増えて来ていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えたこと等、ひと通り世間話をし、それから慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろに年季の入った256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して「神の手」にそっと挿し込み、休みの間に家でまた書き進めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない?」の一部を取り出して、見直しながら加筆修正を始める。

 ファンドさんの気持ちは既に投資情報に移っており、またスマホの液晶画面を観てはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          明けない夜はない?

            その8

 平成60年4月、青木健吾は母校である北河内高校の臨時雇いの教師になった。正式には常勤講師と言うそうであるが、父親の新吉に報告した時にあっさりと、

「嗚呼、臨時雇いの教師やなあ・・・」

 と簡単に片付けられたので、自分でもその言い方が何となく気に入っている。比べると常勤講師と言う表現は変に恰好を付けているような気がした。多少の自虐も入っているのかも知れないが、どうせ採用試験では1次も通らなかったのであるから、反省の意味も込めて臨時雇いで十分だとも思っていた。

 日中戦争、太平洋戦争と通算で6年にも亙って大陸での戦争を体験して来た新吉は、戦争前、高等小学校出の自分に飽き足らず、ハワイへの移民を夢見て早稲田の講義録を取り寄せ、英語の勉強をしたり、今は工科高校と呼ばれている近所の職業学校の夜学へ行こうとしたり、幾つかのチャレンジを試みたそうだ。戦争でそれら全ての努力が無駄になり、復員してから伝手を頼って務め始めた中堅の機械工場でも先行きが見えない気がして直ぐに辞めてしまって、結局職人で終わったから、息子の健吾には掛けるものがあったのだろう。大学を何とか出ただけではまだまだもの足りない様子であった。

 兵庫県で生まれた母親の由美子には、子どもの頃に亡くなった母親、したがって健吾にとっては祖母の鈴子の印象が強く残っている。鈴子は学生の頃に県から表彰されるぐらい成績が優秀で、女子師範に進んで教師になったそうであるが、道着姿でなぎなたを持っている凛とした様子の写真が残っており、その後の経済的な事情でやはり高等小学校までしか進めなかった由美子は自分に対して強いコンプレックスを持っていた。そして当然のように、自分から観れば恵まれた環境にある健吾に期待するものは大きく、もどかしく、飽き足りないものを感じていた。

 健吾にすればそんなことよりも、何となく気が合い、近所の市立図書館、そしてファミレスで一緒に勉強するようになっていた女子高生、中野昭江が通う北河内高校に取り敢えずは勤められることになっただけでも十分であった。

 当時の北河内高校は学区でトップの進学校になり、自分が通っていた頃とは大分様子が変わって来たので、そこだけは健吾にちょっと緊張するものがあったが、元々高校生の頃は理科でずっとトップクラスの成績を収めており、受験関係の出版社、若草教育出版で大学受験対策用の教材を編集していた経験が更に高校理科レベルへの自信を高めていたから、内容的な不安は殆んどなかった。不安があるとすれば、生徒に対する学習指導よりも保護者の期待の大きさ故の要求する声の大きさにあった。それに強い人見知りが加わり、勤めることが決まってから始まるまでの1か月ほどが何だか長かった。

 それを幾らか和らげてくれたのがクラブ活動の指導であった。

 春休み中に転出して行く教諭、田代基樹と打ち合わせした時のことである。その時に田代から自分が引き受けていた女子バスケットボール部を出来れば引き受けて欲しいと頼まれた。直ぐに健吾は、以前に何度か昭江から女子バスケットボール部に入っていると聞いていたことを思い出し、緊張しながらも、迷わずに引き受けたのであった。

 そして引き受けた途端に練習試合の付き添いがあった。

《まだ部員の皆に紹介もされてないのに・・・》

 そう思わないでもなかったが、ただ待っているだけよりは気分が晴れる。それも、若草教育出版における上司、柳沢富雄によると、世の男性にとって憧れの女子高生たちの相手であるから、余計にそんな気がしていた。

 付き添ってみると、想像していた以上に伸びやかで素直そうな部員たち。黄色い声。躍動する姿態。健吾はすっかり魅入ってしまった。

 暫らくすると当初のそんな邪念はすっかり消え去り、完全な素人である健吾にも、昭江がまあまあのパフォーマンスを見せながら、決してエースではないことがはっきりと分かって来た。ここは出るべきところ、攻め込むべきところと思う場面で昭江は決まって身を引き始め、仲間にボールを回していた。或いは相手に奪い取られそうになると直ぐにボールをコートの外に出していた。それはもどかしいほどであったが、試合が進むに連れて健吾は、時折昭江が自分の方をじっと見詰めていることに気付いた。

《どうやら俺の応援か、承認でも求めているらしいなあ?》

 本当にそうなのかどうなのかは分からず、単なる思い込みかも知れなかったが、じっと見詰め返して頷いてやると、昭江はにこっとし、エンジンが掛ったように、俄かに攻め込み始めた。

「好いぞぉ~。よし、行けぇ~!」

 次第に健吾は恥ずかしさを忘れて大きな声を出していた。それが試合会場では何の違和感も無かったようである。

 その声が聞こえたのか? すっかり元気を取り戻した昭江は何人かを軽やかに交わし、鮮やかにレイアップシュートを決めていた。

 その後も全体的に体格の好い北河内高校は優勢に試合を進め、結局78対42と大きな差を付けて勝負をものにしていた。

 それは勿論嬉しかったのであるが、試合終了後直ぐに健吾の周りに部員が集まって来たのには慌ててしまった。澄み切って真摯な視線が集中して、

「青木先生、お願いしま~すぅ!」

 声を揃えてそう言われたが、一瞬何のことか分からない。試合直後の緊張を残した強めの視線も、汗でぴったり張り付いたタイトなユニフォーム姿も眩しくて仕方が無い。

 我に返った健吾が視線を泳がせ、おどおどしていると、それを見た部員たちは漸く緊張が解けて来たのか? 互いに顔を見合わせ、ほくそ笑み始めた。

 隣にいて可哀そうに思えて来た昭江が肘で軽くつつき、小さな声で、

「青木先生、試合の講評をお願いします・・・」

 と助け船を出す。

 昭江も人見知りで視線恐怖症気味であったから、意識的に、大勢がいるところでは健吾の正面に立たなかった。それが幸いしたようである。

 それでも健吾は何を言って好いか分からなかったが、取り敢えず口を開く。その辺り、早くも教師としての自覚が生まれ始めていた!?

「お疲れ様でした!」

 それを聴いた部員は反射的に、声を揃えて更に大きな声で、

「お疲れ様でした!!」

 暫らく考えて健吾は、よく分からないながら取り敢えず褒めておくことにした。

「あ~あっ、まあその~、先ずは勝てて好かった。フゥーッ。攻める気持ちが見えたから、ともかく好かった・・・」

 彼方此方からくすくす笑う声が聞こえ、健吾も漸く力が抜けて来たようだ。

 その後、何を言ったのか? それ以上は殆んど言わなかったのか? 帰りの電車では何も思い出せなかったが、それでも部員達は好かったようである。顧問が中年の男性教師からまあまあ若い男性教師に変わったことを素直に喜んでいる様子であった。

 

        JKの黄色い声にときめいて
        勤めることを喜ぶのかも

 

 その辺りまでを見直しながら加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせてここで置くことにした。

《これ以上続けると気持ちが持って行かれてしまうから、仕事にならへん・・・》

 そんなことを思いながら「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみとしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はまだ恥ずかしさも少し残っていたが、ちょっとは軌道に乗り始め、この話に付いては多少の自信も出始めているので、「神の手」を再び開き、メルカリさんの方にその液晶画面をおもむろに向けて、

「ふぅーっ」

 ひと息吐いて気持ちを落ち着けながら静かに問いかける。

「どう、これぇ? ほら、この前もちょっと見てもろた書き掛けの小説みたいなもんの続きなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けてると思うんやけどなあ・・・」

「そう言うたらこれ、確かブログさんの若い頃らしい主人公がヒロインからバレンタインのチョコレートを貰い、それからヒロインが通う高校の常勤講師をすることに決まったんでしたねえ!? あの後どうなるのか? ちょっと気になってたんですわぁ~。それにしてもブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 気の好いメルカリさんは半分呆れ、半分感心しながら、さっと目を走らせる。

「どれどれ・・・」

 そして興味津々と言った様子で目を輝かせ、

「おっブログさん、高校に勤めるだけやのうて、女子バスケットボール部の顧問までしてはったんですかぁ~!? そりゃ目の毒ですねぇ! フフフッ」

「何言うんやぁ!? 青春の爽やかな思い出をそんな風に中年オヤジっぽく言わんといて欲しいわぁ~。それに、これは単なる創作なんやねんからなあ・・・」

 そう言いながら慎二はちらっと事務を担当している若い依田絵美里に目を走らせる。

 その微妙な視線に気付いたのか? 絵美里はサッと視線を逸らした。

 かどうかは分からないが、少なくとも慎二にはそんな風に思えた。

 そんな様子が可笑しかったのか? メルカリさんはもう何も言わず、ほくそ笑みながら立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。

 そこに絵美里がお茶を持って来て慎二の机の上にそっと置き、「神の手」の液晶画面に目を走らせて、

「藤沢さん、高校の先生もやってはったんですねえ。私の高校時代もこんな感じのこと、あったように思います」

 そう言いながら、ちょっと遠い目になっている。

《ふぅ~ん、依田さんにも気になる先生おったんかぁ~?》

 慎二は何げなく訊いてみたかったが、絶対に何気なくなんかならないと思われたので、ただ黙って気弱な笑いを浮かべていた。そしてもう、この話がかなりの部分で創作であると言っておくことも忘れていた。

 それで好かったようで、絵美里は微笑みながら静かに遠ざかった。

 

        それぞれに胸熱くする青春の
        思い出偲びまた歩き出し