sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

癒しの泉!?(チヂモン奇譚第2弾)(1)・・・R2.4.8③

               その1

 

 山野周作はちょっと長い休みが取れると、決まって独り、名もない泉を求めて旅していた。

 勤めている福祉施設の発表会で以前上演された劇に、そこの水を飲めば若返るという泉が出て来た。それにいたく感銘を受け、ひょっとしたらそんな不思議な泉が人知れずどこかに眠っているかも知れない!? と秘かに期待しているのである。 

 それでも初めの頃は、大人気ない話だ、科学の著しく発達したこの時代にそんなことがあるわけがない!? と思わなくもなかったのであるが、否定すれば否定するほど、果たして本当にそうなのかなあ? この世には人知では計り知れない超常現象など幾らでもあるというではないか!? と心にささやき掛ける声が強くなって来た。

 それならば、旅行がてら不思議な現象を見せてくれる泉を探してみよう、見付かれば儲けものだし、見付からなくてものんびりと景色の好いところを旅行出来るのだから十分ではないか!? と自分を納得させ、時間とお金の余裕を搾り出しては鄙びた土地に向かうのであった。

 

 その隠れ里のような村は奈良県の南部、天川を越えて山奥に向かい、バス停から大分歩いたところにあった。

 ふぅ~ん、こんなところにも人が住んでいるんだなあ。

 地図を確かめてみても、それらしきところには何の表示もない。

 うん? 何だか不思議だなあ。見たところ、どうと言うことはない村のようだけど、これは何かありそうだ!?

 そんな予感がした周作は、ふと腕時計を見ると、正午前であった。ちょうど前から歩いて来た、昼食を摂りに帰るらしい年老いた農夫に聞いてみた。

「あのぅ~、すみません。この辺りに、不思議な現象を見せてくれる場所はありませんかぁ~? たとえば、飲めば不思議な体験が出来る水が湧き出す泉とか・・・」

 今まではいきなりこんなことを訊ねると、弱気な笑顔を残して逃げられるか、顔を背けて無視されるか、見下した顔になって馬鹿にされるか。まあ、まともには相手にして貰えなかった。

 でも、元々自分でも確信のない怪しげなことを聞いているわけであるから、どう言われようと、周作はもう気にならなくなっていた。

 しかし、このときの農夫は違った。ちょっと微妙な表情をしながらも、暫らく考えた後、おもむろに口を開いた。

「うん、そうじゃなあ・・・。あるにはあるが、どうしても行ってみたいのかぁ~?」

「ええ。あるんなら行ってみたいですぅ! それで、どんな泉ですかぁ~?」

「そうじゃなあ。見たところごく普通の泉じゃが、あそこから戻って来た奴は何だか幸せそうな顔をしておるなあ。全ての憂さを忘れたような顔になって戻って来よる。ほんでなあ、何があったか聞いてみても、よく覚えておらんのじゃ・・・。どうじゃ、それでも行ってみたいかぁ~?」

「はい、勿論ですぅ!」

 いよいよ不思議な気がして来て、周作は迷わず答えていた。

「分かったぁ~。 それでは教えてやろう。お前さん、こんなところに独りで来るぐらいじゃから、地図はもっておるじゃろぅ~?」

「ええ」

 農夫は周作が取り出した地図に迷わず道を描き込み、何もないはずのところに○を付けた。

「まあこの辺りじゃなあ・・・。ごく小さな泉じゃが、確か番人もいるはずだし、行けば分かるよぉ」

 農夫に教えられた通りに獣道のような山道を歩いて行くと、日が大分傾いた頃、それらしい泉とそのほとりに建つ掘っ立て小屋が見えて来た。

 よく見れば小屋から出ている煙突からは煙が細く立ち上っているし、近付くと微かに人の気配がする。

 村の農夫が言っていた泉の番人だろうか? それにしても、よくこんなところに住めるものだ。

 周作は勇気を出して声を掛けてみた。

「すみません! 誰かいらっしゃいますかぁ~?」

 小屋の中からごそごそという音がし、話し合う声が小さく聞こえてから暫らくして、上品そうな老人と若くて美しい女性が出て来た。

 どちらも一見、こんな自然の中で暮らすのに似つかわしくない上品さとひ弱さが感じられる。老人はともかく、こんな華奢な娘さんがよく住めるものだ。

「はい、どなたですかなぁ?」

 老人の声は思ったより高く、それがぼぉーっとし掛けていた周作の神経を覚醒させた。

「すみません! 私は山野周作と申します。下の村で、不思議な水が湧き出す泉のことを聞いたものですから登って来たのですがぁ、この泉がそうですかぁ~?」

「そうですかぁ? そう聞いて来たのですかぁ~? 確かにそうですよぉ!」

 女性が老人の服の裾を軽く引っ張り、そんなに簡単に教えていいのかという表情をする。

「いいのじゃよぉ。あっ、申し遅れました。私はこの泉の番人みたいなもので、明珍忠助です。此方は娘の麒麟です」

 ちょっと不思議な名前である。周作には、それがかえってこの場所に合っているように思われた。

「変な名前のように思われますかぁ? どうやらご先祖様が中国からやって来たらしいと聞いたことがありますぅ」
「嗚呼、そうなんですかぁ~」

「まあそれはともかく、遠いところわざわざ訪ねて下さって有り難う御座いますぅ。むさ苦しいところですが、どうぞぉ~。さあ、どうぞぉ、どうぞ中へ」

 と招き入れられた小屋の中は意外とすっきりとしていた。

 囲炉裏の側の席に座らされた周作は、忠助、麒麟から山の幸、川の幸、地酒で持て成され、すっかりいい気分になってしまった。

 そして、本来の目的を忘れそうになった頃、周作の前にバカラのグラスに汲んだ澄んだ水が置かれた。それから忠助が周作の目を見ながら静かに語り出す。

「これがお持ち兼ねの泉の水ですぅ。飲めば辛かったこと、鬱陶しいこと、腹立たしいことなどすっかり忘れられますが、楽しいかったことも多少は忘れるかも知れない。だから、飲み過ぎてはいけません。何事も加減が大事だということです。それで私たち親娘が村からここの管理を任されておるのですぅ。どうですぅ。飲まれますかぁ~?」

 最後の決断を迫られたわけである。流石に周作は少し間を置き、決然と答えた。

「はい。頂きますぅ!」

 そして一気に飲み干した。

「ふぅ~っ。美味しい・・・」

「直ぐには分かりません。しかし、暫らくの間、毎日これぐらいずつ飲んでおると、知らぬ間にさっき私が言ったようになっているはずですぅ。それまでの間、まあゆっくりなさって下さい」 

 周作はそれから勧められるままに滞在し、泉の水を飲んでいる内に、少しずつ幸せな気分になって来た。言われた通り、何だか今までの辛い思い、鬱陶しい思いが軽くなっているような気がするのである。

 麒麟が、聞いたことには機械的に答えるだけで、緊張しているわけでもなさそうなのに自分から話し掛けて来ないので、それが不思議と言えば不思議であったが、それも老人の厳しい躾と麒麟本人の従順な性格ゆえと考えれば納得出来る。大した不満もなく、周作は今までに覚えがないほど快適な日を過ごしていた。お陰で夜はぐっすり眠れ、夢ひとつ見ない。床に就いたと思ったら、もう朝であった。

 

 そして或る日のこと、丸で生まれ変わったように、楽しい思い出も含めて、すっかり消えていることに気付く。

 でも、もう遅かった。何時の間にか名前、住所、帰り道等、他の必要な記憶も全て失われていた。

「よし、もう村に戻してもいいじゃろう。訊きながらでも帰れるように、基本ソフトを入れておきなさい」

 ほくそ笑みながら忠助が言った相手は麒麟で、もう周作をただの物としか見ていない目であった。

 そう言われた麒麟は黙って床板を跳ね上げ、周作を地下室へと導いた。

 地下室への階段は埃ひとつ落ちておらず、日常的に使われている様子である。そして地下室も清潔で、空調が効いており、湿り気も適度であった。窓がないことを除けば、ここが山の中に掘られた穴の中にあるなどとはとても信じられないほど整った研究室であった。

 周作は実験台の上に寝かされ、頭部にドーム状の、何本もの線が繋がった器具が被せられた。そして麒麟がスイッチを入れると怪しげな音がし始め、周作は何回かのたうった。

 暫らくして表情のなくなった周作は泉から離れ、教えられた通りに山道を下りて元の村に向かった。自分の名前は忘れたままで、何をしていいのかさっぱり分からなかったが、言葉は分かり、教えられた道を歩くことには何の支障もないぐらいに記憶が戻されていた。

 

        山奥の不思議な泉癒されて

        世間の憂さを忘れるのかも