sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

叩けよ、さらば開かれん?・・・R2.3.25①

 佐箕田順平はちょっと古風な名前をからかわれることが多かった。名前だけではなく、カルト的に妙に物知りなことと、一寸、流石、然りとて、相俟って等、文語的な漢字、言葉を好んで使うので、周りの子ども達はどうしてもいじりたくなるのだ。

 と言っても、彼は本や周りの大人たちと親しく付き合っているわけではなく、知識のほとんどはコンピュータゲームを通して得ているのであった。

 分野的には、中国の前漢後漢三国時代、韓国の三韓時代、我が国の戦国時代と、英雄たちの活躍する時代がこの上なく好きで、後はどうでもよかった。だから、学校での試験の点数とはあまり結び付かなかった。

 知識の偏りから分かるように、遊ぶのは歴史物、時代物のゲームソフトが中心で、近現代、未来を舞台にした冒険アクション、ロールプレイング、シューティング等のゲームソフトにはほとんど興味を示さなかった。

 一人っ子で、家には両親の他、父方の祖父母が居たから、小遣いは欲しいだけ貰えた。また会話の中に、歴史や古典の知識が自然と滲み出て来るから、ゲームを制限されることもなかった。

 何時しか順平はゲームが家庭での生活の大半を占めるようになり、食事、入浴、トイレ等、日常生活のルーチン的なこと以外の時間はほとんど各種ゲーム機器、パソコン、AV機器等が揃っている自室にこもるようになった。それでも定期試験はまあまあの成績を収めていたから学習塾に行っておらず、学校には拘束時間以外居たくない方だから、家に居る時間は人一倍長かった。それに、寝床に就く時間が2時より早くなることはなかったから、ゲームに使う時間は平日でも6~8時間、休日は10時間を軽く超えた。

 人間は30分以上同じことをし続けると、脳内に麻薬物質が出始めて、やがて心地好くなり、更に続けたくなるものらしい。そう言う意味では、順平の脳は既に、いわゆるシャブ浸け状態である。事実順平は、授業中、睡眠中等のように、1時間以上ゲームをしていないとき、先ず小指から順に小刻みに震え始め、気が付いたら、両手があたかもゲームパッドを持っているかのように動いていた。

 そんな或る日のこと、順平は気になる女の子に出会った。麻田奈美、名前だけは直ぐに分かったが、後はよく分からない。最近、近所に越し来たらしい。聞いてみても、にこにこ笑っているだけで、あんまりはっきり答えてくれないのだ。

「なあ、奈美ちゃん。僕と同じか、少し下ぐらいやろから、小学校の4年生か5年生。それぐらい教えてくれてもええやろぉ~? それに、何時から学校に行くんやぁ~? なあって!?」

 順平は独りで喋っていた。

 ただ奈美は、何処にでも居るわけではなく、順平が学校に居るとき、家族と居るときには決して現われなかった。

 要するに、順平が独りでいるとき、つまりゲームをしているときと寝ているときを中心に現われるので、普通ならバーチャルと言われる類であるし、順平の部屋から聞こえて来るのは順平の声だけであったから、家族はそんなに気に留めていなかった。

「また独り言を言っているわぁ~。ゲームに熱中すると何時もああだから・・・」

「また寝言を言っているよぉ~。可愛いもんだ・・・」

 ママもパパももう日常になっていた。

 ただ、誰も知らなかったことがある。何かを長時間続ければ脳内に麻薬物質が出る。だからもっと続けたくなる。そこまでならば大抵の人が知っていて、日常感覚とそんなに違和感なく受け入れられるのであるが、本当はその先があるのだ。「求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん」とは新約聖書にあるほど昔から言われて来たことであるが、人がもっと素直な頃には本当にあったからこそ、今の時代まで後生大事に言い伝えられて来たのである。

 順平の場合、それが開かれたり、与えられたりするのではなく、自分から近付くことによって実現した。長い間ゲームをし続けて来たことにより、バーチャルな世界に遊ぶことが日常となり、大概のことには脳が違和感を覚えなくなっていたが、その結果、全て脳内で起こっていると思っていたことが、実は幾らかの気が肉体から滲み出て、外で遊ぶようにもなっていたのだ。

 他の人から見れば、その違いは全く分からない。これまでと同じように、部屋からは順平の声しか聞こえて来ないのであるから、気が身体の中にあるのか? はたまた外にあるのか? 区別の付けようがなかった。

 それでは何故問題になり、ここに登場するようになったのか!? 

 それは或る日、ママが掃除をしようと思って順平の部屋に入って来たときのことであった。順平がボォーッとパソコンの液晶ディスプレーを眺めているところまではよかった。何時ものことであるからそのままやり過ごすところであったが、「ママ」と言う小さな声に振り向いたとき、何とそれがパソコンのスピーカーから聞こえて来る声で、笑いながら手を振っているのはパソコンの液晶ディスプレーの中からであった。

 そしてそこには、恥ずかしそうにほほ笑む華奢な女の子が並んで立っていた。

「彼女、可愛いやろぉ~? 麻田奈美ちゃん、言うねん」

 驚いて順平の方を見ると、相変わらず気が抜けたように座っていた。

 よく見ると、目を開けたまま寝ているのであった。

 でも、本当に寝ているのであろうか?

 ママは薄ら寒いものを感じた。

 何でもはっきりさせないと居られない性質のママは、落ち着いてから順平にやんわり聞いてみることにした。

 夕食時、お腹がほどほどに満たされた頃におもむろにママが口を開いた。

「なあ、順平。さっきのあれ、何ぃ~? 変なパソコンソフトやなあ。可愛い女の子と一緒に、ママに笑いながら手を振って来たでぇ~」

「嗚呼、あのとき・・・」

 順平は少し迷いながら続けた。

「ママやから言うけど、あのとき、本当に僕が手を振っていたんやでぇ~。ゲームの中から・・・。その証拠、言うたら何やけど、僕の身体は気が抜けてたやろぉ~?」

「・・・・・」

 怖くなったママはもう何も言えなかった。

 それだけではなく、気が付いたらママは天井の方から見ており、口を利けなかったのである。順平の場合と違い、ママの場合、求めなくても、怖いものから勝手に離れていたようだ。

 黙って笑いながら見ていたパパがそこでようやく口を開いた。

「フフッ。ママは何時も怖くなったらそうやぁ~。独りでさっと逃げてしまう・・・。そろそろ事実は事実として見なあかんよ。なあ、父さん、母さん。そう思うやろぉ~? フフフッ」

 そう言われても祖父母は返事をせず、冷たい空気が漂うだけであった。

 いや、返事しようがなかったのである。祖父母の席には誰も座っておらず、テーブルには陰膳が出ているだけであった。

 実はもう10年以上も前に祖父母は他界していたが、パパの中では相変わらず直ぐそばにおり、何かあればパパは生前と同様、2人に話し掛けているのである。

 ママは初め怖くて仕方がなく、知らない振りを装っていたが、それもあって、あんまり困ったときママは、肉体から気が離れるようになったのかも知れない。

 何処の家にも秘密はあるものである。余所の家から見れば、佐箕田家は何処にでもある普通の家庭であった。

 

「求めよ、さらば与えられん、叩けよ、さらば開かれん? 父ちゃん、この頃、気がどうたら、こうたらと、変な話ばっかり書いているなあ。どうせ書くんやったら、もっとファンタジックなロマンを書いてえやぁ~」

 妻の晶子であった。笑っているようで、目を笑っていない。

 私が書斎にこもっていると、晶子は心配して時々覘きに来る。そしてそんな風に声を掛け、私を現実の世界に引き戻そうとするのだ。

 でもそれは、晶子にとっての現実の世界であって、私にとっての現実の世界はまた少し違う。こうして頭に浮かんで来たことをパソコンのキーボードを通して表現し、液晶ディスプレーに現われた小話(他人はそれに怪しいと付けたがるが、私にとってはごく普通の世界を物語っている)、それが今の私にとっての現実なのである。

 ただこの頃、新型(豚)インフルエンザの所為で、中々外に出辛くなった。いきおい、書斎にこもることが多くなったので、若干気が停滞しているようだ。小話の世界が多少狭くなって来た。

 これではいけない、と反省し、テレビをつけると、ニュースは世界を駆け巡り始めた。

 それから書いた小話はやけに世界が広がった。知りもしない世界に広がり、それもまた現実感がない。

 無理はいけない。と言うか、無理をしても仕方がないようである。自分のイメージ、スピード感等が付いて行けないほどの世界を、テレビ、パソコン等を通して持って来ても、気が乗らなくて当たり前ではないか!?

 と言うわけで、狭くなってもいいから、今はこの書斎の中、および近辺から得られる発想を元に小話を書き続けようと思っている。

 そんな風に覚悟を決めてからであった。書けなくなりつつあった小話がまた浮かんで来たのは。

 

        無理をして余所の気元に書いたとて

        地に足付かぬものになるかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 この話は新型インフルエンザ禍のことが出て来るから、2009年頃に書いたものである。

 

 それを加筆訂正して上げた。

 

 その頃は事情あって長く休んでおり、子どもと接する機会が増えた。

 

 子どもの好み、傾向等、色々なことが見えて来て、心配したり、感心したり。

 

 家族にとっては好い時間を持てたように思われる。

 

 勿論、好いことばかりではない。

 

 職場、地域等には迷惑を掛けた。

 

 その分、出られるようになってからは返しており、今もそれは続いている。

 

 自分で言うのも何であるが、それで好いし、それしか仕方が無い。

 

 今回の新型コロナウィルス禍についてもそうで、これまでのことを思い出しながら、また一歩ずつである。

 

 その際、昨夜の東京オリンピック関連の会見においてマスコミが示した悪例を反面教師としたい。

 

 例えば、1年延期したとして、もし1年後にまだ収まっていなかった場合はどうするのか? また延期出来るのか? みたいなことを聴きたがっていたが、今も分からないのに、そんなことは分かるわけがない!?

 

 委員長の森元首相が、人類の英知を結集すれば克服出来るだろうし、そう信じたい、みたいなことを言っていたのは正直なところだと思われる。

 

 結局、求め、叩きながら、今を生きるしかないようだなあ。フフッ。