その5 早春の生駒に誘われて
30年ローンを組んで何とか買ったウサギ小屋のような一戸建て住宅の猫の額ほどの庭に置いた木製の長椅子に腰掛け、幾分和らいで来た寒さの中に漸く春を感じさせる生駒の山並みを見上げていると、間垣武弘はふと、
「宇宙人にあってみたいなあ」
と思えて来た。普段のちまちました職場や地域の人間関係にいささか疲れを覚えていたのかも知れない。
「ほんと!? ほんとに宇宙人に会ってみたいのかい?」
すると、宇宙人らしき、少なくとも地球人らしくはない人がごく自然に? 隣に座っていた。飛び切りの小心者のくせに、そんなに驚かないのが武弘は自分でも不思議であった。
「そりゃそうさ。あんたには元々そんな醒めたところがある・・・」
「なっ、何でやねん!?」
「心が読めるのか、ってぇ~?」
「うっ、うん!」
「まあ、さっきまではあんたの中で温々していたからね」
「でも、それじゃあ・・・」
「霊なんじゃないか、ってぇ~?」
「おいっ! 先、先、言うなよぅ~!」
「あんたがとろいからさぁ~。元々地球人だって何だって、霊のようなもの。これもあんた達の言葉で言ったらだけど・・・。ともかく、霊なんだから、宇宙人も霊と同じことさぁ~。住むところは違っても、同じ人間なんだから、大した違いはない」
「?????」
「フフッ。相当混乱してるなあ? もっと混乱するかも知れないが、ついでに言っておくと、実は見えているものだけが真実ではなく、例えばあんた達が後生大事に守っている肉体なんて単なる入れ物に過ぎない、ってこと。それに、一つの入れ物に一つの霊とは限らない、ってことさぁ~。フフフッ」
混乱させるだけ混乱させておいて、宇宙人らしき人はすーっと見えなくなった。
「?????????」
その後暫らく口をあけたまま、武弘はぼぉーっと早春の生駒を見上げていた。
「父ちゃん、なあなあ、父ちゃん、ってぇ! 何時まで口を空けたまま、ぼぉーっとしてるんやぁ~!? はよ閉めな、魂、抜かれてまうでぇ~!」
遠く、霞の中から聴こえて来たのは、妻の芳香の好く響く艶やかな美声であった。芳香は学生時代に声楽を習っており、武弘にとっては結婚して何年経とうが心地好く響くソプラノのままであった。
《当たっていなくもない・・・。宇宙人と称する何分の1かの自分が抜けて行ったようで、頭が幾分軽くなったような気がするなあ》
ただ、武弘はそれですっきりしたわけでもなく、空いたところに霞か綿でも詰め込まれたように、どんよりとした、はっきりとは見えない部分が余計に広がったかのような気がしていた。
《もしかしたらこれが年を取るということなんかなあ!?》
最近兄の洋一と相談して老人介護施設にして入って貰い、息子である自分のことも忘れがちな母親の彩乃を思い出し、
《もしかしたら母ちゃんの頭の中もこんな感じやろうかぁ~? でも、半分、いやもっと抜けてしもた母ちゃんの魂は一体何処に行ってるんやろぉ~!?》
と武弘は思い至り、背中がちょっとぞくぞくして来た。
言いようもなく不安なような、その外から見れば呆けて来た状態が死の恐ろしさを幾分軽減してくれ、普通はそれが死に向かうに連れ徐々に進行すると思えば、それでちょうど好いような、そんな気がして、武弘はまた早春の生駒を黙ったまま見上げていた。
見上げれば春まだ浅き生駒山
霞の様に我も薄まり
薄まった我は一体何処(いずこ)へと
考えたなら更に薄まり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この話自体は大分前に書いたものであるが、最近の母のことを思い出しながら、また自分の死への恐怖感を重ねながら、大分加筆した。
元はSF的な冗談の部分が大きかったが、書いている内に、自分でも半ば本気で思っていることに近付いているような気がする。
実は(4)、(5)について正直に言えば、間垣家の日常として書いたものではなく、メモの様に書いていたものを膨らませ、間垣家の日常に組み入れた。