その４ 特別な私？
１９８０年代後半、確かに世間はバルブ景気に浮かれに浮かれていた。精神的にふわふわ、バブゥー。まさにそんな感じであった。大学時代からの友達で、京阪奈大学工学部の土木科を出て父親が経営していた地元の土建屋を引き継ぎ、今も細々とその土建屋を経営している林田則之に聞くと、
「ど素人でも、あの頃はもっこ(土を運ぶ藁袋)を担がせて連れて行けば2万円にはなったでぇ～。面白い時代やったなあ･･･」
懐かしそうな遠い目をして言う。本当に好い目が出来たようだ。
「朝、起きたらやなあ、フフッ。知らんまに梅田のええホテルに泊まっとって、見たこともないような若くて綺麗なこが隣に寝とったんやぁ～。何回もあったなあ、そんなこと･･･。フフフッ」
そんなことを聞いて多少なりとも羨ましく思い、そう思うだけで小心者の間垣武弘は妻の芳香に悪い気がした覚えもある。
しかし、ちょうどその頃に受験産業から公的機関である心霊科学研究所の研究員に転職した武弘は、安心は出来ても、公的機関故に大してバブル景気の恩恵を受けておらず、家を買うのに前の世代よりかなり苦労した思いが強い。
《バブルのもっと前か、大分後に買っていれば俺の収入程度でももう少しましな家に住めたのに･･･(※１)。それにあのまま受験業界におったら、とんでもない収入が得られたかも知れんのに･･･(※２)。何だか俺だけ損した気がするなあ。やっぱり、運命ってあるのかなあ？》
(※１ バブル以前は１０００万円で買えた中古の小さな一戸建てでも５０００万円とかに上がっていた。)
(※２ 予備校の講師の授業料が９０分ひとコマで１０万円、２０万円とかに跳ね上がっていた。)
そして武弘の心のどこかにはまだ、
《自分は本来家が買えるかどうかのレベルに留まる奴ではない。本当の自分に出会えさえすれば･･･》
という思いが色濃く残っていた。だから、２重の意味で現状を正面から受け入れられずにいた。自分がいまだ平均的なサラリーマンとしての収入ぐらいしか得られていないこと。その収入でもバブル以前より多少割高な物件を買わざるを得なかったこと。何れも自分の裁量内のことであるから、他の選択肢も無くはなかったのに･･･。
しかし、光陰矢のごとし。残酷にも時間は留まることなく、一定のリズムを刻んで過ぎ去って行く。
《バルブが弾けてからも既にかなり経つ。その間、俺は何かに一生懸命取り組んで来れたんやろかぁ～？ 目の前のことを安易に受け入れ、のんびり生きて来ただけではないんやろかぁ～？》
大概の人はそんなもので、それが庶民の人生。実は自分もその範囲を外れるものではない、と分かっていても、武弘は過ぎ去った時間の安穏さを悔やむことで自分をいまだ特別視しようとしていた。
特別な自分はいまだ本気まで
実力発揮していないかも
そんな自分の勝手な思いを助けてくれるのが、武弘にとっては空想の世界に遊び、怪しげな物語を紡ぎ出すことであった。空想の世界で武弘は自由に空間、時間を超えて浮遊出来た。好きなものに変身出来、無限の能力を発揮出来た。
幸い職場では実務的に無能であることを逸早く見抜かれ、閑職に追いやられたので、その結果、空想の世界に遠慮なく遊ぶことが出来るようになった。研究所的にも研究対象となるから、安上がりで、むしろ幸いしたようなところもある。
家でも同様で、芳香との数年間の夢見る頃が過ぎ、かわいい子ども等が得られ、今ではすっかり存在感の薄い父親となっている武弘は、６畳一間の自分では気取って書斎と呼ぶ勉強部屋を何とか確保し、空想の世界に遊んでいる。
要するに武弘は、通勤、食事、入浴、就寝等、生活に必要なルーチンをこなす時間以外は空想の世界に遊び、漸く精神の自由を保っているのであった。
続けてみるものである。同じことを３０分以上やり続けると脳内麻薬が出るとはよく言われることであるが、そうすると武弘の頭の中は脳内麻薬でずぶずぶになっており、らりっているのが自然な状態になりつつあった。
と言うわけで、貧乏神のスッカラ・カーンにしても、武弘の脳内麻薬の仕業で、武弘だけに現れているものなのか？ それとも武弘の日常が霊気を呼び寄せ、本当に現れているものなのか？ よく分からなくなっていた。
そして芳香は構わない方で、子ども等が健康で素直に育ち、趣味のピアノが自由に弾ければそれで好かった。武弘が時々変なことを独り言ちたり、独りでにやりと笑っても、変に自分に構わなくなって、かえって気が楽になっていた。
脳内の麻薬の所為か霊気呼び
怪しげな神現れるかも
