sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード36)・・・R2.2.25①

            エピソード36

 

 里崎真由のところはごく普通のサラリーマン家庭。もう直ぐ45歳になる父親の明は地方銀行にせよ、ともかく平成大不況真っ只中の今となっては憧れの銀行マンで、おまけに課長だから、収入はそこそこ好い方である。バブルが弾けた後、下落も落ち着いた10年ほど前に西大和の分譲住宅地に抵当流れの80坪程ある土地を手に入れた。その土地に延床面積200㎡で6LDKの一流メーカー製和風ユニット住宅を、これも銀行的な縁によりモニター価格で建てて貰えたから、結構見栄えのする庭付き一戸建て住宅を格安で手に入れられた格好になる。真由を含めて3人の子どもにはそれぞれ自室が与えられ、両親の寝室、書斎をとってもまだひとつ部屋が余っている。この部屋は一応客間ということにしてある。

 サラリーマンにとって一生を左右するほどの一大事である自宅を取得するのに思っていたほど(実際には綿密な計算の上と少なくとも本人は思っているから、思惑通りか?)お金が掛からなかったお蔭で、暮らし向きにはかなり余裕がある。

 そして経済的に余裕があると、大抵の人は優しくなる。家庭は程々に円満で、子どもらは小さいときからお洒落な格好をさせて貰え、好きなことをさせて貰える。この辺り、人間は真に正直と言うか、例外はあるにせよ、統計的には単純である。真由の家庭も例外ではなかった。

 真由は小学校に入る前からピアノとバレエを習い始めた。姉が習いに行っていたのに少し興味を示したら、母親の靖恵が、

「もしかしてこの子には優れた感性があるのじゃないかしら? きっとそうよ! 自分から興味を示すんだもの。ねえあなた、そう思わない? 今から習わせてあげれば、もしかしたら宝塚かどこかに行けるかも・・・」

 お気楽なことを言い出し、明も特に反対はせず、にこにこ笑いながら聞いていたので、すんなり行くことになったのだ。

 始めてみたら、基礎のところで大して興味が湧かなくなり、その後、幾つかのことに興味を示す度にチャレンジしてみたが、小学校の間は結局何もものにならなかった。

 中学校に入ってから近所に弓道を嗜む、凛とした綺麗なお姉さんが越して来て(実はこれが今、西王寺高校の弓道部顧問をしている安曇昌江であり、それは入学後知って、迷わず弓道部の門を叩いた。その後、浩太を巡り、桂木彩乃、柿本芳江も含めて恋のバトル? を繰り広げることになるが、それはまた別の項のお楽しみということにしておこう)、憧れから自分も習い出したら、これが今までとは違い、結構はまってしまった。萌え系の外見とは違い、芯に激しい部分も持っていたのかも知れない。 

 そこが同学年の尾沢俊介とも合ったのだろうか? クラスメイトの藤沢浩太のことを諦め始めた時、よく傍に来ていた俊介のことが何となく気に掛かるようになっていた。

 その内に俊介の方でも真由に目が留まるようになり、自然の流れとしてメールを交換するようになった。

 浩太が弓道部顧問の安曇昌江の帰りを待つようになったことを知った時、真由は浩太のことを完全に諦めたのであるが、その心の隙を埋めたのは俊介であった。

 やがて俊介は真由の帰りを待つようになり、手をつないで駅に向かう2人が見られるようになった。

 俊介の母親、芙美子が若い杜氏と一緒に失踪した家庭状況、および父親の良治の精神的な病を問わず語りに聞いた真由は、同情せずにいられない。自分の幸せを分け与えてやりたくて、俊介を、自分の家族と夕食を共にしようと招待するまでにはそんなに時間が掛からなかった。

 俊介の生い立ちの悲惨さを、自分のゆったり、ほんわかとした境遇と引き比べたとき、心のどこかで既に、必要なときには泊めてやっても好いぐらいの気になっていたのであろう。

 と言っても、いきなりそれを切り出すのは流石に気が引けるから、先ずは食事にでも招待してみることにしたのである。

 真由は円満な家庭の子によくあるように、何でも母親の靖恵に話した。俊介に聞いていることは勿論、自分の想像も交えて、生き生きと、かなり熱っぽく伝えた。

 その熱意は直ぐに伝染し、靖恵は典型的なドラマでも観たように同情して、自分たちが何とかしてやらなければという気になった。まさにボランティア精神で、有意な青年の未来を救うのは自分たちのように恵まれた立場に居る者しかない、と思い込み勇むまでも少ししか時間を要しなかった。

 初めて真由の家庭に招待されたとき俊介は、浩太の家庭と何処か似通ったところがありながら、より裕福で、誰もがよりスマートで、何処をとっても塵ひとつなく綺麗に片付き、整っていたから、心地好さと緊張による違和感が同居していた。

 それでも、ある意味世慣れてた俊介は、浩太とは違い、誰とでも適当に合わせられ、直ぐに打ち解けられた(事実はともかく、少なくともそんな風に見せることが出来た)。

 職業柄、明は其処が気に入ったようである。若い頃より人と如才なく付き合うことを求め続けられ、漸く少しばかり階段を上がったところで、気を遣われる心地好さを覚え始めたところであるから、俊介の拙過ぎない気遣いがツボにはまったようである。

 それだけではなく、里崎家において自分以外は妻に女の子が3人。華やかではあるが、何処か肩身が狭かったところに、如何にも男の子っぽい、他人と競り合うような緊張感も保っている俊介が入ったことで、明はグッと伸びが出来る空間が広がったように感じられ、嬉しくて仕方がなかったのだろうか? 夕食が終わった後、靖恵と真由が中心になってお茶とデザートの用意をし始めたのを尻目に、珍しく自分から立って冷蔵庫からビールを3本取り出した。

「俊介君、ビールだったら大丈夫だろぉ?」

「はい。ビール2~3本ぐらいだったら大丈夫です!」

 咄嗟の質問に反射的に事実を応えたものの、果たしてそれで好かったのか? 俊介はちょっと気まずい表情をした。

 おっとり屋の靖恵も流石に慌てて、

「あなた。俊介君、まだ16ですよぉ。ねぇ、誕生日が来てなかったら15かぁ? 余計に悪いわぁ。無理に勧めたら駄目ですよぉ!」
「いえ、煙草はやりませんけど、こんなこと言ったら顰蹙かも知れませんが、お酒はお父さんの相手をして偶に飲みますから、本当に大丈夫です」

「ハハハ。いや、正直で好い。それに、この頃のご時勢だから、煙草をやらないのもいいね。以前だったら中坊が煙草を吹かしながら通り過ぎて行くのをよく見かけたけど、この頃では流行らないからなあ・・・」

 それに対して俊介は何も言わず、ただ笑っているだけであった。

 変に真面目ぶらず、明はそんなところも気に入ったようである。それからも俊介に色々と構い、サッカーをずっと続けていることを聞くと、自室に招いてコレクションを見せることにした。

 明は地元のサッカー教室、公立中学校から私立の超名門進学校西大寺学園高校、地元の国立京阪奈大学とサッカー一筋で、高校からはずっとキャプテンを続けていた。その実績で銀行に取って貰えたし、銀行に入ってから暫らくも実業団でサッカーをしていたから、それなりの実績があり、部屋には所狭しと盾やトロフィーが置いてあり、壁には賞状、ペナント等が飾り付けてあった。俊介としてはとても行けそうにない国立大学や銀行のクラブでの実績に素直に感心して見せたので、明は可愛くて仕方がないような顔になっていた。

 

 それから数日後、俊介の家では良治が何か気に障ることでもあったのか、酒が過ぎてしまい、例の病気が出た。俊介のちょっとしたことに切れ、金属バットでもゴルフクラブでもお構いなし。手に取った物で殴り付け、それでも足りなければ蹴り上げる。

 まともにやられっ放しになっていたらとっくに死んでいるところであるから、逃げはするが、完全に逃げていたら何時までも終わらないので、少しは受ける。その所為で俊介は体中に古傷を持っていた。奈良県立西王寺高校に入ったときも指が折れた状態で、まともにクラブ活動を出来なかった苦い思いがある。

 受けていられなくなったら逃げるしかない。逃げたことにより良治の怒りが収まるまでは時間が掛かるので、その間、野宿をするか、つい先頃、浩太の家に泊めて貰ったように、外泊するしかない。

 この時は真っ先に真由のことが浮かんだ。何かあったら何時でも来るように言ってくれていたし、家を訪ねたとき、父親の明や母親の靖恵も親身になって言ってくれた。

 それでも、年頃の、しかも気になっている女の子の家である。親友の浩太の家とは違い、流石に躊躇われた。

 大分迷った末、夜の9時を過ぎてから漸く電話を入れた。

「遅くにごめん。今、好いかなあ?」

「あっ、俊介君。どうしたの?」

「いや、どうしたと言うか・・・」

 重そうな口調に真由は鋭く感じ取ったようで、自分の出番だとばかりに、

「もしかしてこの前に言っていたように、家に居られなくなったの?」

「そう。今、駅前のマクドに居るねんけど、もう直ぐ閉まるし、出来たらお願い出来ないかと思って・・・」

 先に言い出してくれたことで俊介は言い易くなったようである。一気に要件まで言ってしまった。

「ちょっと待ってねっ。大丈夫だとは思うけど、一応聞いてみるから・・・」

 そう言っている背後で、靖恵と明が口々に、

「大丈夫だから、俊介君に早く来るように言ってあげてぇ!」

「もう遅いから、直ぐ来るように言いなさいっ!」

 と言っているのがはっきり聞こえて来た。

 俊介はそれだけでも涙が出そうであった。

《こんなに俺のことを親身に気遣ってくれた誰かが、これまでに居たことなんてあったやろかぁ~?》

 幾ら考えても思い出せなかった。

 里崎家での俊介の迎え入れ方は真に洗練されたものであった。父親の良治のことについては何も聞かず、前に招待されたときと同じように歓待してくれた。違うのは泊まることを前提にすべての動きがゆったりとしていたことだけであった。

 それに、聞かれなかったからと言って、避けられていたわけでもない。靖恵と3人の娘がそれぞれの部屋に入った後、明とビールをちびちびやっているとき、問わず語りに話し出したとき、親身になって聴いてくれた。

 思わず感情が高まり、涙をこぼすと、明は俊介の肩にそっと手を置いて、

「ここでは別に無理しなくていい。話したいのなら、このまま朝まででも聴くけど、辛いのだったら、また今度話したいときに話せばいいのだから・・・」
「・・・・・」

 グッと気分が楽になった俊介は、暫らくは黙ってビールを飲み、静かに涙を流し続けたが、やっぱり吐き出してしまいたくなって、また訥々と語り出すと、明は黙って、辛抱強く聴いてくれた。

 語り終わったのは東の空が白む頃。本当に夜明けまで語ってしまったが、明は嫌な顔ひとつせず、黙ってシャワーを浴び、何事もなかったかのように出勤の支度をし始めた。

 そして出る前、俊介に、

「暫らくは居るだろぉ? 食べたいものがあったらおばさんに言っておくといいよ。制服は仕方がないけど、着替えも用意するように言っておいたから。また夜に一緒に飲もう。約束だよぉ。それじゃあ行って来る!」

 一気に言われたので、俊介としても、

「はい! ありがとうございます。行ってらっしゃい!」

 と言うしかなかったし、明の表情に嘘は感じられなかったから、遠慮なくそうさせて貰って好い気がした。

 浩太の家に行ったときでも何も特に聞かれなかったが、父親の藤沢慎二や母親の晶子の自信のなさ故か、遠巻きにされている気がし、此方から話す気も起らなかった。泊めて貰う以上に頼れない気がして、必要と思われる分は全て買い込んで行ったし、必要最小限泊めて貰うだけにした。

 好意を比べるものではないが、明らかに気持ちの落ち着きが違い、俊介は久し振りに緊張感を持たないでいい数日を過ごすことが出来た。

 

        生活に余裕があれば落ち着いて

        他人のことにも構えるのかも