sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その46)・・・R4.1.11②

            その46

 

 令和2年6月下旬の或る朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着いて、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、その直ぐそばに置いてあるアルコール消毒液を掌に溢れんばかりにたっぷりと取り、その中で手指を丸めたり、伸ばしたり、擦り合わせたり、爪の間にも染み込ませようと指先を掌でトントンしたりして、ともかく丁寧過ぎるぐらい念入りに消毒する。

 この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも気になって一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、持参した米国製超強力うがい薬で何回もうがいをしておく。

 そんな一定の安心感が得られる程の儀式的なことまで済ませ、ふぅーふぅー言いながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホの液晶画面を食い入るように見詰めてはぶつぶつ独り言ち、頻りにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 ごく習慣的な朝の挨拶を交わした後、もしかしたら梅雨入りしてから蒸し暑くなって来た影響もあるのか? 梅雨の合間にもしっかりと感じられるほど紫外線が強くなっている効果も大きいのか? 我が国では急速に新型コロナウイルスの新規感染者数が低レベルに収まっていること、それでも、全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請、更に都道府県をまたぐ移動の自粛要請も解除されて早速気の緩みが出始めているのか? 福岡県、大阪府、神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県、北海道等と、広範囲に亙ってまだ新たな感染者数が中々0を維持出来ないこと、時には無視出来ない数が出ていること、大阪でも難波、梅田、天王寺、京橋等の繁華街で人波は確実に増えて来ていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えたこと、外国では米国、ブラジル、イギリス、イタリア、ロシア、インド、イランと相変わらず広範囲に亙って猛威を振るっていること等、一頻り世間話をし、それから慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そしてそばには、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考えて、それからおもむろに年季の入ったデータ容量256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して「神の手」にそっと奥まで挿し込み、休みの間に家でまた書き進めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない?」の一部を取り出して、見直しながら加筆訂正を始める。

 ファンドさんの気持ちは既に投資情報に移っており、またiPhoneの液晶画面を食い入るように見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          明けない夜はない?

            その10

 昭和61年当時、大阪府の学区がより細かく分割される方向に変更された結果、青木健吾が高校生の頃よりはまた少しレベルが上がり、学区内でトップの公立進学校にランクアップしたとは言え、大阪府北河内高校の校風は他の学区のトップ校に比べて十分に緩かった。のんびりした地域性と言うものはそう急に変わるものではない。府民の目、保護者の目が次第にきつくなり、その分、行事の内容的な見直し、日程の変更等はされていたが、それでもそこには地域性であるゆったり感、余裕と言ったものが存分に出て、全体に生徒達の聞き分けは好く、殆んど放っておいても大した混乱が無かったから、一見何の問題も感じられなかった。

 ただ勘の鋭い生徒には、高度経済成長期が行き過ぎて社会全体が無暗に膨張し始め、更に変に競争意識が高まって行くゆとりの無さが如実に感じ始められていたようである。そしてエリート官僚等によって巧妙に構築されたいわゆる常識の壁の範囲内で動いている分にはまだ好いが、一度でもその壁に近付き、触れようものなら、強力なお仕置き電流によって跳ね返され、普通は二度と壁に近付こうとも思わなくなる。

 優秀な後輩である君達は社会を引っ張る私達上層部が言う通りにしておけば好い。課題として与えられた情報を上手く録音し、そのまま損なうことなく再生出来れば十分だ!(※1) それで君達ならば何もかも上手く行く。下手に疑うなかれ、と言うわけである。

 それでも勇気を振り絞って壁に近付き、運好く? 壁の向こう側を覗いてみると、見渡す限りただ茫洋とした空間が広がっているだけであることを知り、あまりのショックに何も出来なくなってしまう。一体どの方向に次の第一歩を進めれば好いのか全く見当が付かず、怖くなって足がすくんでしまう。 

 それがいわゆる引き籠りであるが、そうなった生徒が北河内高校でもぼちぼちと目に付く(※2)ようになっていた。

 健吾が常勤講師として物理を担当し、副担任も担当している2年4組には、そんな引き籠りから漸く卒業出来た女子生徒、安藤清美がいた。

 また、今まさに引き籠り掛けていた男子生徒、丸山康介がいた。

 何方も人並み優れて感性鋭く、今も迷いの中にある健吾にとっては何だか気になり、或る意味関わっていたい生徒達であった。

 勿論、恋と言う意味においては明らかに中野昭江への思いの方が強かったが、人間それだけではない。幾ら流れで教師の真似事をし始めたとは言え、若い情熱を傾けてある程度真面目に取り組んでいると、見えて来るものがある。恋よりは上位にある人生を考える上でより惹かれるもの(※3)もあるのだ。

 

 それはまあともかく、北河内高校ではこの頃を挟んで数年、文化祭が6月上旬に行われるようになっていた。1学期の中間テストが終わり、期末テストまではまだ間がある。怒涛の2学期の前には長い夏休みがある。1番気の緩められそうな時期であったからである。健吾が通っていた、のんびりしていた頃は2学期の中間テストの後、11月頃に行われていたものが、煩くなって来た保護者の要望もあってこの時期に移され、同じくこれも保護者の更に強い要望を受け入れて、教育実習生を受け入れる期間もこの時期に移されていた。

 立場も経験も違うが、健吾にすれば常勤講師を始めて2か月ほどで、教師経験としてはあまり変わらない教育実習生が大量にやって来たわけである。ある種の緊張感はあったが、それでも元々が年配で経験豊かな教師が多い北河内高校であるから、健吾にとっては教育実習生の方が中途半端さ加減においてより似ており、手に合う仲間が一気に増えたような気がして、救いにもなっていた。

 そのふわふわした空気が生徒達にも十分伝わっていたようで、或る日の放課後、健吾が2年4組の教室の前を通る廊下で文化祭の準備を手伝っていると、似た空気を感じたのか? 2人だけになっていることを確認して、安藤清美がおもむろに話し掛けて来た。

「先生、私なあ、中学校の時は1年ぐらい引き籠っててん」

 唐突であった。どう答えて好いのか? 健吾は分からないながら、何か言わなければいけない気がして、取り敢えず返事だけはしておくことにした。

「ふぅ~ん、そうなんかあ~」

 それなりに聴いてくれていると分かり、安心したようで、清美はその後、色々話し掛けて来た。

 今一よく分からないながら、中学生の時に何やら迷い、悩んでいるところに、同じ空気を感じたのか? 気になる存在であったのか? ともかく丸山康介が頻りに話し掛けて来たと言う。当時はそれがまたストレスとなって、とうとう1年間の長きに亙り休む結果となってしまったらしい。

「でも、結局安藤さんはまた出て来る方を選べたんやなあ。好かった、好かった・・・」

 健吾が、さも気が軽くなった感じを滲ませて言うと、

「ウフフッ。先生、ほんま正直やなあ。何やよう分からへんけど、出て来たからまあ好かった、とか思ってるんやろ~!?」

 図星を差されて、健吾はたじたじになっていた。

 そんな様子を観て安心したようで、それ以後清美は健吾のそばに来て作業をすることが多くなった。

 やっていた作業は長さが2mぐらいある看板用の幟(のぼり)の制作で、やがてそれを康介も手伝うようになっていた。

 清美は別に康介が嫌いと言うわけではないらしい。中学生の頃はいきなり迫られ過ぎただけに、空気のようには無視出来ない相手と言うことで、状況によってはむしろ惹かれる部分の方が多かったのかも知れない。

 そんなわけで、基本的には3人で作業をすることが多くなっていた。そして何方かがその場を離れ、健吾と2人だけになった時、何方ももう片方のことを健吾との話題に自然と出したがるのであった。

 清美にすれば康介のことが気になる程度で、まだその時期ではなかったのか? 特別に好きと言うわけでもないようであった。

 康介の方は、気になる相手が、自分が悪気ではなかったにせよ関わったことも影響して長く休む結果になってしまい、更に気になる相手になっていた。

 真面目に考え、生きている男女はこんな風に擦れ違うことが多く、それが上手く重なり合った時に、漸く恋として成就するもののようである。

 そして康介にとって今は恋どころでなく、自分のことで精一杯の時期(※4)になっていた。

 そんな康介が精神的に惹かれているのは、ただ授業を担当する現代国語だけではなく、漢文、英文学、ロシア文学等、文学全般に造詣が深く、それを生徒達にも熱っぽくを語る国語教師、森村義雄であった。その森村のことを引き合いに出しながら、時々上から目線で諭すように言うことがあるから、健吾にすればちょっとくすぐったく、可笑しかった。

「なあ先生。先生はまだ始めたとこでしゃあないと思うけど、ただ教科書通りの授業をしてたらええと言うもんやないでえ。僕らは先生等を通して、その向こう側にあるものも見てるねん。その点、森村先生は流石やわあ~! 授業の初めとか、ひと区切り付いた時とかに、担当している現代文だけではなく、漢詩や、シェークスピアや、トルストイの話とか、色々な話をしてくれはる。守備範囲が広いだけではなく、それがまた深いねん・・・。先生もこの仕事を本気で続けて行くんやったら、そんな風にならなあかんでえ~」

 その時の健吾には、一面の真理を突いた一端の意見に頷くしかなく、気弱な笑いを浮かべながら聴いていた。

 ただ康介の場合、自分の器がまだそこまでは強くなっていなかったようで、頭の中の理想と現実社会の猥雑さが相容れなくなり、そう経たない内に学校に出て来れなくなって、再び出て来れるようになるまでかなりの時間を要することになった。

 

        人生の青い悩みに揺らされて
        壁にぶつかり戸惑うのかも

 

        青い壁その向こう側真っ暗で
        何も見えずに引き籠るかも

 

 その辺りまでを見直しながら加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせると8時10分頃になっていたから、ここで置くことにした。

《これ以上続けると気持ちが持って行かれてしまうから、仕事にならへん・・・》

 そんなことを思いながら「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみとしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はまだ恥ずかしさも少し残っていたが、ちょっとは軌道に乗り始め、この話に付いては自分なりに多少の自信も出始めているので、「神の手」を再び開き、メルカリさんの方にその液晶画面をおもむろに向けて、

「ふぅーっ」

 ひと息吐いて気持ちを落ち着けながら静かに問い掛ける。

「メルカリさん、どう、これぇ? ほら、この前もちょっと見てもろた書き掛けの小説みたいなもんの続きなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けてると思うんやけどなあ・・・」

「そう言うたら、確かブログさんの若い頃らしい主人公が、ヒロインの通う高校の常勤講師になって、毎日キャピキャピしたJKに囲まれながらわくわくしているところでしたねえ!? 夏の合宿が高浜に決まって、あの後どうなるのか? ちょっと気になってたんですわぁ~。それにしてもブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 気の好いメルカリさんは半分呆れ、半分感心しながらも、朝の忙しい時間帯であるにも拘らず、さっと目を走らせて行く。

「どれどれ・・・、ふむふむ・・・」

 読み終えてからちょっと遠い目をして、おもむろに口を開き、

「今日は何時もと趣向が違いますねえ。引き籠りへの共感、深いですねえ。僕もそんな気がしますわぁ~。本音と建て前、理想と現実、どう言うたらええのか難しいけど、どう住み分けたら好いのか? 上手く行くのか? 中々分からない。そこで立ち止まってしまう子も一定数いてる。内の研究所としても人間心理、更に奥にある見えないものへの研究対象として考えなあかんところですねえ・・・」

 そう言いながらゆっくり立ち上がり、給湯室にコーヒーを淹れに行った。

 そこに空かさず事務を担当している若い依田絵美里が熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを持って来て、慎二の机の上にそっと置き、「神の手」の液晶画面に何か思うところがあるような感じで目を走らせて行く。

 暫らくしてからおもむろに口を開き、

「私もこの感じ何となく分かります・・・。何か違うと思いながらもそれが何かはよく分からない。ゆっくり考えている時間もない。大多数はまあ先生や親の言う通りにしていれば好いとして考えることを諦めるけど、そうは出来ない、或る意味不器用で正直な子も一定数いる・・・」

「おっ、もしかしたら依田さんにもそんな時期があったとか!?」

「いえ。私はただただ素直に従っていただけの方ですけど、それで本当に好かったのかどうか今頃迷い出し、自分なりに考えてみたい気もあってここに来させていただいています・・・」

 そう言いながら、絵美里はちょっと深沈とした目になって離れて行った。

 それを聴いていて慎二は、メルカリさんも言っていたように、人生に対する青年の真摯な悩み、オーラのようにその裏側にあるもの等を中心に研究する自分たちの役目を改めて教えられたような気がし、何時になく凛とした顔になっていた。

 

        人生は素直だけでも詰まらない
        疑うことで始まるのかも

 

        人生は素直だけでは行き詰まり

        疑うことで動き出すかも

 

※1 我が国の教育は一体に安上がり、効率の好さ、画一的ないわゆる村社会への適応等が求められて来たようである。それに相応しいように、また東洋の科挙文化の名残でもあるのか? 暗記中心の教育が連綿と続けられて来た。外国からの刺激が国民にまで直接及んで来ない内はそれでも好かった。考える必要がなく、不安が無かったから、幸せ感を持つことも出来た。たまに考えさせる課題を出されると、中々上手くこなせず、不満が出たぐらいである。その結果、今でも例年通りに進めようとする傾向が強く、中々斬新なアイディアが出ない職場も散見される。

※2 この話のモデルとしている昭和末期、実際に私が住んでいたアパートにも、当時の職場である学校にも、既に引き籠りがポツン、ポツンと出始めていた。更に20年近く経った2005年には160万に達し、たまには外に出る人も含めると300万人にもなっている。興味深いことに、我が国と同様に独身時代の親との同居が長いと言われるイタリアでも引き籠りが増え、10万人にもなって、社会問題化していると言う。

※3 恋は3年で冷めると言われている。確かにそう言う面もある。特に結婚を恋の終点として捉えるとそうなりがちであるし、我が国のように中年期に入ると仕事の方で忙しくなり、また子育て等、家庭でも忙しくなると、お互いに恋どころではなくなる。それ故、自己を正当化して安心する意味もあるのか、何時までも恋に揺らされていると不道徳な存在とされがちである。ただ、これも疑ってみれば、そうも言い切れない。心を開いていれば、幾つになっても恋が入って来るものであるし、それがまた新たな生きるエネルギーを与える場合もある。

※4 確かに青年期でもそれぞれなりに恋どころではない時期もある。そんな時期が長いタイプもある。その修行に当たる時期には個人差があり、他人からどうこう言われるものではない。それなのに我が国では画一的に求めようとするきらいがあり、たとえばアスリート等、一般的に最大限の活躍出来る時期が短い場合にファンや指導者は強要しがちになる。たとえそれでも恋を選んだ結果、暫らくは成績が落ちたとしても、それは本人の選択であるし、それが本人にとって本当に不幸なことか、ずっと後悔されることかどうかは分からない。それも含めて本人の人生であることをもう少し普通に受け入れるぐらいのゆとりを持った社会でありたい。なんて言っても、そんなゆとりを今は悪者にして安心しようとするきらいがあるから、それだけゆとりのない社会であることだけは記憶に留めておきたい(2022年1月現在)。