sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(46)・・・R2.6.27①

              その46

 

 令和2年6月下旬の或る朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着いて、玄関ホールでタイムカードをスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液を掌に溢れんばかりにたっぷりと取り、手指を丸めたり、伸ばしたり、擦り合わせたり、爪の間にも染み込ませようと指先を掌でトントンしたりし、ともかく丁寧過ぎるぐらい念入りに消毒する。

 この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、持参した米国製超強力うがい薬で何回もうがいをしておく。

 そんな一定の安心感が得られるまでの儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 習慣的な朝の挨拶を交わした後、もしかしたら梅雨入りしてから蒸し暑くなって来た影響もあるのか? 梅雨の合間にもしっかりと感じられるほど紫外線が強くなっている効果も大きいのか? 我が国では急速に新型コロナウイルス感染症が収まっていること、また全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請、更に都道府県をまたぐ移動の自粛要請も解除されている所為で早速気の緩みが出始めているのか? 福岡県、大阪府、神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県、北海道等と、広範囲に亙ってまだ新たな感染者が中々0人を維持出来ないこと、時には無視出来ない数が出ていること、大阪でも難波、梅田、天王寺、京橋等の繁華街で人波は確実に増えて来ていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えたこと、外国では米国、ブラジル、イギリス、イタリア、ロシア、インド、イランと相変わらず広範囲に亙って猛威を振るっていること等、ひと通り世間話をし、それから慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そしてそばには、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考えて、それからおもむろに年季の入った256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して「神の手」にそっと挿し込み、休みの間に家でまた書き進めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない?」の一部を取り出して、見直しながら加筆修正を始める。

 ファンドさんの気持ちは既に投資情報に移っており、またスマホの液晶画面を観てはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          明けない夜はない?

            その10

 昭和61年当時、大阪府の学区割がより細かく分割される方向に変更された結果、青木健吾が高校生の頃よりはまた少しレベルが上がって、地域トップの公立進学校にラックアップしたとは言え、北河内高校の校風は他の地区のトップ校に比べて十分に緩かった。のんびりした地域性と言うものはそう急に変わるものではない。府民の目、保護者の目がきつくなり、その分、行事の見直し、日程変更等はされていたが、そこには地域性の好さが出て全体に生徒達の聞き分けは好く、大した混乱は無かったから、一見何の問題も感じられなかった。

 ただ勘の鋭い生徒には、高度経済成長期が行き過ぎて無暗に膨張し始め、変に競争意識が高まって行くゆとりの無さが如実に感じ始められていたようである。そしてエリート官僚等によって巧妙に構築されたいわゆる常識の壁の範囲内で動いている分にはまだ好いが、一度でもその壁に近付き、触れようものなら、強力なお仕置き電流によって跳ね返され、普通は二度と壁に近付こうと思わなくなる。

 優秀な後輩である君達は社会を引っ張る私達上層部が言う通りにしておけば好い。課題として与えられた情報を上手く録音し、そのまま再生出来れば十分! それで君達ならば何もかも上手く行く。下手に疑うなかれ、と言うわけだ。

 それでも勇気を振り絞って壁に近付き、運好く? 壁の向こう側を覗いてみると、見渡す限りただ茫洋とした空間が広がっているだけであることを知り、あまりのショックに何も出来なくなってしまう。一体どの方向に次の第一歩を進めれば好いのか分からず、怖くなって足がすくんでしまう。 

 それが引き籠りであるが、そうなった生徒が北河内高校でもぼちぼちと目に付くようになっていた。

 健吾が常勤講師として物理を担当し、副担任も担当している2年4組には、そんな引き籠りから漸く卒業出来た女子生徒、安藤清美がいた。

 また、入り掛けていた男子生徒、丸山康介がいた。

 何方も人並み優れて感性鋭く、今も迷いの中にある健吾にとっては気になり、或る意味関わっていたい生徒達であった。

 勿論、恋と言う意味では明らかに中野昭江への思いが強かったが、人間それだけではない。幾ら流れで教師の真似事をし始めたとは言え、若い情熱を傾けてある程度真面目に取り組んでいると、見えて来るものがある。恋よりは上位にある人生を考える上でより惹かれるものもあるのだ。

 

 それはまあともかく、北河内高校では文化祭が6月上旬に行われるようになっていた。1学期の中間テストが終わり、期末テストまではまだ間がある。怒涛の2学期の前には長い夏休みがある。1番気の緩められそうな時期であったからである。以前は2学期の中間テストの後、11月頃に行われていたものが、保護者の要望もあってこの時期に移され、同じくこれも保護者の更に強い要望を入れて教育実習を受け入れる期間もこの時期に移されていた。

 立場も経験も違うが、健吾にすれば常勤講師を始めて2か月ほどで、教師経験としてはあまり変わらない教育実習生が大量にやって来たわけである。ある種の緊張感はあったが、それでも元々が年配で経験豊かな教師が多い北河内高校であるから、健吾にとっては中途半端さ加減が似ており、手に合う仲間が一気に増えたような気がし、救いにもなっていた。

 その空気が生徒達にも十分伝わっていたようで、或る日の放課後、健吾が2年4組の教室の前を通る廊下で文化祭の準備を手伝っていると、似た空気を感じたのか? 2人だけになっていることを確認して、安藤清美がおもむろに話し掛けて来た。

「先生、私なあ、中学校の時は引き籠っててん」

 唐突であった。どう答えて好いのか? 健吾は分からないながら、何か言わなければいけない気がして、取り敢えず返事だけはしておくことにした。

「ふぅ~ん、そうかぁ~」

 それなりに聴いてくれていると分かり、安心したようで、清美はその後、色々話し掛けて来た。

 今一よく分からないながら、中学生の時に何やら迷い、悩んでいるところに、同じ空気を感じたのか? 気になる存在であったのか? ともかく丸山康介が頻りと話し掛けて来たと言う。当時はそれがまたストレスとなって、とうとう長く休む結果となってしまったらしい。

「でも、結局は出て来る方を選べたんやなあ。好かった、好かった・・・」

 健吾が気が軽くなった感じで言うと、

「ウフフッ。先生、正直やなあ。何やよう分からへんけど、出て来たからまあ好かった、とか思ってるんやろぉ~!?」

 図星を差されて、健吾はたじたじになっていた。

 そんな様子を観て安心したようで、以後清美は健吾のそばに来て作業をすることが多くなった。

 やっていた作業は長さが2mぐらいある看板用の幟(のぼり)の制作で、やがてそれを康介も手伝うようになっていた。

 清美は別に康介が嫌いと言うわけではないらしい。中学生の頃はいきなり近寄り過ぎただけに、空気のようには無視出来ない相手と言うことで、状況によってはむしろ惹かれる部分の方が多かったのかも知れない。

 そんなわけで、基本的には3人で作業をすることが多くなった。そして何方かがその場を離れ、健吾と2人だけになった時、何方ももう片方のことを健吾との話題に自然と出したがるのであった。

 清美にすれば康介のことが気になる程度で、まだ時期ではなかったのか? 好きと言うわけでもないようであった。

 康介の方は、気になる相手が、自分が悪気ではないにせよ関わったことも影響して長く休む結果になってしまい、更に気になる相手になっていた。

 真面目に考え、生きている男女はこんな風に擦れ違うことが多く、それが上手く重なり合った時に、漸く恋として成就するもののようである。

 そして康介にとって今は恋どころでなく、自分のことで精一杯の時期になっていた。

 そんな康介が惹かれているのは、ただ授業を担当する現代国語だけではなく、漢文、英文学、ロシア文学等、文学全般に造詣が深く、それを生徒達にも熱っぽくを語る国語教師、森村義雄であった。その森村のことを引き合いに出しながら、時々上から目線で諭すように言うことがあるから、健吾にすればちょっと可笑しかった。

「なあ先生。先生はまだ始めたとこでしゃあないと思うけど、ただ教科書通りの授業をしてたらええと言うもんやない。僕らは先生等を通して、その向こう側にあるものも見てるねん。その点、森村先生、流石やわぁ~! 授業の初めとか、ひと区切り付いた時とかに、現代文だけではなく、漢詩や、シェークスピアや、トルストイの話とか、色々な話をしてくれはる。守備範囲が広いだけではなく、それがまた深いねん。先生もこの仕事を続けて行くんやったら、そんな風にならなあかんでぇ~」

 その時の健吾には、一面の真理を突いた一端の意見に頷くしかなく、気弱な笑いを浮かべながら聴いていた。

 ただ康介の場合、自分の器がまだそこまでは強くなっていなかったようで、頭の中の理想と現実社会の猥雑さが相容れなくなり、そう経たない内に学校に出て来れなくなって、再び出て来れるようになるまでかなりの時間を要することになった。

 

        人生の青い悩みに揺らされて
        壁にぶつかり戸惑うのかも

 

        青い壁その向こう側真っ暗で
        何も見えずに引き籠るかも

 

 その辺りまでを見直しながら加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせてここで置くことにした。

《これ以上続けると気持ちが持って行かれてしまうから、仕事にならへん・・・》

 そんなことを思いながら「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみとしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はまだ恥ずかしさも少し残っていたが、ちょっとは軌道に乗り始め、この話に付いては多少の自信も出始めているので、「神の手」を再び開き、メルカリさんの方にその液晶画面をおもむろに向けて、

「ふぅーっ」

 ひと息吐いて気持ちを落ち着けながら静かに問いかける。

「どう、これぇ? ほら、この前もちょっと見てもろた書き掛けの小説みたいなもんの続きなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けてると思うんやけどなあ・・・」

「そう言うたら、確かブログさんの若い頃らしい主人公が、ヒロインの通う高校の常勤講師になって、毎日キャピキャピしたJKに囲まれながらわくわくしているところでしたねえ!? 夏の合宿が高浜に決まって、あの後どうなるのか? ちょっと気になってたんですわぁ~。それにしてもブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 気の好いメルカリさんは半分呆れ、半分感心しながら、さっと目を走らせる。

「どれどれ・・・」

 読み終えてからちょっと遠い目をして、おもむろに口を開き、

「今日は何時もと趣向が違いますねえ。引き籠りへの共感、深いですねえ。僕もそんな気がしますわぁ~。本音の建て前、理想と現実、どう言うたらええのか難しいけど、どう住み分けたら好いのか、上手く行くのか、中々分からない。そこで立ち止まってしまう子も一定数いてる。内としても考えなあかんところですねえ・・・」

 そう言いながらゆっくり立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。

 そこに事務を担当している若い依田絵美里がお茶を持って来て、慎二の机の上にそっと置き、「神の手」の液晶画面に目を走らせる。

 暫らくしてからおもむろに口を開き、

「私もこの感じ何となく分かります・・・。何か違うと思いながらもそれが何かはよく分からない。大多数はまあ言う通りにしていれば好いとして考えることを諦めるけど、そうは出来ない、或る意味不器用で正直な子もいる・・・」

「おっ、もしかしたら依田さんもそんな時期があったとか!?」

「いえ。私はただただ素直に従った方ですけど、それで好かったのか今頃迷い出し、自分なりに考えてみたい気もあってここに来させていただいています・・・」

 そう言いながら、絵美里はちょっと深沈とした目になって離れて行った。

 それを聴いていて慎二は、人生に対する青年の真摯な悩み、オーラのようにその裏側にあるもの等を中心に研究する自分たちの役目を改めて教えられたような気がし、何時になく凛とした顔になっていた。

 

        人生は素直だけでも詰まらない
        疑うことで始まるのかも