sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(エピソードその7)・・・R4.2.15②

          エピソードその7

 

 昭和61年当時、大阪府の学区がより細かく分割される方向に変更された結果、青木健吾が高校生の頃よりはまた少しレベルが上がり、学区内でトップの公立進学校にランクアップしたとは言え、大阪府北河内高校の校風は他の学区のトップ校、たとえば分割される前の広い学区における大阪府立城の森高校等に比べて十分に緩かった。

 北河内ののんびりした地域性と言うものはそう急に変わるものではない。府民の目、保護者の目が次第にきつくなり、その分、行事の内容的な見直し、日程の変更等がされてはいたが、それでもそこには地域性であるのんびりした気風の好さが存分に出て、全体に生徒達の聞き分けは好く、殆んど放っておいても大した混乱が無かったから、一見何の問題も感じられなかった。

 ただ勘の鋭い生徒には、高度経済成長期が行き過ぎて社会全体が無暗に膨張し始め、更に変に競争意識が高まって行くゆとりの無さが如実に感じ始められていたようである。そしてエリート官僚等によって巧妙に構築されたいわゆる常識の壁の範囲内で動いている分にはまだ好いが、一度でもその壁に近付き、触れようものなら、強力なお仕置き電流によって跳ね返され、普通は二度と壁に近付こうとも思わなくなる。

 優秀な後輩である君達は社会を引っ張る私達上層部が言う通りにしておけば好い。課題として与えられた情報を上手く録音し、そのまま損なうことなく再生出来れば十分!(※1) それで君達ならば何もかも上手く行く。下手に疑うなかれ、と言うわけだ。

 それでも勇気を振り絞って壁に近付き、運好く? 壁の向こう側を覗いてみると、見渡す限りただ茫洋とした空間が広がっているだけであることを知り、あまりのショックに何も出来なくなってしまう。一体どの方向に次の一歩を進めれば好いのか全く見当が付かず、怖くなって足がすくんでしまう。 

 それがいわゆる引き籠りであるが、そうなった生徒が北河内高校でもぼちぼちと目に付く(※2)ようになっていた。

 健吾が常勤講師として物理を担当し、副担任も担当している2年4組には、そんな引き籠りから漸く卒業出来た女子生徒、安藤清美がいた。

 また、今まさに引き籠り掛けていた男子生徒、丸山康介がいた。

 何方も人並み優れて感性鋭く、今も迷いの中にある健吾にとっては何だか気になり、或る意味進んで関わっていたい生徒達であった。

 勿論、恋と言う意味においては明らかに中野昭江への思いの方が強かったが、人間それだけではない。幾ら流れで教師の真似事をし始めたとは言え、若い情熱を傾けてある程度真面目に取り組んでいると、見えて来るものがある。恋よりは上位にある人生を考える上でより惹かれるもの(※3)もあるのだ。

 

 それはまあともかく、北河内高校ではここ数年、文化祭が6月上旬に行われるようになっていた。1学期の中間テストが終わり、期末テストまではまだ間がある。怒涛の2学期の前には長い夏休みがある。1番気の緩められそうな時期であったからである。

 健吾が通っていた、のんびりしていた頃は2学期の中間テストの後、11月頃に行われていたものが、煩くなって来た保護者の要望もあってこの時期に移され、同じくこれも保護者の更に強い要望を受け入れて、教育実習生を受け入れる期間もこの時期に移されていた。

 立場も経験も違うが、健吾にすれば常勤講師を始めて2か月ほどで、教師経験としてはあまり変わらない教育実習生が大量にやって来たわけである。ある種の緊張感はあったが、それでも元々が年配で経験豊かな教師が多い北河内高校であるから、健吾にとっては教育実習生の方が中途半端さ加減において似ており、手に合う仲間が一気に増えたような気がして、救いにもなっていた。

 そのふわふわした空気が生徒達にも十分伝わっていたようで、或る日の放課後、健吾が2年4組の教室の前を通る廊下で文化祭の準備を手伝っていると、似た空気を感じたのか? 2人だけになっていることを確認して、安藤清美がおもむろに話し掛けて来た。

「先生、私なあ、中学校の時は1年ぐらい引き籠っててん」

 唐突であった。どう答えて好いのか? 健吾は分からないながら、何か言わなければいけない気がして、取り敢えず返事だけはしておくことにした。

「ふぅ~ん、そうなんかぁ~」

 それなりに聴いてくれていると分かり、安心したようで、清美はその後、色々話し掛けて来た。

 今一よく分からないながら、中学生の時に何やら迷い、悩んでいるところに、同じ空気を感じたのか? 気になる存在であったのか? ともかく丸山康介が頻りと話し掛けて来たと言う。当時はそれがまたストレスとなって、とうとう1年間の長きに亙り休む結果となってしまったらしい。

「でも、結局安藤さんは出て来る方を選べたんやなあ。好かった、好かった・・・」

 健吾が、さも気が軽くなった感じで言うと、

「ウフフッ。先生、ほんま正直やなあ。何やよう分からへんけど、出て来たからまあ好かった、とか思ってるんやろぉ~!?」

 図星を差されて、健吾はたじたじになっていた。

 そんな様子を観て安心したようで、それ以後も清美は健吾のそばに来て作業をすることが多くなった。

 やっていた作業は長さが2mぐらいある看板用の幟(のぼり)の制作で、やがてそれを康介も手伝うようになっていた。

 清美は別に康介が嫌いと言うわけではないらしい。中学生の頃はいきなり迫られ過ぎただけに、空気のようには無視出来ない相手と言うことで、状況によってはむしろ惹かれる部分の方が多かったのかも知れない。

 そんなわけで、基本的には3人で作業をすることが多くなっていた。そして何方かがその場を離れ、健吾と2人だけになった時、何方ももう片方のことを健吾との話題に自然と出したがるのであった。

 清美にすれば康介のことが気になる程度で、まだその時期ではなかったのか? 特別に好きと言うわけでもないようであった。

 康介の方は、気になる相手が、自分が悪気ではなかったにせよ関わったことも影響して長く休む結果になってしまい、更に気になる相手になっていた。

 真面目に考え、生きている男女はこんな風に擦れ違うことが多く、それが上手く重なり合った時に、漸く恋として成就するもののようである。

 そして康介にとって今は恋どころでなく、自分のことで精一杯の時期(※4)になっていた。

 そんな康介が精神的に惹かれているのは、ただ授業を担当する現代国語だけではなく、漢文、英文学、ロシア文学等、文学全般に造詣が深く、それを生徒達にも熱っぽくを語る国語教師、森村義雄であった。その森村のことを引き合いに出しながら、時々上から目線で諭すように言うことがあるから、健吾にすればちょっとくすぐったく、可笑しかった。

「なあなあ先生。先生はまだ始めたとこでしゃあないと思うけど、ただ教科書通りの授業をしてたらええと言うもんやないでぇ~。僕らは先生等を通して、その向こう側にあるものも見てるねん。その点、森村先生、流石やわぁ~! 授業の初めとか、ひと区切り付いた時とかに、現代文だけではなく、漢詩や、シェークスピアや、トルストイの話やとか、色々な話をしてくれはる。守備範囲が広いだけではなく、それがまたえらい深いねん・・・。先生もこの仕事を本気で続けて行く気ぃやったら、そんな風にならなあかんでぇ~」

 その時の健吾には、一面の真理を突いた一端の意見に頷くしかなく、気弱な笑いを浮かべながら聴いていた。

 ただ康介の場合、自分の器がまだそこまでは強くなっていなかったようで、頭の中の理想と現実社会の猥雑さが相容れなくなり、そう経たない内に学校に出て来れなくなって、再び出て来れるようになるまでかなりの時間を要することになった。

 

        人生の青い悩みに揺らされて
        壁にぶつかり戸惑うのかも

 

        青い壁その向こう側真っ暗で
        何も見えずに引き籠るかも

 

※1 我が国の教育は一体に安上がりで、効率の好さ、画一的な社会への適応等が求められて来たようである。それに相応しいように、また東洋の科挙文化の名残でもあるのか? 暗記中心の教育が連綿と続けられて来た。外国からの刺激が国民にまで直接及んで来ない内はそれでも好かった。考える必要がなく、不安が無かったから、幸せ感を持つことも出来た。学校でたまに考えさせる課題を出されると、中々上手くこなせず、不満が出たぐらいである。その結果、今でも例年通りに進めようとする傾向が強く、中々新たなアイディアが出ない職場も散見される。

※2 この話のモデルとしている昭和末期、既に住んでいたアパートにも、職場である学校にも既に引き籠りがポツン、ポツンと出始めていた。更に20年近く経った2005年には160万に達し、たまには外に出る人も含めると300万人にもなっている。興味深いことに、我が国と同様に親との同居時代が長いと言われるイタリアでも引き籠りが増え、10万人にもなって、社会問題化していると言う。

※3 人類学者であるヘレン・フィッシャー女史が1992年頃に「愛はなぜ終わるのか」を出版してから、恋は3年で冷めると言われて来たが、確かにそう言う面もある。特に結婚を恋の終点として捉えるとそうなりがちであるし、味気なくもある。我が国のように中年期に入ると仕事の方で忙しくなり、子育て等、家庭でも忙しくなると、恋どころではなくなり、何時までも恋に揺らされていると不道徳な存在とされがちである。ただこれも疑ってみれば、そうとも言い切れない。心を開いていれば、幾つになっても新たな恋が入って来るものであるし、恋以外の人生の楽しみに出会うこともある。それがまた人生に潤い、新たな生きるエネルギーを与える場合もある。

※4 確かに真面目に生きようとする人にとって恋どころではない時期もある。そんな時期が長いタイプもある。その修行に当たる時期には個人差があり、他人からどうこう言われるものではない。それが我が国では他人に対しても画一的に求めようとするきらいがあり、たとえばアスリート等、活躍出来る時期が短い場合にファンや指導者は強要しがちになる。恋を選んだ結果、たとえ暫らくの間は成績が落ちたとしても、それは本人の選択であるし、それが本人にとって不幸なことかどうか、ずっと後悔されることかどうかは分からない。それも含めて本人の人生であることをもう少し普通に受け入れる社会でありたい。

追記 ゴルフの人気選手である渋野日向子は目くるめく恋によってゴルフががたがたになり、成績が落ちたように言われていた。そして自らそのことに気付いたのか、恋人と別れ、最高峰の米国女子ツアーを目指しているようにマスコミは面白おかしく伝えているが、実際のところどうだろう? 分からないが、もし本当であれば、彼女は恋の上位にあるものに気付いた幸せな人かも知れない。何れにしても現在は、恋でも結婚でも、大抵のことはやり直しがきく時代になっているから、その点は生き易くなったように思われる(2022年2月15日)。