sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(22)・・・R2.5.17②

              その22

 

 令和2年5月11日、月曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液で手を消毒する。

 これは大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だから序でに洗面所に寄って、うがいもしておく。

 そんな一定の安心感が得られるまでの儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 挨拶を交わした後、大阪府に新たな休業要請が出されたことに対する色々な職場の対応、通勤電車の混み具合、株価の変動等、ひと通り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 何か迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出し、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。

 

        朝のひと時雑詠

 新型コロナウイルス感染症の影響で引き続き休業が要請され、非正規雇用の労働者が割を食っている。

 そんな中、大きな割合でクローズアップされるのが女性である。

 それに外国人、私のような老人も入るだろう。

 さらに今は若者にまで非正規雇用が広がっているから、当然割を食う対照が若い男性にまで広がっている。

 そんな記事を読んでいる内にフリーターと言うちょっと懐かしい響きを感じる言葉が気に留まった。

 ウィキペディアによると1985年(昭和60年)頃に音楽分野で散見されたとあった。

 私にとって意識に上ったのは大学を卒業した時のことであった。

 それは1985年よりもう少し前のことで、1978年(昭和53年)のことである。

 就職が決まらなかった私は、大阪市内にあるガラス工場で足掛け3か月ほどアルバイトをしていた。

 8時間働いて1日3600円であったから、時給450円になり、当時では悪い方でもなかった!?

 それでもその年の夏に正規に勤め始めた時の初任給に諸手当を加えて計算してみたら、この倍ほどにはなったから、やっぱり恵まれない。

 そんな私と同時期にアルバイトを始めた若者が高卒で、確か19歳と言っていた記憶がある。

 そして2年ほどフリーターで行くつもりだと明るく言っていた覚えも。

 古くて薄暗い工場で耳にした新しい響き、そんな感じであった。

 その後の怒涛のような日々ですっかり忘れていたが、その頃から使われていたとすると、もう40年以上になるわけか!?

 因みに正規に就職した会社でも非正規と正規の違いが嘆かれていた。

 正規は高卒でもかなり高い方の給料を貰っており、当時は片田舎にあったので、周りの他の会社に勤める男性より多いぐらいであった。

 その会社に大卒で勤めた人と比べても違いは年齢差による違いぐらい。

 しかし、している仕事は普通の事務、および仕分け、発送準備等の、その会社では何方かと言えば易しい部類の仕事であった。

 それが、徐々にパートの女性が増え、その女性たちの多くが短大卒で、よりレベルの高い仕事を請け負うようになった。

 その短大卒の女性の内のひとりとたまたま家族ぐるみの付き合いをさせて貰うようになったのであるが、彼女が言うには、給料は世間のパート並なのに、社内では難しい仕事を請け負い、責任も追及されたとか。

 何か変だなあと思って聴いていた覚えがある。

 平成を挟んで昭和の頃とひとつも変わらず? いやむしろ悪くなっているぐらいで、今それが炙り出されている!?

 まあ人の本質は変わらないってことだろうなあ。フフッ。

 

        コロナ禍や社会の矛盾炙り出し

 

        コロナ禍や社会の遅れ炙り出し

 

        コロナ禍や人の醜さ炙り出し

 

 人の本質なんてギリシア、ローマの時代から変わらないと言われるぐらいであるから、そりゃ僅か40年ぐらいで変わらなくても当たり前であろう。

 そういう意味でも牽制し合うこと、監視し、必要あらば闘うことと言うのは民主主義、自由主義経済における基本なんだろう。

 どうせならそう言う緊張する場面に若い力の発露を見たいものだなあ。フフッ。

 

        コロナ禍や若い力に期待して

 

        コロナ禍や後の復活期待して

 

 今、我が国においては第一波? が終息しつつあるように思われる。

 相変わらず一部を切り取ってPCR検査をしていることに変わりはないようであるが、それでも新たな感染者の率は明らかに減っている!?

 例えば私の職場がある大阪府内でも新たな感染者の人数が1日に10人前後で推移するようになった。

 多少気の緩みも出始めたようであるが、それでも通勤電車、街、職場等では一定の緊張感が保たれている。

 その辺りは我が国の誇れるところであろう。

 さて、問題はこの後である。

 大阪府の人口がほぼ1000万人であるのに対して10人であれば僅か0.0001%になり、確かに気が緩むのかも知れない。

 しかし、実際には無症状の感染者が多くいるであろうこと。

 感染している可能性を持ちながら検査を待っている人がいること。

 感染した時の症状が想像以上であり、重症化した時の進行速度もそうであること。

 そんなことが為政者側や一部の組織にある意味吃驚するような緊張感を漂わせ、神経質過ぎるように見える対策を取らせていることも忘れてはならない。

 まあまあ上手く書けたような気がして慎二がしみじみしていたら、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 メルカリさんはこの頃職場でも認められているテレワークをしていることが増えて、出勤日が基本的に週3日であるが、それを週2日に減らしている慎二とはすれ違っていることが多くなっていた。

 因みに慎二は、元々面倒臭がりなところに年齢的なものも加わって、ちょっとした手続き、報告と言ったことが面倒なのでテレワークはせず、週1回程度有休を取ることによって何とか出勤日を出らしている。

 慎二はちょっと迷ってから、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問いかける。

「どう、これぇ? 久し振りやけど、まあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」

 それだけのことで小心者の慎二は、久々に見て貰う緊張も加わって耳をひくひくさせている。

「相変わらず毎朝、よう精が出ますねえ。その変わらなさに安心しますわぁ~」

 半分呆れ、半分感心しながら、気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、

「ふぅ~ん、フリーターって言い方、そんなに前から使われてたんですかぁ~!?」

 マジに感心したように言うので、慎二はちょっと得意気になって来た。その辺り、幾つになっても至って単純な慎二であった。

「そうやねん。その点大阪市はやっぱり大都会やねんやろなあ。そして俺はその大阪市内の生まれから、生粋のシティーボーイなわけやぁ~。フフッ」

「ハハハ。えらい嬉しそうですねぇ。ハハハハハ」

「ウフッ。ウフフフッ」

 メルカリさんだけではなく、事務仕事全般を担当している若い依田絵美里も笑っていた。

 そう言えば絵美里は慎二が何時来ても来ているから、テレワークはしていないようである。

 久し振りに見るメルカリさんもいる所為か、絵美里は気を利かせて慎二にお茶、メルカリさんにコーヒーを持って来てくれた。

 ファンドさんの表情も心なしか明るくなっている気がする。

 そんな風に久し振りに集まった皆には明るい様子が見られ、これからの前途が幾分明るいものに感じられ始めた。

 

        感染者目に付くほどに減り出して
        幾分気持ち上向くのかも