sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

山の神様も切れた!?・・・R2.3.21②

 梅雨空の下、生駒は今日も霞の中にぼんやりと覗いている。自宅の最寄り駅から生駒駅に向かう車窓から見るとはなしに目をやっていた藤沢慎二の耳に、ちょっと気になる話が飛び込んで来た。

「ほら、あそこ。変な形をしてるやろぉ~?」

「確かに・・・」

 生駒山の北側にあり、南生駒辺りから観ると、周りのなだらかさからは浮いた、猪口を裏返したような形をしている部分のことである。慎二もずっと気にはなっていた。それがどうしたと言うのか!?

 話していたオヤジは、自分の話の効果が相手だけではなく、周りの乗客にも広がっていることに満足を覚えながら、それを十分に味わった後で、おもむろに続けた。

「あれは何でも、生駒山が火山やった証拠らしいでぇ~。爆発していたのはもうずっとずっと昔のことやそうやけど・・・」

 聞いている内に慎二は気が遠くなり、気が付いたら、目の前に真っ白な鬚を生やした古老が立っていた。

「ほう。やっとわしに気が付いたようじゃのう。フフッ。今の話の続きが気になるんじゃろう? 続きはわしが話してやろうて・・・」

「えっ!? 続きってぇ~?」

「むふふっ。とぼけおって・・・。まあいい。よく聞いておくのじゃぞぉ~」

 仙人のような古老の勿体振った話とはこうであった。

 

 ずっとずっと昔のこと。記録には生駒山が火山であり、何度も何度も爆発して、麓はおろか、大阪平野奈良盆地にまで強い影響を及ぼしていたことが残っているが、実はあれには隠された物語がある。今の世に旧火山として記録に残っている山には彼方此方の古文書にもしばしば大魔神伝説が残っているように、生駒山にも同様のいわれがあるのじゃ。

 物語にも残っていないような昔のこと。生駒山、実は山のように大きな神様が大阪平野奈良盆地の間にどっかと胡坐をかき、両側の民が平和に暮らしているのを、目を細めてのんびりと眺めておったそうな。

 しかし、人間とはよく深いものじゃ。大阪平野の方は大昔、今より海がずっと生駒山に近く、ろくな田畑がなかったが、その代りに海の幸は豊富じゃったなあ・・・。反対に奈良盆地の方は田畑に恵まれ、作物が一杯採れたのじゃ。冷静に考えれば、適当なところで折り合いを付けて交換すればいいと思うじゃろぉ~? 確かに交換はしたのじゃが、多い、少ない、騙した、騙されたと喧嘩が絶えなかったのじゃ~。それが口喧嘩や精々素手、素足での殴り合い、蹴り合いぐらいならましじゃが、人は小器用な上に残忍な面を持っている。自ら考案し、作り出した道具をそんなところに使い出したから堪らない。毎年毎年、何人もの人が無駄に亡くなったのじゃ。可哀そうに・・・。

 流石に山の神様は黙っていられなくなり、何度も怒りを表わされたそうな。それが大地の振動、すなわち地震じゃなあ。大風、すなわち突風、竜巻、台風の類じゃなあ。そんなものとして言い伝えられ、記録に残ったんじゃろう。

 しかし、それでも人は言うことを聞かなかったんじゃなあ。生意気になりおって。嘆かわしいことじゃ・・・。

 それで山の神様はとうとう本気で怒ってしまわれた。ガバッと立ち上がり、凄まじい熱気を吐き出しながら、大阪平野から奈良盆地の方をのっしのっしと歩き回ったそうじゃよぉ~。

 勿論、舟や家、田畑は焼けてしまったり、踏み潰されたり。ただでさえ記録が残っていないところに、更に少なくなってあたりまえじゃなあ。

 それでも神様が為されたことじゃから、こんな風に何らかの形で人に知らされる。有り難いことじゃなあ。

 ここまでは昔話、宗教の聖典等としても一部伝えられておるから、丸っきり初耳でもないはずじゃ。

 次に、それが何故今なのか、と言うことを話そうかのう。

 今、人心が乱れているのは分かっておろう!? 世も末と言われて久しいが、まだまだこんなものじゃない。

 それでも、そろそろ山の神様も海の神様も怒り出したと見え、その証拠に、地震が増え、火山の噴火も彼方此方から伝えられるようになった。それに世界的な異常気象はどうじゃ? 台風やハリケーンが大きくなって、被害の悲惨さには目も当てられん・・・。

 これらは人心の乱れを鋭く感じ取った神様が未だ怒気を発しているだけの状態じゃが、それでもお前さんのような善人たちは鋭く感じ取り、おかしくなり始めておる。

 じゃが、悲しむには当たらない。それは善人たちの意識を暫らくの間麻痺させておいてやろうと言う神様の配慮なのじゃ~。

 何故なら、そのままでは善人たちはショックを受け易いからのう。それに感じ易い分、少し感じれば直ぐに反省する。本当は反省することの少ない悪人にショックを受け、反省して欲しいのに、普通に怒っても、反省し、しょ気るのは善人ばかりじゃ。だから、先ず善人たちを麻痺させることで、神様はバランスを取っておる。善人、悪人の区別なく、皆同程度に気付き、反省するようにじゃなあ。流石神様、深い考えじゃ~。

 ここで善人を一先ず苦しめるのではなく、なぜ完全に救わないのか? 悪人は完全に駆逐してしまえばいいではないかぁ~!? 神様は何故勧善懲悪を徹底しないのか? そんな疑問と言うか、憤りを感じる向きがあるかも知れない。

 実は神様はそんな気真面目な人たちも救おうとしている。心の狭さ故、危うく悪人に陥ろうとしているところに、そっと手を差し伸べているのじゃなあ。

 そうしないと、自分だけが選ばれ、救われたと秘かに勝ち誇った瞬間にその善人は反省することを忘れ、悪人への道をまっしぐら。すなわち、善人も悪人も元はと言えば同じ人間。立場の違いだけと言うことじゃなあ。またまた深いのう。う~ん・・・。

 しかし、こうも災害や不況が続き、変な事故や事件が絶えないのは、神様がただ怒りを漂わせるだけでは済まなかったようじゃなあ。それだけではなく、神様は人の発明品である言葉,絵、音楽等によって表わし、本、ラジオ、テレビ、インターネット等を通してあまねく広めても、人は自分たちの発明品である言葉に頼り過ぎ、遙かに広い裾野、すなわち表わし切れない世界を最早感じ取れないほど退化させ、堕楽させてしまったから、どうにもならなかったようじゃ~。

 と言うことは、山の神様はまた自ら・・・。

 

「えっ!? 山の神様がまた自ら、何だってぇ~?」

「はい。おじさん! うふっ。おじさん、寝ていて落としたのね、はいこれぇ~」

 目の前に普通の女子高生が莞爾と笑いながら立ち、慎二の携帯電話機を差し出した。

 渡された携帯電話機の液晶画面を見ると、山の神様がどうのこうの、と今、古老から聞いたような話が書いてある。

 と言うことは、もしかして目の前の女子高生はこの話を読んだのかぁ~!?

 恥ずかしさで消え入りそうな顔をしている慎二にもう一度笑い掛けながら、その女子高生は、

「面白かったわ、おじさん・・・。上手く書けたらまた見せてねっ! ウフッ」

 と言い残し、ちょうど職場の最寄り駅に着いた電車から軽やかに降りて行った。

 生駒に掛っていた霧が大分晴れたようだ。トンネルを抜けて大阪側から見た生駒はまた違った趣であった。

「何方から観ても生駒は生駒。喧嘩したらあかんなあ・・・」

 わけのわからないことを言いながら慎二も降り立ち、職場である心霊科学研究所に向かった。

 相変わらず長期に亘る病欠からのリハビリ代わりに週3日の職場通いを続けているが、今日は久々に面白い小話が書けそうである。心なしか慎二の足取りが弾んでいた。

 

        トンネルと向こうと此方生駒でも
        其々思い擦れ違うかも