sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

懐かしく青い日々(21)・・・R2年1.17①

         第2章  その11

 

        見せたなら同じクラスで学べたか
        己の狭さ感じるのかも

 

        見せたとて気にするほどのことはなく
        少し世界が広がったかも

 

 大学に入ってから藤沢慎二は、カンニングについて殆んど抵抗がなくなっていた。周りが普通のこととして日常的にしていたし、単位が取り易いことで人気のある授業にはテスト時に教室を2つ使い、監督の教員が1人で行ったり来たりと言うこともままあった。当然そこでは答案やメモが飛び交っていた。学部に上がってからは、監督の教員が途中で自分の用事をしに行き、終わる頃に戻って来て、じろりと見渡し、

「もしかしてカンニングせえへんかったやろなあ?」

 なんて言い、にやりと笑うなんてこともあった。

 当然のように慎二も低きに流れて行った。

 しかし、高校時代の慎二はまだカンニングに対してえらく生真面目な気持ちを抱いていた。だから、高2の学年末試験のとき、隣の木島聡が気弱な笑いを浮かべながら冗談っぽく、
「なあ藤沢、俺、昨日はいっこも勉強してへんねん。教科書を見ても全然分からへんから、出来たら頼むでぇ」
 と言ったとき、かなりの本気が含まれているなどとは露ほども思わず、全くの冗談と聞き流していた。
 それも気弱な笑顔を浮かべながら冗談っぽく…。

 

 後日、修学旅行で九州に向かうフェリーの中でのこと。何人かの男子生徒が国語教師の神埼を囲み、何故木島を落としたのかと詰め寄っていた。
 神崎は困った顔で言葉を選びながら、それでも真摯に答えようとしていた。
「確かに残念やった・・・。僕たちも何とかしようと努力したんやけど、もうどうしようもなかったんやぁ。ご免なあ・・・」
「でも、何も落とさなくても・・・。上げたって何とかなるのではないですかぁ~!?」
「落としたらやる気がしなくなって、余計に出来なくなると思いますよぅ。意味ないですよぅ!」
「上げてくれたら僕たちで頑張らせますし、今からでも何とかなりませんかぁ~!?」
 神崎の優しい口調に甘え、男子生徒達は口々に勝手なことを言う。
「そりゃあ無理だよぉ~! 気持ちは分かるけど、大勢の教師が何時間も掛けて相談し、悩んだ末に決めたことやぁ。今更変えられない。それに変えることが木島にとっていいとは思えないよぉ」
「どうしてですかぁ!?」
「確かに今は辛いやろう。後輩たちに混じって勉強するのは恥ずかしいかも知れない」
「そうですよぉ~!」
「まあ黙って聞きなさい。辛くても、ここで木島をそんな風に助けることは、必ずしも木島の為にならへん。いや、むしろ木島に人生は甘いものや、少々のずるをしても渡っていけるものや、と言う気持ちを抱かせることになるから、百害あって一利なしだと思うでえ」
「そうかなあ?」
 男子生徒たちは必ずしも納得していない。先輩たちに聞くと、大学ではカンニングのし放題だし、むしろしない方が少数派らしいから、少し年が下なだけで、何故にそんなに厳格さを求められるのか? 理解出来ない。いや、理解したくない。
 それに、マスコミで流されるニュースを見ていても、大人の世界にはずるが相当はびこっている。
 でもまあ神崎は梃子でも動きそうにない。
 言い疲れたのか、言うことで気持ちが治まったのか、男子生徒たちの顔には、仕方がないなあ、と言う諦めの表情が浮かび、声も次第に小さくなって来た。
 そばで黙って聞いていた慎二は、そのときむしろ次第に大きくなる心の声に戸惑っていた。
 あの時どうして木島に見せてやらなかったんやろうや!? 俺が見せてやりさえすれば木島は上がれたし、皆が言うようにそれで何の問題もない。

 

        建て前と本音が違う大人たち
        そんな世界を垣間見たかも

 

 1年半ほど後のことである。無事国立浪速大学の学生になり、晴れ晴れとした気持ちで北河内高校の柔道部を覘いた慎二は、練習後、駅前の居酒屋に集まった同学年の仲間の諸藤純也から意外な話を聞いた。
「なあなあ藤沢。神崎先生のこと、知ってるかぁ?」
「えっ、何のこと?」
「神崎先生、死んだんやでぇ・・・」
 そこで諸藤は微妙な表情をする。
 慎二としても続きを聞かずにはいられない。
「一体どうしたんやぁ!? あんなに明るく、元気そうやったのに・・・」
 暫らく迷った後、諸藤はおもむろに口を開き、
「あんなあ。神崎の奴、SMプレイの最中に死んだらしいわぁ。あそこに薔薇の花を付け、首に太いロープを蛇のように巻き付けて、海老のように反り返って死んでいたらしいでぇ~。その後学校では、そのことを面白可笑しく書いた週刊誌を生徒らから取り上げるのに必死やったらしいでぇ~」
 一気にそう言いながら、淫靡な笑いを浮かべた。
 慎二には神崎の特異な悦楽を共感出来ないだけに、事実は小説より奇なりと思う他なく、何の感慨も湧かなかった。
 ただ暫らくしてから、神崎が得々として言っていた人生論の虚しさ、滑稽さについて思い至り、大人の世界の馬鹿馬鹿しさの一端を見せられた思いになった。
 それは慎二が19歳の夏のことで、まだ本物の恋を知らない頃のことであった。

 

        馬鹿なこと偶にするから生きられる
        其れで癒されまた真っ直ぐに

 

        人生に色んな要素あるけれど
        真面目にしても損はないかも

        

        若い頃一度はマジに生きること
        其れがないのは淋しいのかも   

 

 その後、色々な現実を知るに連れて慎二は、趣味趣向と哲学は別物であることを理解するようになる。
 たとえば結婚して子どもが生まれ、大きくなって、普段、子どもに向かって偉そうなことを言っている。また、職場で後輩達に出来る自分を見せようとしている。だからこそ、独りの時間になったら馬鹿馬鹿しいことにのめり込みたくなる。それは誰にも邪魔されたくない至福の時間であった。
 そして、そんな風に多少無理しながらも、真面目に生きる時間はあって好い。特に若い頃は。いや、若い頃にそんな時間が少しもないほど淋しいことはない。
 そう思うから神崎を含め北河内高校の教師たちは敢えて木島を落としたのであろう。
 普段道化てばかりいた神崎はひょうきんさの影に人並み外れた感じ易さ、弱さを抱えていたはずである。その弱い部分が傷付き、震えているのを癒さないと、とても人前に出られなかったのではないだろうか!? そして、癒すのに普通以上の刺激を必要としていても不思議はない。
 ただ、幾ら自分だけの世界で楽しんでいたと言っても、結果的に他人に迷惑を掛けたことになるから、神埼が他人から迫られるとすればそのことのみである。
 そう考えると慎二は、もうそれ以上神崎を責める気がしなくなった。