sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その18)・・・R3.12.17①

              その18

 

 4月上旬の或る日の朝のこと、藤沢慎二が何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、ふぅーふぅー言いながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来ると、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、ちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液晶画面を何やら熱心に見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、頻りにメモを取っていた。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 これも何時も通り習慣的な朝の挨拶を交わした後、新型コロナウイルス感染症が彼方此方でオーバーシュート(過剰変動)を起こしていること、世間一般に益々仕事が回らなくなっていること、ファンドさんの一番の関心事である株価が世界的に大きく変動していること等、一頻り世間話をした後、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。

 続いて2台のスマホを取り出し、1台目の以前からメインで使っているスマホに通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら「神の手」によって起こして行く。

 2台目の新しいスマホテザリング用に契約している格安スマホで、上手く書けたと思う時はインターネットにつないで「あれまブログ」にアップしていた。

 ブログを書き始めた頃は全く反応が無く、寂しい思いをしたものであるが、この頃では1日に1人、2人と訪問してくれるようになり、ときどき「いいね」を貰えることが妙にうれしくなりつつあった。

 ファンドさんの関心は既に投資情報に移っており、またiPhoneの液晶画面を見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          朝のひと時雑詠

 昨日我が家に、久し振りに置き薬の点検にやって来た。

 昔ながらの懐かしさもあるが、取り扱っている商品自体は珍しいものでもない。欲しい時に使え、使った分だけ後から払えばよい便利さ、点検の度に常に新しい商品と取り換えてくれる安心感、薬屋さんと直接コミュニケーション出来ることの大きさ等が今も生き残っている意味であろうか!? 

 最近でも、あの熱過ぎる応援団を天職と自認する元世界的テニスプレイヤーの松岡修造まで使ったCMが流れている。

 ただ、営業さん自体はタブレット、ハンディースキャナー、ハンディープリンター等、最新の携帯用電子機器を駆使して小気味好いほど手際よく薬の入れ替え、必要書類のプリントアウト、集金等をして行くので、それはそれで中々興味深かった。

 IT機器の発達により、使いこなせれば何事もスマートには見えるようになって来たのであろう。

 それでは一体何が変わったのか?

 変わったことによる恩恵は何なのか?

 一方で失ったものはないのか?

 あったとすれば、それは何なのか?

 色々なことについてそんな検証を、コロナ禍によってこの思わぬ時間が出来た機会にゆっくりしてみた方が好いのかも知れないなあ。フフッ。

 

        OA化其れでの変化検証し

 

        OA化仕事の質を検証し

 

 今回の新型コロナウイルス感染症騒ぎでは各自治体の首長の手腕、これまで疑問にも思わず使い続けて来たシステムの意味、流通の問題、生物に対するマイクロレベルの視点、人間関係等、色々なことがクローズアップされて来た。

 勿論、人的、経済的等の損失には甚大なものがある。

 その配慮を忘れてはならないが、今回炙り出されて来たことへの対応を通して、ただでは起きず、何かを掴み取りたい気持ちがあるのも事実である。

 

        転んでも只で起きない気持ちあり

 

        転んでも無駄に起きない気持ちあり

 

 例えば今回も欧米型社会に比べて我が国の特殊性みたいなものがクローズアップされているが、果たして本当にそうなのか!?

 もしそうなのであれば、どこが違い、どこが違わないのか?

 違っていることのプラス面、マイナス面はそれぞれ何なのか?

 プラス面、マイナス面は表裏一体のものなのか? 

 それともそれぞれ独立したものなのか?

 何れにしても、そのプラス面をより強調することは出来ないのか?

 そのようなことも何処かでじっくり検証し、議論して欲しいところである。

 識者、政治家、タレント等それぞれが自分の枠内で達成感、顕示欲、承認欲等を満たそうとしてマウントを取り合っていないで、こんな非常時には少しでも早く収束させ、日常に戻すという目標の下に協力し合えないものなのか!?

 どうして世の中には構ってちゃんが多過ぎるのか?

 少なくとも今の我が国は、非常にもどかしい状態のようだなあ。フフッ。

 

        コロナ禍や頭の中ももどかしく

 

        コロナ禍や誰もが語り煩過ぎ

 

        コロナ禍や言葉に溢れ事実無く

 

        コロナ禍や言葉に溢れ支援無く

 

 この日も自分なりには上手く書けたと思い、慎二がしみじみとしていたら、井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 ひと通り日常的な朝の挨拶を交し合った後、慎二はちょっと迷い、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問い掛ける。

「メルカリさん、どう、これぇ? 僕なりには今日もまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」

 それだけのことで小心者の慎二は、緊張で頬を紅潮させ、耳たぶをひくひくさせていた。

「ブログさん、あれまブログにまで出してはるんですかぁ~? 毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 半分呆れ、半分感心しながらも、気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、

「どれどれ、ふむふむ。ふぅ~ん、ブログさんのとこ、まだ置き薬屋さんが来てはるんですかぁ~? 懐かしいですねえ・・・。僕のとこでは高くつくからもうやってませんけど、親のとこではまだやってますわぁ~。言うてはりますように、何時でも使える安心感、それに顔の見えるコミュニケーションと言うことでしょうねえ・・・」

 読んでいる内に穏やかな顔になって来たメルカリさんがしみじみと言う。 

 しかし、OA化、コロナ禍、構ってちゃんが多過ぎる等のことには触れない。あんまり込み入ったことにまでは立ち入りたくないようで、昔気質の慎二にすればそれがちょっと寂しくはあるが、メルカリさんとの日常会話はこんなものかとも思っている。

 そう言えばファンドさんとは社会にしても、政治にしても、経済にしても、もう少し突っ込んだことを話すことがある。出身大学が同じと言う安心感かも知れない。メルカリさんとは年の差がたった4年で、それだけのことで何がどう変わると言うわけでもないのであろうが、面白いもので、ファンドさんにはどこか気を許せるところがある。人とはそんな風に一見似た者同士で群れたいもののようである。

 それはまあともかく、適当に切り上げたメルカリさんが機嫌好さそうな顔をしてスマホを見せる。

「ところで、どうですぅ、この傘ぁ~!? ええと思いません?」

 それはメルカリの画面で、時代劇に出て来そうな紙の傘であったが、不器用な慎二にはこの話の繋がりと言うか、転換と言うか、それがよく分からない。

「・・・。まあ懐かしそうな和傘やけど、それ買お思てるんかぁ~?」

 分からないながら、慎二は時にそういう変化も嫌いでもないので、この変化に乗っておくことにした。

 メルカリさんはホッとしたような表情になって、

「もう買うことになってて、今日の帰りに取りに行きますねん。幸いこの近くやし、そうしたら送料がいらんから、安く付きますねん!」

「ふぅ~ん。それで、そんなもん買ってどうするん?」 

 慎二は正直なところを言ってしまうが、メルカリさんは特に気にする風でもなく、

「これを使って、子どもの写真撮って貰いますねん」

「ふぅ~ん、近くにあるスタジオアリスとか、そんな写真館かどこかでかぁ~?」

「そう。毎年家族で写真を撮って貰うことにしてますねん」

「凄いなあ。でも、そんなんしたら、凄い掛かるんとちゃうん!?」

 聴いていて小心者の慎二はそんなことが気に掛かっていた。

 そうするとメルカリさんは我が意を得たり! と言う感じで得意気に、

「それがねえ、アルバムを作って貰ったりせんと、データで貰いますねん。そうしたら写真を500枚ぐらいCD-Rに焼いてくれて、まあ3万円ぐらいですわぁ~。ええと思いません!? 毎年それを残して置いても大して場所を取りません。必要な時に印刷してもええし、それに将来子どもの結婚式とかでも使えますでしょ?」

「ふぅ~ん、メルカリさん、結構まめなんやなあ・・・」

 小学生を筆頭に子どもが3人いると聞くメルカリさんの家族中心主義に実は常々感心しているところもあった慎二は、果たして自分の場合はどうだったのか? 振り返りながら、ちょっと遠い目になっていた。

《俺も写真をデジカメで撮って少しは印刷し、少しは写真屋さんで印刷して貰ったが、多くはデータのまま散逸してしまったような気がするなあ。探したらどこかに置いてあるんやろかぁ・・・》

 慎二は自分が写真を眺めながら過去を振り返る習慣を持たないので、家族に付いてもそんな風にいい加減にして来たことをちょっと後ろめたく思い始めていた。

 

        社会より家族のことを大事にし

        生きて行くのも悪くないかも

 

        職場より家族のことを優先し

        本来其れが普通なのかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 配置薬の件に付いても今年の3月一杯で完全退職したことで変化があった。

 

 1つずつが結構高いこともあり、あまり使わなくなっていたので、無駄が多いような気がして来たのである。

 

 それに、来て貰うのが気の毒にも思えて来た。

 

 同じようなことが定年退職し、再雇用期間に入る際にもあった。

 

 30年ぐらい来てくれていた本屋さんが向こうの方からもう廃業するような感じで、この機会に止めましょう、と言う話になったのである。

 

 それまでの何年か、頼む量が大分減っていたこともあり、正直に言えばホッとしたところもある。

 

 ただ、何事も続けていたことを止めるのには勇気がいるし、止めた後に一抹の寂しさが残るのも事実である。

 

 今回のコロナ禍はそんな惰性を断つ意味を与えるほど大きなことであるような気もする。

 

        コロナ禍や色んなことを変えて行き

        其れで好いかと思わせるかも

 

        コロナ禍や色んなことを変えて行き

        其れが好いかと思わせるかも