その20
令和2年4月14日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液で手指を消毒する。
そのボトルは大分前からそこに置いてあったのは気付いていたが、使い始めたのはここ数日のことであった。それでも一旦始めると、しないことが不安になって来る。
それから息を切らしながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来てちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液晶画面に見入ってはぶつぶつ独り言ちながら、頻りにメモを取っていた。
「おはよ~う」
「おはようございま~す」
習慣的な朝の挨拶を交わした後、大阪府にとうとう休業要請が出されたこと、通勤電車の混み具合、ファンドさんの一番の関心事である株価の大きな変動等、一頻り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は直ぐにブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホもそばに用意しておく。
続いてメインに使っているスマホを取り出し、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。
ファンドさんの関心は既に投資情報に戻り、またiPhoneの液晶画面を見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めていた。
朝のひと時雑詠
昨日の雨風が強かった所為か? 家の近くの道が一面の花絨毯になっていた。
風はまだまあまあ強く、冷たかったが、如何にも春らしい朝である。
明けない夜はないか!?
まさにそんな感じだなあ。
ここでたまには春らしい一句も詠まなくっちゃなあ。フフッ。
通勤路花の絨毯気も軽く
花絨毯足取り軽く通勤路
何だか平凡だなあ。
でも、この平凡な日常が今は有り難い。
日常を失って知る有り難さ
平凡を失って知る有り難さ
失って日常の好さ教えられ
失って平凡の好さ教えられ
あっ、また湿って来たようだなあ。フフッ。
さて、今日は勤務日であるが、何をしようか?
今の職場において其々の仕事は、細かく決まっているわけではなく、任されている部分も多いから、日々迷うところである。
そこに慣れないとしんどい面もあるが、慣れると気楽で面白い面もある。
まあ今は、休業要請が明けた時のことを考えて、心身のトレーニングも兼ねながら、少しは楽しめる方向で考えることにしようか!?
と言っても、私の頭は何かを生み出すよりも寄せ集めて編む、つまり編集する方に向いているようだ。
長年に経験でそんな風に思われるようになって来た。
それはまあともかく、そんな時に役立つのがインターネットだなあ。
インターネットを使うまでは机の上に本を何冊も開きながらえっちらおっちら考えていたが、多少のいい加減さはあるにしても、今はインターネット様様である。
アイデアをインターネットに頂戴し
アイデアをインターネットで頂戴し
まあパソコンもインターネットも、それが手段であることを忘れてはいけないけどね。フフッ。
なんて書いている内に職場の最寄り駅が近付いて来たようだ。
緊張がじわじわと増す最寄り駅
緊張がじわじわ迫る最寄り駅
近付いて緊張が増す最寄り駅
近付いて緊張迫る最寄り駅
職場に向かって歩いていると、異動して来た上司が追い付き、
「おはようございま~す。お先にぃ~」
と挨拶をして、颯爽と抜かして行く。
満更知らない人でもないので、普通であれば当たり障りのないことをひと言、ふた言交わすところかも知れない。
どうやら今はそう言う状況ではなさそうだなあ。フフッ。
新型コロナウイルス感染症騒ぎの所為か? ついつい他人との距離を感じてしまう朝であった。
コロナ禍や人との距離を遠ざけて
コロナ禍や挨拶だけで擦れ違い
コロナ禍や挨拶だけで遠ざかり
そこまで書いた時、後ろから声が聞こえた。
「ブログさん、今日も快調ですねえ!?」
珍しくファンドさんであった。
大分前のこと、その日も後ろから声が掛かったことがある。
「藤沢さん、何してはりますのん? 報告書か何かまとめてはるんですかぁ~!?」
その時は職場の皆にまだブログを投稿していると言っていなかったし、見せる自信もなかったので、
「いや、別に遊んでるだけですよぉ~。日記書いてますねん」
適当に答えておくと、
「そうですかぁ~」
ファンドさんはそれで興味を失ったように手にしていたiPhoneの液晶画面に視線を戻し、ぶつぶつ独り言ちながらメモを取り始めた。
慎二としても、ファンドさんが慎二のしていることを気にしていたようなのが、慎二も遊んでいることを知ってからは気を楽にしたようなので、むしろホッとした覚えがある。
それ以後、お互いに干渉せず、始業までの間それぞれが気楽に好きなことをして過ごすようになっていた。
それはまあともかく、その日のファンドさんはちょっと気に掛かることがあったようである。
「ファンドさんも花粉症、きつそうですねえ!?」
「そうですねん。ゴホン、あっ、すみません!」
《そう言えば、この頃ファンドさんは時々咳き込んでいるなあ・・・》
一瞬慎二は気になったが、慎二自身も花粉症の所為で花がムズムズ、喉がイガイガし、時折ついつい咳をしてしまう。
「俺もやし、お互い花粉症やから、そんなに気にせんときぃ~。それよりまだ内、テレワークとかさせてくれへんのかなあ!?」
ファンドさんはちょっとした役に付いているので、慎二としては何か情報が得られないかと思ったようである。
「いや、ズームを使ってのオンライン会議でも、まだそんな話は出てませんよぅ。でも、今日ぐらいそんな話、出るんちゃいますかねえ。ここは一応公的機関やから、大阪府から要請が出て、全く配慮しないのも不味いでしょう!?」
休み好きの慎二はちょっと微妙な気がしたが、ファンドさんのところの子どもらが小さいことも気に掛かった。それに、お年寄りが一緒に住んでいるとも聴いていた。
「ふぅ~ん、ところで、ファンドさんとこ、子どもさん、どうしてるん? それに、お祖母ちゃんが居てはるって、言うてたなあ?」
「内、嫁さんのところがテレワークになりましてん。そやから大丈夫です。そやけど、今ブログさんも言うてくれはったように、お祖母ちゃんのことは心配ですわぁ~。もう95歳になりますから・・・」
「確かに、移ったらあかんもんなあ・・・。でもまあ、とりあえず子どもさんのことは好かったなあ・・・」
「ありがとうございます。そう言うたら、この前言うてたWindows10に移行する件、どうなりましたぁ~?」
パソコンに詳しいファンドさんがこの前、慎二と井口清隆、すなわちメルカリさんのぎこちない遣り取りにムズムズしたようで、まだ無料でWindows7からWindows10に変更出来ることを教えてくれたのであった。
「嗚呼、あれなあ・・・。メルカリさん、結局買えなかったらしいわぁ~。でも、俺がここで使っていたWindows7が入ったHPのノートパソコンと家で使っていたWindows7が入ったHPのデスクトップパソコンでやってみて、ほんまに出来たわぁ~。そやけど、何かそう言う仕様になってるらしいけど、DVDが観られへんようになったでぇ~」
聴いていて然もありなんという表情になったファンドさんが、
「そうでしょう!? Windows10の場合、DVDを視ようと思ったら基本的にはアプリを買わなあきませんけど、Windows7や8.1からアップグレードした人は更にアップデートしたら無料で使えるようになるそうですよぅ~」
「ほんまぁ~。そうやったんかぁ~!? それは助かるから、今度やってみるわぁ~! 出来んかったら、また訊くから、教えてやぁ~!」
「はい。別に構いませんけどぉ・・・」
「そやけど、ファンドさん、ほんまによう知っているなあ~! 流石やわぁ~」
「まあ、大学の時からパソコンのことを勉強しようと思い、選んで入った学科で専門としてやってたから、パソコンのことをある程度知っているのは知ってますけど、別にパソコンが本当に好きなわけやないのが大学に入ってから分かりましたわぁ~」
ファンドさんが大学時代のことをこんな風に話し出すのも珍しい。
慎二は大して強くもならない柔道の部活に多くの時間を取られ、学業成績の方はさっぱりで、話すのが恥ずかしいぐらいの大学時代であったから、聴く方に回る。
「でも、前に国立浪花大の工学部や言うてたし、それにある程度は何をやっているか分かって入ったんやろぉ~!?」
「まあ少しはぁ~。でも今はよく言われているように、入学する前に見学に行ったわけではないし、入ってから半導体とか、其方に興味が移ったから・・・」
「ふぅ~ん。それでも、単に高校の時に定期テストで理科の点が好かっただけで選んだ俺よりは大分ましやん!」
「・・・・・」
同じ大学を出たと知っていても、初めは自分より大分スマートに見えるファンドさんにちょっと臆していた慎二は、ファンドさんとこうしてじっくり話してみると、意外と話の通じる部分を感じるようになり、しばしコロナ禍のことを忘れていた。
気が付けば井口清隆、すなわちメルカリさんは既に来ていたが、珍しく2人の会話が弾んでいるのを見て、邪魔しては悪いと思ったのか? 静かに仕事の準備を進めていた。
また、慎二の机の上には熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みが2つ置いてあったから、事務を担当する若い依田絵美里も2人の会話を邪魔しないようにそっと置いてくれたらしい。
話す内近しいものを感じ出し
緊張解けて嬉しいのかも
珍しく何時もと違う雰囲気に
同僚達も気を遣うかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人との出会いが広がることも職場の効用のひとつである。
勿論、職場に入る練習の場である学校にも同様の効用がある。
学校、職場にような公の場を持たずに人との繋がり、才能を見出すチャンスを広げようと思っても、凡人には中々難しい!?
学校や職場新たな出会い有り
生きる世界を広げるのかも
今ちょっと有名になっている不登校ユーチューバーのゆたぼんなんか、色んな取り組みにチャレンジし、新たな人脈を広げ、結構アグレッシブであるが、彼はまあ凡人ではないようだしね。
人並み外れて優れているか、劣っているかに付いては現時点で何とも言えないが、変わっているか、変わろうとしているのは事実であろうから・・・。
ただ、それ以外の凡人は凡人なりの生き方を楽しめば好いのであるが、そこに拘り過ぎるのもしんどい。
いわゆる同調圧力が強過ぎると、その社会に中々入り切れない人をつい排除したり、苛めたりしがちになる。
その辺り、少しは余裕を作り、選択の余地は残しておいて欲しいものだなあ。
組織では選択の余地残しつつ
繋がり合えば面白いかも