その21
令和2年4月15日、水曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液で手指を消毒する。
大分前から置いてはあったが、使い始めたのはここ数日のことであった。幾ら呑気で不精者の慎二であっても、世間には流石に気になるような緊張感が漂っている。そして一旦し始めると、しないことが小心者の慎二には結構大きな不安になって来るのであった。したがって、ついでに洗面所に寄ってうがいもしておく。
そんな一定の安心感が得られるまでの儀式的なことまで済ませ、ふぅーふぅー言いながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、ちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液晶画面を食い入るように見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、頻りにメモを取っていた。
「おはよ~う」
「おはようございま~す」
そんな習慣的な朝の挨拶を交わした後、大阪府に休業要請が出されたことに対応するこの職場の対応、通勤電車の混み具合、ファンドさんの一番の関心事である株価の変動等、一頻り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、そばにはテザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。
何か迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出し、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。
ファンドさんの関心は既に投資情報に移っており、またiPhoneの液晶画面を見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。
朝のひと時雑詠
昨日の帰りは1時間近く歩いて職場から最寄り駅より2駅遠い近鉄瓢箪山駅まで足を延ばしたが、それだけのことで、脚が疲れるだけではなく、ちょっとふらふらして来た。
寝不足、運動不足に加えて、マスク越しの呼吸が続いている所為かも知れない。
中々心身共に快調と言うわけには行かないようだ。
それはまあともかく、日曜日に関東から帰って来た子どもも居り、我が家はまた満杯になった。
家族全員が近くにいることで安心感はあるが、これから食事の用意、掃除、洗濯等、家事がまあまあ大変になるように思われる。
それもあってか? 子ども等が食事のメニューを考える手伝いをし始めた。
他にも洗濯物の取り込み、掃除とか、出来ることから少しずつ、である。
コロナ禍や家族の絆揺るがせて
コロナ禍や家族の絆強くなり
前者はネットの記事からでもよく窺われることであるが、何れであっても、色々と考えさせ、振り返らせるコロナ禍ではあるなあ。フフッ。
なんて、笑い事ではない!?
ところで、ここ暫らくで2回ほど通販を使ったが、米国のアマゾン倉庫に関する記事とかを読むと、三密真っただ中の環境における、かなりブラックな就業状態等、不安に思っていたことが現実に起こっているようである。
実店舗でもその不安はあるから、スーパー、銀行等を出る時に手指を消毒する人もいるのだろう。
今はそれも納得が行くようになって来た。
中々徹底は出来ない分、新型コロナウイルス感染症がじわじわと広がっているようであるから、気休めも含めて、それぞれが出来る範囲でやるしかない!?
なんて、何とか気持ちを浮上させようとする私のことを家人は楽天的なように言うことがある。
昨日、職場の同僚が自分の父親のことを前向きだと言うので、年齢を訊いてみたら、65歳だと言う。
私と同世代である。
この世代は、社会全体が戦後復興期から脱し始め、高度経済成長期に入って行く昭和30年代から40年代に子ども時代を過ごしている。
フランスの実践哲学の大家、アランの幸福論なんかがしっくり来る、人生に期待を持ち、努力が報われることを信じている世代とでも言えようか!?
話している内に、ネクラ、ネアカと言う、今ではちょっと懐かしくなっている話題も出て来た。
そうは見えなかった同僚は、実は自分のことをネクラだと思っているそうで、時々夏目漱石の作品を読んで慰めると言う。
私が若い頃によくネクラだと言われたと言うと、ネクラ、ネアカがそんなにも前からあった言葉なのかと驚いていた。
ウィキペディアによると1980年代に人をネクラ、ネアカと類型的に見ることが流行っていたように書いてあるから、1978年に大学を卒業した私が働き出して間もない頃に言われ出したのと大体一致している。
それはまあともかく、当時から私は話が佳境に入ったかと思うと、重苦しい議論になるのを避けられがちであるので、あまり言い返しはしなかったが、思春期を迎えて色々と考え、悩むようになれば、沈んで見えることもあり、言動がそうなることもあるだろう、ぐらいに思っていた。
要するに、何時でも誰かとつるみ、常に明るく見える人なんか殆んどいないように思うのである。
もしいたとしたら、やっぱりちょっと変!?
それとも実はまだ子ども!?
現実にはたとえ短くても何処かで独りの時間を持ち、バランスを取ることが必要であろう。
弾けたら収める時間欲しいかな
弾けたら収める時間欲しいもの
移動している内に少しましになって来たが、朝、起きた時はかなり寒かった。
それに、換気していた居間に入るとくしゃみが出て仕方が無かった。
花粉が飛び交っていたようである。
私が直ぐに引き戸を閉めようとすると、子どもが、
「父ちゃん、コロナよりも花粉の方がまだましやろぉ~!? フフフッ」
と笑いながら言うが、アラン流に過去や未来のことを考えず、目の前の現実、つまり今を考えれば、私はやっぱり花粉が辛い!?
コロナより近くの花粉気に掛かり
コロナより近くの花粉悩ましく
まあ人にはそんなところがある。
話は変わるが、朝、トイレで座っていて、ネットの卑近さ、下品さ、自由度等がテレビのCS放送に似たものを感じ、BS放送、地上波放送と遠くなって行くように思われた。
CS放送でつい眉をしかめながら面白がってしまうCM、食事中の排泄物どっさり、昼夜構わぬ微妙なところもっこり系がネットにも散見されることから、頭の中で繋がって来た。
猥雑だけど、それ故の面白さもある!?
ただ、野放しにしてしまうと、人権に係ることも出て来るから、そこに個人個人の節度、システム的な制限等も必要になって来るのだろうなあ。フフッ。
書き出す前にちょっと気に掛かったのは、昨朝ファンドさんと少し立ち入って話したことを思い出しながら書いたからである。気にするようであればブログに上げるのをやめようと思い、慎二はファンドさんに声を掛けることにする。
ファンドさんもちょうどひと息吐いて温めのコーヒーを飲んでいる時であった。
「ファンドさん、ちょっとええかぁ~? 昨日2人で話してたことが頭にあってこんなん書いてんけどなぁ~」
投資の方が上手く行っているのか? ファンドさんは穏やかな微笑を浮かべながら、
「あっ、そうですかぁ~!? どれどれ、ふむふむ、・・・」
ファンドさんは頭の回転がえらく好いようで、目の動きが驚くほど速く、ざっと読み進めて行き、
「ハハハ。そやけど、こうして文字になると何だかスマートで恰好が好いと言うかぁ、自分とはまるで違う人のように思えますねえ。ハハハハハ」
特に気にしている様子はなかったので、慎二はホッとし、気にせずにブログに上げることにした。
ファンドさんもそれで好かったようで、再びiPhoneの液晶画面に目を移し、ぶつぶつ独り言ちながら熱心にメモを取り出した。
ファンドさんの反応から考えてもまあまあ上手く書けたのかと思い、慎二がしみじみとしていたら、
「おはようございま~す」
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
慎二はちょっと自信が出て来て、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問い掛ける。
「メルカリさん、どう、これぇ~? 今日もまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」
「流石ブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」
半分呆れ、半分感心しながら、気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、
「あっ、これもしかしたら、昨日の朝、ファンドさんと何やしんみり話してはったことですねぇ~!? こんなん書いても、ファンドさんは別に何も気にしてはらへんのですかぁ~?」
「うん、今見てもろたとこやけど、文字にしたら恰好が好うなるなあ言うて、笑てはったでぇ~」
「ハハハ、そうですかぁ~。そしたら僕のことも恰好好く書いてくださいよぅ~。僕のこともしかしたら、メルカリでちまちま儲けてるちんまい奴、みたいな感じで書いてるんとちゃいますかぁ~!?」
《ズキッ!》
中々鋭く、当たらずといえども遠からずと言う感じだったので、慎二はちょっと目を泳がせながら、
「いや、そ、そんなことないってぇ~! それに、もしブログに上げるとしたら、今もファンドさんに見てもろたみたいに、メルカリさんにも見せるからなあ・・・」
慎二の慌てようが面白かったようでメルカリさんは笑いながら、
「ハハハ。僕、別にそんなん気にしてませんから。ハハハハハ」
そう言ってほくそ笑みながら軽やかに立ち上がり、給湯室にコーヒーを淹れに行った。
それを聴くともなしに訊いていたのか? 事務を担当している若い依田絵美里までが微笑みながら熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを持って近付いて来て、
「ウフフッ。ブログさん、私のことも可愛く書いて下さいよぅ~」
と言って、慎二の机の上にその湯飲みをそっと置き、すっと遠ざかった。
それだけで慎二は緊張で頬を紅潮させ、耳たぶをひくひくさせていた。
それぞれの仕事が始まり、ひと段落した時に慎二がふと思うことは、大阪府に出された休業要請を受けてテレワークが中心になると、毎朝のさっきみたいな他愛無い遣り取りも出来なくなる、と言うことの意味であった。
《こんな風に気の合った同僚と離れる寂しさもあるが、それによって得られていた情報が得られなくなるし、気分転換、発想の転換等もし難くなる。それに、自分でペースを崩さずに仕事を進める難しさもあるなあ・・・》
どうやらテレワークが許可されそうな雰囲気を感じて慎二は、一抹の、いやそれ以上の寂しさと不安に包まれていた。
テレワーク孤独と自律求められ
大人でなけりゃ難しいかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
上記のような不安と言うか、面倒臭さもあったのか、現実の私はテレワークをしないままに完全退職してしまった。
今、心身のぼけ防止もあって、テレワークで必要とするような時間管理、作業の進め方等を自分に課そうとして、やっぱり中々難しいことを実感している。
と言うわけで、テレワークが認められた組織の先進性に感心し、そこでテレワークを上手くこなしている人の自律性に感心している。