その13
令和2年4月1日、水曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入り職員証をスリットした後、息を切らしながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入ると、正木省吾、すなわちファンドさんが何時も通り、ちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液相画面を見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、頻りにメモを取っていた。
「おはよ~う」
「あっ、おはようございま~す」
これも何時も通り日常的な朝の挨拶を交わした後、この日は世間話をしようともせずにファンドさんはiPhoneの液晶画面に視線を戻し、メモを再開する。
《株価がよほど気になる動きをしているのか!?》
と気にならないではなかったが、自分では始める気にならない小心者の慎二にとっては野次馬としての関心に過ぎないので、その日はそれ以上構わないことにし、取り留めもない世間話を諦めて自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。上手く書けたと思う時は直ぐにブログにアップ出来るようにそばにはテザリング用に格安SIMを差したスマホまで用意しておく。
それから束の間、何を書くか考える様子であったが、決心が付いたのか、小さな声で「よし」と独り言ち、おもむろにメインで使っているスマホを取り出して、通勤電車の中でメモしておいたものを元に「神の手」に起こして行く。
朝のひと時雑詠
令和2年度が始まった。
と言っても、我が家の子どもの場合は今のところ学校の始業が平常時の予定に比べて1週間ほど延期されているが、この先一体どうなって行くのか!? 今のところ、よくは分からない。
私が勤めている職場の場合はまだ基本的に在宅ワークが認められていないから、まあ暫らくは職場通いを続けるしかない!?
お上からもっと強力な外出規制が掛かれば別であるが、今のところ研究所の本部としては周りをもやもやさせながら、そこまでには中々踏み切れないようだ。
仕方がなく不安ながらも通勤電車に乗って通っているが、今朝も隣に座っているオジサンが盛大なくしゃみをし、その後暫らく咳き込んでいた。
《流石にマスクをしているだろうから、まあ好いか!?》
と自分の気持ちを何とか落ち着かせていたが、降りる時にチラッとそのオジサンを観たら、何とマスクをしていなかった!
その後ずっともやもやしている。
我が国の庶民の危機意識はまだまだそんな感じに留まっているようだなあ。フフッ。
なんて書いていたら、また鼻がもぞもぞして来た。
見えねどもコロナは飛んでいるんだよ
見えねどもコロナは飛んで来るんだよ
笑い事ではないが、我が国の場合、宗教、哲学、倫理、人権意識、コンピュータソフト、精神的な障害、等々、見え難いものに対する意識がまだまだ低いように思われる。
なんて書いていたら、世界の彼方此方でアジア系、特に黄色人種が差別を受けているところを見ても、今回人間全体の未成熟度が炙り出されているようである。
それ故、神様の鉄槌のように言いたがる人もいるようだが、それも本当かどうかは分からない!?
と言うか、神様の存在など、ドライに生きている人にはあり得ない世界観なのかも知れない。
ともかく、もやもやした気持ちで叩き合っている場合ではない。
また、はた迷惑な変なことをして構ってちゃんをしている場合でもない。
分からないことだらけではあっても、この暗闇から抜け出すことに気持ちを合わせたいものである。
反目は暫らく置いて協力し
それはまあともかく、志村けんさんが亡くなったことに対する反響は海の向こうにも広がっているようだ。
言葉だけではなく、音、動作等からも分かる笑い。
いや、音、動作等、言葉以外のものだけから分かる笑い。
我が国において老若男女を問わず受けているだけではなく、それを海外にまで広げているんだから、凄い!?
それから、コメディアンに徹し、殊更に頭の好さを見せようとしなかったのも流石である。
笑いの芸は難しい、と実はずっと昔から多くの人が分かっている。
だから、お笑い芸人の頭の好さに付いてもそう。
でも、この頃の芸人はただ笑われるだけでは飽き足らないようだ。
学歴が高く、それに伴ってプライドも高い所為か? お笑いについては勿論、政治、経済、哲学、芸術、一般常識等、何についても語りたがる。
今日出ていた記事にはそんなことにも触れられていた。
芸人は芸を見せれば好いのかも
なんて書くと誤解されるかも知れないが、語りたければ語れば好いが、語らなければいけないものでもない。
分からないものでもない。
要するに、頭の好さをわざわざ見せようとする必要はない、と言うことである。
その日も自分なりには上手く書けたと思い、慎二がしみじみとしていたら、
「おはようございま~す」
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
慎二はちょっと迷い、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問い掛ける。
「なあなあ、メルカリさん、どう、これぇ? 今日もまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」
それだけのことで小心者の慎二は、緊張で頬を少し紅潮させ、耳をひくひくさせている。
「ブログさん、ほんま毎朝、よう精が出ますねえ・・・」
半分呆れ、半分感心しながら、
「どれどれ、ふむふむ、・・・」
気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、
「ほんま、内の組織、中々仕事を減らしてくれへんけど、流石に電車での通勤は緊張しますねえ・・・」
と言いながらメルカリさんは、さり気無く慎二から距離を取る。
「あっ、今、避けたなあ~!?」
「いやぁ、別にそう言うわけではないんですけどぉ・・・」
目を泳がせているメルカリさんを面白がり、慎二は磊落な振りをしながら、
「ハハハ。そりゃこんなん読んだら当たり前やから、気にせんでええんやでぇ~。メルカリさんとこ、子どもさんまだ小さかったもんなあ・・・。ハハハハハ」
それを聴いてメルカリさんはホッとしたように、
「そうですねん。今年下の子がやっと小学校に上がりましてん!」
「そう言うたら前にランドセルもメルカリで探してたなあ!? あれ、どう。ええのん見付かったんかあ?」
興味津々と言った感じで慎二が訊くと、
「嗚呼、あれねえ? あれは止めましてん。お義母さんが結構ええのん買うてくれはったから・・・」
「えっ、見映えよりも安さに拘るメリカリさんが、そこではやっぱり高いのを買うてもええわけかぁ~!?」
「そりゃ他人の金ですから、別にこんな場合は気になりません・・・」
「ハハハ」
慎二はメルカリさんの現金さが面白かった。
話している内にメルカリさんが前に印籠のように見せていた職務免除について書いたプリントのことを思い出した。
「そう言うたら、メルカリさん。子どもさんが小学生やったら、こんな場合、休みたいときに休めるんとちゃうん!?」
メルカリさんは心底嬉しそうに、そのプリントを大事にしまってあった引き出しから取り出して、
「そうですねん! 言う手はるのはこれのことでしょう!?」
「まあメルカリさんとこ、2人とも働いてるしなあ・・・」
休み好きの慎二は羨ましさを隠し、自分も通って来た道、と思って先輩としての一定の理解を示しておいた。
あんまり自慢げに言うのも何だと思ったのか、メルカリさんは直ぐに話題を替える。
「そう言うたら、志村けんさんのこと、残念でしたねえ!? 僕、ほんまにショックでしたわぁ~」
心底そう思っているようであった。
慎二は正直なところ、そこまででもなかったが、子どもに付き合ってバカ殿なんかはつい最近までよく視ていた。
「メルカリさんなんか、自分からよく視ていた世代なんかなあ?」
「そうですねん。子どもの頃からずっと観てましたわぁ~。何を言うてるか大して分からんでも、何か面白くて・・・」
「その何か面白いのがええんやろなあ~。ここにも書いたけど、外国人にも結構受けていたらしいでえ・・・」
それだけでもう何だか誇らしくなる、ある意味ごく日本人らしい日本人の慎二であった。
最早そんなことには拘らなくなった世代なのか? 個人的にそうなのか? それは分からないが、メルカリさんはただ笑っていた。
暫らくして慎二は、父親の浩治が亡くなった時もそう感じていたように、志村けんが亡くなったことは残念にしても、この世から完全に無くなったわけではなく、心の中には今までとそう変わらない存在として残っている気がしていた。
気が付けば慎二の机の上にはお茶とシュークリームが1つ、そっと置いてあった。
何時もであればひと声掛ける事務担当の若い依田絵美里であったが、この時は近付いても遠くに思いを馳せているのか? 珍しく自分に気付かない慎二に声を掛けるのが躊躇われたようである。
またひとり心の中の存在を
しみじみ思う朝になるかも
亡くなった後も心に生きている
そんな存在増えて来たかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もう遠いことのようになって来たが、志村けんさんが昨年の3月に新型コロナウイルスに感染して亡くなったのであった。
その直ぐ後、昨年の4月には女優の岡江久美子も同様に亡くなった。
それからも何人か、有名人が同様に亡くなっている。
有名人が亡くなると、じわじわと近付いていることが実感として強くなったものであるが、この頃では我が国全体で100人前後、大阪府で10人以下と低レベルで推移している。
本当にこのままの状態が続いてくれるのであろうか!?
ついつい期待したくなり、気持ちが緩み始めているが、世界的に観るとそうでもないから、安心し切っているわけにも行かない。
そして、来年の2月には北京で冬季五輪が開催される。
それが今後どのように影響して来る!?
不気味な静けさが漂う冬だなあ。
コロナ禍や静かな冬が過ぎて行き
コロナ禍や不気味な冬が過ぎて行き