sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(10)・・・R2.8.17②

              第4章

 

              その3

 

 少なくとも、結婚を前にした不安に揺れる安永真衣子を優しく包むだけの度量は、藤沢慎二にはなかったようである。

 それどころか、ことが難しくなり、そんな時に限って慎二が頼りにならないと感じるのか? 感情的になって乱れ出す真衣子のことを疎ましく思い、何とかその気持ちを抑えようとすればするほど、慎二の気持ちは赤坂響子改め本山響子等、身近な他の女性に惹かれて行くのであった。

 ただ、女心に疎い慎二からすれば不思議なことに、求めれば求めるほど、響子の態度は素気無くなるように思われる。

 たとえば、学年の宴会等で話をしたいと思ってそばに寄ると、適当にあしらわれて、サッと離れられてしまうのだ。

 手繰り寄せられては遠ざかられてしまう。そんな揺さ振りは響子が結婚することで終わったはずであるのに、慎二の心の乱れを鋭く感じ取った響子は悪戯心をまた芽生えさせ始めたようである。

 少し離れてみれば馬鹿馬鹿しいほど子ども騙しのような呪縛に、慎二はあっさりと囚われていた。

 それだけではない。最初の赴任校である秋川高校での教え子、古賀紀子の存在がまた慎二の胸を乱し始めた。

 

 7月下旬、天神祭りの夜のことである。

《この日ばかりは余計なことを考えずにデートを楽しもう》

 と考えた慎二は京橋で真衣子と待ち合わせ、

《もしかしたら浴衣姿で来るのかなあ!? 意外と可愛かったりして。どうやろなあ? そやけど、今日も遅いなあ・・・》

 真衣子の遅いことに、何時も通り苛々していた。

 暫らくしてJR京橋駅の改札口を抜けて来た真衣子は何時も通りの地味な格好で、申し訳程度に駆け寄ろうとする。

《嗚呼、何時も変わらへんなあ。地味な服装も約束時間に遅れるのも、少しも変わらへん。やっぱり、俺に会うのは面倒臭いのかなあ・・・》

 慎二は何時も通りの冴えない表情で迎える。

「すみません。こんなに大勢が集まる祭りのことだし、どんな格好をして行けばいいのかなあ? と思ったらすっかり迷ってしまって・・・」

《嘘を憑け!? 何時もと丸っ切り一緒やないかぁ~》

 と思いつつも慎二は、

「そんなこと別に気にしなくてもいいのに・・・。何時もと同じで十分ですよ。庶民の祭りなんだから」

「そう言って頂けると有り難いですわ。本当は浴衣でも着た方がいいのかなあ? とも思ったんですけど、人が大勢いて大変そうだし、それに、あまりいいのを持っていなくて恥ずかしかったから、やっぱり止めたんです。そんなことで迷っているうちにすっかり遅くなってしまって。本当にどうもすみませんでした・・・」

「いえ、そんなこと・・・。では行きましょうか!?」

 真衣子には何時でも何らかの理由があり、それは悪気ではなく、むしろ慎二のことを考えてのことであるから、その都度慎二は笑って許すしかなかった。

 気分を変えて人の波に乗り、桜ノ宮の方に回って川沿いに下りて行くと、彼方此方から合流する人波を飲み込んだそれは最早人波などとは言えないほどに一様で、太い流れになっていた。

 それでも勇気を振り絞ってその中に入ってみると、それぞれ思い思いの方向に蠢いており、食べており、騒いでいるので、慎二はまるで腸内に進入した菌にでもなったような気分になった。

 慎二は触れ合う人の感触、臭い、首筋に掛かる息、間近に見える汗に濡れた肌、後れ毛を楽しみつつ歩いているうちに真衣子の存在を忘れ、恍惚となっていた。

 その時である。紀子が確かに通り過ぎたように思ったのは!

 しかも、今風の若い男の後をちょっと困ったような表情をしながら、必死になって追い掛けている。

《去年の春に手紙を出した時は何も言って来なかったけど、紀子にはやっぱりいい人がいたんやぁ~。そりゃそうやなあ。未だ22歳になったばかりやし、あんなに可愛いねんもんなあ。そやけど紀子、あんな困ったような顔して、ほんまに幸せなんやろか!?もしかしたら泣かされてるのとちゃうやろかぁ~》

 擦れ違う瞬間にほんの僅かな時間目にしただけである。それも実際には、多分紀子だろうと思われただけである。それなのに慎二は、元々紀子の方が本命であった為、少しの心の乱れでドンドン想像を膨らませ始めた。

 その後は余計に真衣子の方に気が向かないし、真衣子の方でも自分に関心を向けない慎二とただ人混みを流されるように歩いていても少しも面白くない。天神橋まで通り過ぎた時、慎二が、

「この辺のどこかでお茶でもしますかぁ~!?」

 と気を遣っても、真衣子は、

「いえ、遅くなりますし、それにもうどこも席が空いてないでしょう。今日は疲れたし、これで帰りましょう!?」

 と素気無く言うだけであった。

 慎二としても実際にはその方が有り難かったから、ことは自然の流れに従うもののようである。

 

 後日、慎二は家の近所で偶然紀子とぱったり会い、確かめるともなく確かめたところ、紀子には高校を卒業してから付き合い出して4年目になる彼がいて、もう直ぐ結婚の話が出ると思っていたのに、結局上手く行かなくなり、ついこの前に別れた、とのことであった。

 会えば恩師の顔になってしまい、会った機会に迫ってみるなどと言う器用なことは、気持ちは十二分にあっても、いやあり過ぎるからこそ、とても出来ない慎二であった。

 その分、独りになると妄想は膨らみ出し、

《嗚呼、あの時はやっぱり紀子と彼との間が駄目になった時やったんやぁ~!? 泣きそうな顔をしてたもんなあ・・・。でも、20歳になったと言うて葉書が来た時は、もう既に彼がいたと言うことかぁ~!? そうやったら、何であんな思わせ振りな葉書を送って来たんやろ? 折角忘れ掛けていたのに、あれでまた。すっかりその気になってしもたがな・・・。そやけど、別れたと言うことは、もしかしたらまた俺にも可能性が出て来たと言うことかなあ!? フフフッ。ほな、また手紙でも書こうかなあ。いや、やっぱりあかんわぁ~。あの祭りで擦れ違った時、紀子に真衣子の存在を見られてしもたし、それで紀子に迫ったりしたら、どんな奴やと思われてしまうがなあ。いやいや、去年の春、俺が紀子と真衣子に手紙を出し、ほんまは紀子が本命やったことを正直に言うたら、かえって感動してくれるんとちゃうやろか!? 元々俺のことを好きやったわけやし、本音をぶつけたらきっと分かってくれるはずや・・・》

 薄暗い部屋でニヤニヤしながら小振りな自らのオネスト・ジョンを握り締め、独り恍惚としていた。

 そう、結局、何時でも文句ひとつ言わずに慎二に付いて来てくれるのは、生まれてこの方、多少の変形はあっても死ぬまで慎二から離れようがない、正直者のジョン君しかいなかった。慎二もそれが分かるだけに、淋しくなったり、不安になったりすると、自然とそこに手が行ってしまうのであった。

 

        男とは幾つになれど甘えん坊

        分身握り落ち着くのかも

 

※ 男とは小心者で、甘えん坊なものである。そういう意味で、幾つになっても甘えん坊、という間寛平のギャグは当たっている。と言うか、本質を突いてるからこそ、ギャグとして受けるのであろう。そしてそんなギャグを連発出来るからこそ、一流コメディアンとしてずっと受け入れられて来たとも言える。ともかく、男は甘えん坊で、寂しくなった時、寒くて不安になった時等、ついつい自分の分身であるオネスト・ジョンを握りしめたくなるもののようである。恋をして結婚でもすればそれが伴侶に替わる時期もあるが、人は基本的に孤独である。落ち着いた関係になると、また元と同じようなことをしていて、伴侶に笑いながら指摘されたりもする。