sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

究極の魂!?・・・R2.3.10①

 人工知能が実用化されてから久しくなった21世紀末のある年のこと、脳内データである意識、記憶と言ったものがありのままにコピーされるようになった。意識を電気的なデータの形で残しておき、本人の方に何かあった場合、再生可能にしておこうというわけである。

 遠い昔、人類が誕生した頃を考えてみれば、意識と言うものが高まってくると魂が芽生え、身体の中にこもるようになったはずである。ちょうど電圧が低いうちは何の反応もせず、ある値を超えると点灯し出すLEDのようなもので、この例だけからでも、人は自然に似せて色々な機器を生み出して来たように思われる。

 そんなこんなで、これまで中々再生されなかった脳、そして心と言うものが、何と本人が生きているうちに再生されるようになってきた。

 その過程で、魂的に同じ人が2人存在することもあるだろう。本人から吸い取り過ぎて、コピーは優秀に取れても、本人自体が駄目になってしまう悲喜劇もあるだろう。或いは間違って他人の分のコピーまで加えてしまうこともあるかも知れない。

 そんな危なっかしいことを言っていたのも21世紀までの話で、22世紀にもなると脳のコピーや魂の再生程度までは当たり前にコントロール出来るようになった。

 そう! 悪い部分は削り取り、他から善い物を持って来て、理想のと言うか? 人間にとって希望の魂を作り上げることも可能になったのである。

 そうなって来ると、変なことや悪いことを考え付き、実行までしてしまう奴が出て来るのも世の常。究極の悪い魂が作られるようになった。また、人間捨てたものでもなく、究極の善い魂も作られるようになった。

 何をしても悲しみもあれば喜びもある。好悪どちらの感情も持つものである。人間にとっては究極の悪である人殺しでさえ、殺された人に極めて強いマイナスの感情を持っていた人を喜ばせることになるし、幾ら善いことをしたと自負していても、1人や2人嬉しく思わない人がいるであろうし、何にでも逆恨みする人もいるものである(※)。

(※この辺り、ネットの発達した現代、一般人の制御し切れない、垂れ流し的な発信に如実に表れている!?)

 結局、究極の悪人、究極の善人共に、色々考え出すと何も出来なくなり、夜も眠れず、ただ彷徨うだけのことになった。

 広いようで狭いのが地球。いや宇宙全体に広げてもよい。有限である限り、彷徨っていれば何時かは出会うもの。まして、どちらも究極の魂を持つから、発している電磁波や電磁粒子、つまりオーラも極めて強い。

 当然、お互いが少しでも近づくと予想を遥かに超える強さで引き合うことになる。

 出会いは意外と早かった。一世紀も経たないうちに出会った2人の究極の魂を持つ人は互いの引力圏を重ね合うと一瞬のことであった。

  バシバシ、ピカピカ、ドッカン、ドドド、ドッカ~ン!!

 そんな陳腐で生易しい音や光ではなかったが、拙い私の表現力ではこれで精一杯。もう少しの間我慢して貰うしかない。あと少しの辛抱だから、ここでめげずにもう暫らくお付き合いを願いたい。

 それはまあともかく、結局2人の究極の魂を持つ人は瞬間的に交わり合い、融け合って渾然一体となり、究極の、いやごく普通の魂を持つ人になりましたとさ。

 えっ! こんな簡単なオチでいいのか、って?

 そう。現実は平凡なものなのである。と言うか、究極に行き過ぎたときは真ん中に戻るように自然は作られている、とでも言うべきか? だから今の偏りが幾ら大きく見えても、世の中そんなに捨てたものではない!? 信じる者は救われる、と言うお話でした。

 

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 大分前に書いた小話である。

 

 同好の士とメールで小話の交換していた頃のことか?

 

 ともかく、原子が集まり、何億年と長い間揺らされていると分子、高分子となり、そこから有機物、細胞となるのも分からないが、細胞が集まり、多細胞生物、動物となり、進化のある過程でパッ! と魂が生じる!? なんてもっと分からない。

 

 信じられない話で、それは今も同じである。

 

 だから、ついついある意思と言うものを持ち込み、信じたくなる。

 

 遠い昔、その何故? を置いて来たから科学が発達したと言うのに・・・。

 

        人は皆信じたいこと信じつつ
        核の辺りで生きるものかも

 

 その中心となる核なるものが本当にあるのかどうかも分からないが、あると信じた方が安心して生きられるのであれば、想定し、信じておけば好いのかも知れない。

 

 昔から彼方此方で行われて来た人類の知恵である。