第1章 懐かしい声(その4)
近況報告もひと段落下頃、脇坂が突然のように言った。
「ところで、矢野とはあれからどやってん?」
「どやってん、って?」
「告白はしてみたんかぁ?」
「う~ん、高校に入ってから手紙は出してみたんやけど、返事が来んかったから、それっきりやぁ~」
「返事が来んかったら、また出さんかいなぁ。森川美咲なんか、俺のところに何回でも年賀状や手紙を出して来よったでぇ。勿論、俺からは一回も返さんかったけどなぁ~」
ちょっと自慢気に言う。
何が勿論だ!
それにしてもよく持てる奴である。矢野正代が私のことではなく、自分のことを思っていると言っておきながら、森川美咲ともそんなことがあったのか! 初耳であった。
「俺は森川みたいに強くないからなあ」
「ほな、あいつとはあれからどやってん? ほら、お前が暫らく交換日記していた大谷邦子やぁ~」
「うん、大学の時に大谷の他に、進藤、辻本、田中、小松、それに森川もおったなあ。あいつらと一緒に宝塚のファミリーパークに遊びに行っただけで、それからは何もないよ」
私にすれば比較的に自分を出し易く、のんびりと出来て、気の置けないグループであった。
「嗚呼、あのおもろないグループなあ。そやけどお前、中学校のとき、酷かったなあ。交換日記を皆に見せるやなんて、あいつ、後からほんまに怒っとったでぇ~」
脇坂は自分が活発で、人気者であったから、他人のことは言いたい放題である。
それに、人が気にしている旧悪を容赦なく責める。元はと言えば、見せろと迫ったのは脇坂ではないか!
それでも、決断して公開したのは確かに私であるから、何も言えなかった。
しかし、異性に対して極端なほどに弱い私が、振られたことも含めて平気で口に出せるほど、時間が過ぎ去っていたようだ。
それから更に暫らく経って2005年の春のことである。生来の無精者である私が柄に似合わず、現在の職場である曙企画の作業場の大掃除を率先してやっていたものだから、気持ちが浮付いていたのかも知れない。高いところを拭く踏み台にしていた作業台から足を踏み外して、右腕を複雑骨折してしまった。その所為で、否応なしに3か月ほど担当していた繊細な作業が出来なくなった。
確かにショックであった。唯目の前にしていた仕事が出来なくなっただけではなく、私が居なくなった瞬間に派遣の人員が手配され、結果的に私が居なくても仕事が普通に回っていることが大いに私の自尊心を揺さ振った。
しかし、ものは考えようである。誰にも必要とされない時間が与えられたと思えば、今まで忙しくて諦めていたことにチャレンジ出来る。
つまり、全く自由な時間がたっぷり出来たのである。
それが私の文学趣味に拍車を掛けたのであろうか? 歌日記だけでは飽き足らず、私小説らしきものを書いてみたくなった。
ブログで日記を公開するのは恥ずかしいし、コメントにきついことを書かれると、落ち込むかも知れない。自分史は何だか年寄り臭い。私小説と称すれば、少しは箔が付くだろう。
その程度のことで、実際には歌日記とさほど変わらない。