父親の藤沢浩治から青年期の話を聴いて書き残しておきたいと思っても、すっかり呆けてしまった今となっては最早遅かったようで、藤沢慎二は父親のことに関心を持った自分に満足することで自分をなだめておくしかなかった。
《う~ん、どうしよう? では、次に何について書こうかなあ?》
暫らくは何も浮かばないまま、また何時ものように、日々のことをごく主観的な短歌に詠み、お気楽な雑文を添えた歌日記、「山荘日記」を付ける生活に戻った。
それはそれで好いのだろう。大きな不満があるわけではない。
ただ正月休みが近付いて来ると、何となくモヤモヤとして来るのである。それははっきりと不満と言うほどではないが、何となく達成感がない日々の生活を超える何かが何処かで待っていそうな予感、もしそれに乗らないならば後悔しそうな焦りとでも言おうか、いまだあえかな気配程度のものでありながら、決して無視出来ない性質のものでもあった。
仕事仕舞いの日、午後に予定していた書類整理の仕事が思いの外早く終わった慎二は、久し振りに父親を訪ねることにした。話は聴けなくても、意外と筆まめであった父親が書いた物を、もしかしたら母親の祥子が残しているのではないか? と言う淡い期待があったのである。
「こんにちはぁ~。母さん、居るぅ~?」
返事はないが、明かりが点いているし、鍵は掛っていなかったので、慎二はそのまま上がって行った。
「おや、どうしたんやぁ?」
母親はのんびりとテレビを見ながら、好物のおにぎりせんべいを齧っていた。
「いや、別に用はないんけど、ちょっと時間が出来たから、久し振りに顔を見に来たんやぁ~」
母親は微妙な笑みを浮かべながら、用事を頼んだ時ぐらいしか来ないくせに、本当かなあ? と言う顔をしている。
気弱な慎二としては何となく用件を切り出し難く、暫らく世間話に付き合うことにした。
「それで、どうしたんやぁ~? 本当は何か用事があったんやろぉ?
やはり母親である。幾らカモフラージュの言葉を重ねても、慎二の気持ちが此処にないことぐらいとっくに見抜いている。
慎二は、仕方がないなあと覚悟を決めた顔をしながら、
「大したことやないんやけどぉ~、この前の様子では、もう父さんから直接昔の話を聴けないようやったから、もしかしたら父さんが書いた物を何か置いていないかなあ? と思ってなあ・・・」
「まあ少しはあるけど、それをどうする気やぁ~? また何か書くんかぁ? 晶子さんの話やと、時々怪しげなことを書いては人に見せているらしいけど、何処かに発表したりする気かぁ~!?」
「いや、そんなことよりぃ~、父さんのことをゆっくり考えてみたかったんやぁ・・・」
「それだけやったらええけどぉ、やっぱり人様に見せるには恥ずかしいこともあるからなあ・・・」
母親は頬を紅潮させている。
慎二は母親の女の部分をはっきりと見せ付けられた気がし、母親以上に戸惑っていた。そして、父親が確かに書き物を残していること、それは母親とも深く関係がありそうなことに思い至り、余計に見たくなって来た。
押入れ箪笥から出て来たのは、小分けにして油紙で包まれたもので、恐る恐る開いてみると、躍るような毛筆で書かれた封書であった。
宛名を見ると、小出祥子様、とある。
《うん? これは父さんから母さんに送った手紙やないか!? と言うことは、母さんから父さんに送った手紙も残しているのやろうか?》
その内の一通を取り出してみると、
親愛なる祥子様
酷い風邪を引いていると妹さんから聞きましたが、どうでせうか。大丈夫でせうか。仕事の都合で、直ぐには行けないだけに、心配で心配で堪りません。もうあなただけの体ではないのですから、大事にして下さいね。あんまり長いとしんどいでせうから此れぐらいで止めていきます。またお便りします。さようなら。
昭和31年2月13日午後10時
浩治
もう付き合って暫らく経ち、大分慣れて来てからの手紙のようである。
その他にも色んな時期のものがあり、祥子が浩治に送ったもの、伯母と祥子との往復書簡などもあり、と慎二は次第にのめり込んで行った。
拝啓
此方はそろそろ梅が咲く季節になりましたが、其方は如何でせうか。寒いところと聞いておりますが、お変わりありませんか。幾ら元気に過ごしているとは言え、長い間、しかも手紙の遣り取りに一箇月も掛るようなところに独りで暮らしている貴方のことを思うと、姉さんは心配でなりません。
さて、先日は多額の送金、どうも有り難う御座いました。懐中心許無い時期でもありましたので、大変嬉しかったです。母と手を取り合い、貴方の無事と御活躍の由、喜びかつ泣きました。そして、そんなに成功しているのに、母と私を置いて儘、一度も帰って来て下さらない貴方を恨みました。どうかどうか、一日も早く帰国なさるようお願い申し上げます。
ところで、お手紙の様子では、貴方は未だお独りのようですね。どうでせう。そろそろ御結婚なさる気はありませんか。ほら、貴方が出征するまで住んでいた町内に居た、幼馴染の祥子ちゃん、覚えていますか。彼女ももう二十三歳になりますが、未だ決まった人もないようです。其れで思い切って貴方のことを持ち掛けてみると、途端に顔を真っ赤にするではありませんか。ゆっくり話を聴いてみると、どうやら貴方のことをずっと思っていたようです。貴方が出征する前、家によく遊びに来ていたでせう。何でもあの時、大きくなったら貴方のお嫁さんになってくれる、なんてからかわれたのを本気にしていたようですよ。そう言えばそんな時、貴方も赤くなっていましたね。初心な二人を姉さんは何時も微笑ましく思い、其れが本当になればどんなに楽しいことかと思っていました。でも、年が大分違いますし、其れにあれから私が、暫らくにしても実際の結婚生活を送りましたから、楽しいことばかりではないことも知りました。また、人の心の移ろい易さも知りました。だから、未だ独りにしても、心変わりしていて当然だと半ば諦めていましたのに、祥子ちゃんの一途な気持ちに吃驚しました。そして、本当に嬉しいことでした。ですから、もし貴方も未だ心に決めた人が居ないようでしたら、一度祥子ちゃんにお手紙を差し上げてみてはどうでせう。きっと待っていると思います。もし恥ずかしいようなら姉さんがもう一度話してみますので連絡下さい。
れでは貴方の御健康と御多幸を祈りつつ、乱筆乱文にて失礼致します。
敬具
昭和二十八年二月二十日
扶美
拝啓
此方はまだまだ冬の気配が色濃いものの、漸く雪の下から新たな生命が芽吹いて来た今日此の頃、前にもお知らせ致しました様に、私は元気にやっております。其方では皆さんお変わり無い様で安心致しました。流石に大阪ですね。二月半ばになるともう梅の季節ですか。此れが届く頃にはもう桜の季節ですね。桜と言えば、今でも時々、桜の季節になると川沿いに遊びに行ったことを懐かしく思い出します。
さて、お手紙でお勧めの件、大変有り難く読ませて頂きました。そして三十四歳にもなるのに、未だ中途半端で母さんや姉さんに心配ばかり掛けている自分が恥ずかしくてなりません。年が年ですから、此れまで全く何も無かったわけではありませんが、御察しの通り、今私は独り身の不遇を囲っております。と言うのは半分嘘で、大して困ってはおりませんが、多少淋しくなって来たのは事実です。其れと言うのも、時代、そして私の仕事が落ち着いて来たのでせうね。酷く淋しいはずの頃は時代に揉まれ、ただただ生きて行くのが精一杯で、今から振り返ってみても、一体何をしていたのか分からない程です。幸い手に職があった分、シベリア送りにはならずに済み、此方にしては安定した仕事に就けましたので、どちらかと言えば虚弱な私でも遣って来れたのでせう。
其れで、祥子さんのことですが、お手紙を読んでいて甘酸っぱい気持ちに包まれ、心が弾んで仕方なく、一晩中眠れませんでした。どうしていいか分からず、いっそのこと姉さんも言うように、姉さんにお願いしようかとも思いました。でも矢張り、こんな大事なことを姉さんに頼むのでは此れからの荒波を渡って行けないだろうと思い直しました。幸い祥子さんも私のことを未だ想っていて下さるようですから、此れから思い切って手紙を書いてみる積もりです。
またお手紙します。其れでは今回は此れで失礼します。時節柄御自下さい。
敬具
昭和二十八年三月十日
浩治
拝啓
雪の下から新たな生命の息吹が確かに感じられる今日此の頃、其方の皆様にはお変わりなく御健勝にお過ごしのことと伺い、御慶び申し上げます。
さて、姉の扶美からの手紙によりますと、祥子さんは今でも私のことを覚えていて下さったようで、大変懐かしく、また嬉しく思っております。直ぐにもお会いして直接お話したいところですが、生憎海を隔てておりますし、時節柄まだまだ渡航は難しい面もあります。其れに何より、私の方の個人的な事情においても、直ぐには帰れませんので、先ずはお手紙にて失礼致します。
ところで私の方の個人的な事情と言いますのは、かう言うことなのです。戦争が終わってから八年、矢のように過ぎて来ました間に、其れなりの仕事を得、何とかやってまいりましたので、今では私にとって、此方の生活が主になっている。今後も此方で暮して行くのか、其れとも母や姉の望むように日本に帰るのか、一体どっちがいいのだろう。直ぐには決められない。其れに、幸いと言っていいのか、今の仕事が結構忙しく纏まった時間が取れない。
そう言うわけで、いきなりこんな色気の無い手紙になってしまい、大変申し訳ありませんが、私の気持ちは姉からの手紙を読んで、大変弾み、一晩中眠れなかったほどです。其のことだけは御理解頂ければ幸いです。
嗚呼、私は祥子さんのようにうら若き乙女に向かって一体何を書いているのだろう。わけが分からなくなって来ました。
唯、今回姉から貴方のことを将来の伴侶として考えてみてはどうかと紹介され、大変嬉しかったのは事実で、どうしても突然の失礼を押して自分からお手紙を差し上げたのです。
よろしければ、またお手紙させて頂きます。其れでは皆様の御多幸と御健康を祈りつつ、乱筆乱文にて失礼致します。
敬具
昭和二十八年三月十一日
藤沢浩治
藤沢浩治様
お手紙読ませて有り難く頂きました。私のことを覚えていて下さったようで、また、真面目に考えて頂いているようで、大変嬉しく思っています。私自身も、貴方を将来の伴侶として考えてみては、と言うことについては全く異存がございませんが、其れでは直ぐにでも今の生活を整理して其方に駆け付けられるかと問われたら、はい、と答える自信は毛頭ございません。年月の重みと言うものはあって当然だと思います。其れを率直に書いて下さった貴方の誠実さに触れ、其れがあるからこそずっと忘れられなかったのだと納得が行く思いでございました。
さて、其方で貴方は大分落ち着いた生活をされている由、私も中々其方に参るわけには行きませんので、また時々お手紙を下されば有り難いです。どんなことでも結構ですから、時々お便りを下さい。私もまた時々、日々の何気無いことをお知らせしたいと思っています。そして、そんな風に遣り取り出来る方が現われ、大変喜んでいます。
私は貴方のようにすらすら書ける方ではないので、簡単ですが、今回は此れで失礼します。時節柄、御自愛下さい。其れではさようなら。
昭和二十八年三月三十日
小出祥子
慎二は母親から常々、
「お父さんとはねえ、幼馴染やったから、改まって話があったと言うわけでもないんやでぇ~。昔のことやから、ごく自然に結婚するもんやぁ、と思ってたんやぁ」
と聞かされていたので、
《もしかしたら恋愛的な要素など全くない、サラリとした関係やったのかなあ。結婚して兄貴と俺が生まれているんだから、まさかそんなことは無いように思うけど、あっさりした母ちゃんのことやから、分からへんなあ・・・》
と思っていたが、手紙の内容、今日の態度を見ると、どうもそうではないらしく、それだけでも来た甲斐があったと喜んでいた。
誰にでも心揺らせた若い頃
振り返るならあったはずかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もう15年以上前に書いたものを、見直しながら加筆訂正した。
その頃既に、父親とは話せなくなっていた。
何時会いに行っても寝ていたような気がする。
父とあまり話さなかったわけでもないが、大したことを話したようにも思えない。
父が時折問わず語りに話す中国でのこと。
何だか牧歌的にも思えるが、きついこともきっとあったのだろう。
それは何かの拍子に漏らすという感じで記憶に残っている。
昔の戦争映画の中に出て来るワンシーンのような光景が実際にあったことを窺わせた。
母との関係、それ以外の関係についてはこれも問わず語りであったような覚えがある。
今となっては母ともそんな話が出来なくなっており、切れっ端を手掛かりに、想像を膨らませるしかない。