sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(エピソードその13)・・・R4.2.21②

          エピソードその13

 

 大阪府内の学区が細かく分けられることによって学区でトップの公立進学校となっていた大阪府北河内高等学校の修学旅行は受験準備期間から逆算される為にどんどん早くなり、昭和61年度は2年生の10月下旬に行われるようになっていた。行先は沖縄方面で、平均気温はまだ25℃を超えている。大阪に比べると5℃ぐらいは暖かく、1か月は前の感じであった。泳ぐには肌寒いが、日中は半袖でも十分に過ごせるぐらい暖かい。

 学校では当然のように冬服に替わっていたが、旅行中は夏服に戻り、自由行動でも初夏か初秋のような薄着に戻っている。

 2005年にベストセラーになった「人は見た目が9割」(竹内一郎著、新潮新書)は当然まだこの時点で出ていなかったが、人が見た目に影響され易いのは昔も今も同じで、薄着になると、この時点よりもっと前の流行歌(※1)の文句にあったように、心の鍵が少し甘くなる。

 と言うか? そろそろ冬支度しようとしていた心が少し戻り、夏の余韻を楽しもうとし始める。

 それ以外にも北河内高校の2年生には、2学期の中間テストが終わったこと、もう直ぐクラブ活動を引退して受験準備に入ること等が関係して、高校時代の最後で最大の楽しみのような気分を醸し出していた。

 そんな中、修学旅行中の活動はクラス別に行われた。それぞれのクラスがテーマを決め、行先を決めることが出来る。

 常勤講師を勤めていた青木健吾は副担任でもあったので、修学旅行に付き添うことになったが、残念ながら気になる存在である中野昭江の所属するクラスとは違ったので、旅行中一緒になることは移動中と、最初と最後の食事中ぐらいで、僅かにしかなかった。

 健吾の担当するクラスのテーマは「沖縄における天下統一」で、首里城、中城(なかぐすく)、勝連城(かつれんぐすく)等、城跡を中心に見学し、往時を偲んだ。

 後から聴いたところによると、昭江の所属するクラスは分かり易く、「海」だったようで、幾つかのビーチ、美ら海水族館、米軍基地が移されようとしている普天間等を見学し、沖縄の置かれている現状を改めて認識したようだ。

 それぞれテーマに沿って深く下調べし、熱心に探求して、やる時はやる生徒達であった。

 

 ただ、それだけではないのが青春時代で、同じクラスに気になる生徒がいた場合、この旅行の事前準備も含めた期間における交流を通して関係が深まることも大いにあった。

 これは青春時代に限らず、大人においても同様である。何かテーマを持って男女が共同作業を真摯に行う場合、例えば同じプロジェクトの元に長時間共に仕事に取り組むとき、それぞれの好い面、したがって好い顔を見せ合うことになり、当然強く惹き合い、惹かれ合うことにもなる(※2)。

 そんなカップルに女子バスケットボール部の橋本加奈子と野球部の柿崎順二がいた。夏休み前にそれまで付き合っていた彼氏との関係をあっさりと終わらせていた加奈子が、それまで殆んど気にしていなかった順二がどうやら自分のことを意識しているらしいと気付いたのが夏休み後のことで、特に嫌な相手ではなく、本当は順二との方が意外と合うのかも知れないように思い始めたのが、修学旅行に関する取り組みを一緒に行うようになってからのことであった。

 クラスのテーマはこれも沖縄と言えば直ぐに浮かんで来る「戦争」であった。「ひめゆりの塔」を初め、緊急避難壕であった「アブチラガマ」、「ヌヌマチガマ」等、沖縄には先の戦争の悲惨さを伝える史跡が沢山残っている。と言うか、残されている。

 修学旅行前、図書室で一緒に調べている内に感情表現が豊かな加奈子は感極まって何度も涙していたが、その都度、そっとハンカチを差し出すのが温厚で根は優しい順二であった。そして初めは躊躇っていた加奈子もそう経たない内にそれが自然であるかのように受け取るようになっていた。

 更に修学旅行では一緒に回り、写真を撮ったり、宿舎でまとめたりしている内に、言葉を交わし、視線を交わし、更に心を交わし合った。

 若い2人にはそれで十分であった。健吾と昭江がちょっと近付いては離れ、修学旅行でも流れとは言え別行動を取っており、ちっとも温まらず、はたから見ても、いやはたから見ているからこそか? ともかく煮え切らない内に、加奈子と順二は十分に出来上がってしまったようである。この2人がその後どうなったのかと言うことについてはまた別の機会に譲ろう。

 

 さて健吾であるが、担当するクラスの安藤清美は当然普通に参加出来ても、丸山康介は残念ながら参加出来なかった。クラスで一緒に話している時の印象でも、康介がいれば更に深い探求が出来たのにと担任の社会科教師、沢井幹夫が幾度も惜しむように口にしていたが、それは言っても仕方が無いことであった。

 それが分かっていても、人はついつい口に出したくなるもののようである。そうしなければ気が済まない。清美にとっては特にそうであったようで、気に掛けてそばを歩く健吾にも聴こえるようにしみじみと言う。

「12世紀頃に築かれ、繁栄して、中央政権である琉球王朝に立ち向かったと言われているのがこの勝連城やけど、当時の人達は一体どんなこと考え、どんな風に戦ったんやろぉ~!? 沢井先生から聴いても今一ピンと来えへんけど、丸山君やったらもっと生き生きと語ってくれるような気がするわぁ~!」

 健吾にしても異存はない。確かにそう思われる。

「そうやなあ。あいつ、そう言うたらこの前会いに行った時、お母さんの話では今回このクラスが設定したテーマに十分に興味を示していたらしいわぁ~! それやったらせめて出て来たらええのに、まだそこまでは行かんらしい・・・。人って、特に青春時代は何や難しいなあ。フフッ」

「そうやねん・・・。私も中学校の時に引き籠っていたから分かるわぁ~。でも、先生の話聴いてたら、もう直ぐかなあとも思えて来るしぃ~。まあ、焦らんと待っとこぉ。なあ先生!?」

《自分から話を其方に持って行っておいて、なあ先生もないもんやなあ・・・》

 と思いつつも、健吾は気弱な笑いを浮かべつつ、

「そうやなあ。しゃあないもんはしゃあない。まあ、のんびり待ってよぉ。まあ安藤さん、また手紙でも書いたりぃ~やぁ~!」

「うん! 修学旅行から帰ったら、また書いてみるわぁ~!」

 中間テストの前に行った女子バスケットボール部との合同勉強会では気取って丁寧に喋っていた清美であるが、クラスに戻ると完全にタメ語であった。締まりがない分、本音がより出ている部分もあり、清美にしても健吾にしてもより気軽に話せていた(※3)。

 

 修学旅行が終わってからは時が経つのがまさに矢が飛ぶように早い。クラブ活動では秋の地方大会が行われ、12月初めには引退戦が行われた。

 それ以降は昭江と練習を共に出来なくなる。昭江の溌溂とした動き、それが似合うスマートな肢体、タイトなユニフォーム姿を見ることが出来なくなる・・・。

 何でもないことのようで、健吾にとれば、それは脳内の無視出来ないほどの部分を占めている非常に大きなことであった。

 昭江にしても実はそうで、練習、試合等で不安になった時にそっと健吾に視線を送ると、しっかりと受け止めて貰える、それが想像以上に大きな支えになっていた。

 それに、恥ずかしくはあったが、しっかり観られていることに対して誇り、そして喜びもあった。

 ただ、それに本人等が気付くのはもう少し後のことで、実際にはクラブ活動から引退した後、直ぐに2学期末テストの準備期間に入り、北河内高校では放課後にまた幾つかの勉強会が開かれたから、気持ちは既に其方に取られていた。

 幸い勉強の方は順調に進んだようで、期末テストにおいて昭江は学年で89番まで上がっていた。もう難関国公立を選ぶのが普通のレベルに入っており、健吾が卒業した国立浪花大学、兄の陽介が在籍している国立阪神大学等の背中が見えて来た。

 清美は学年で46番と安定しており、国立浪花大学にするのか? もう1ランク上の国立京奈大学にするのか? 迷うところであった。引き籠る前の康介は学年で30番以内と安定しており、疑いなく国立京奈大学レベルであったから、康介のレベルまで後一歩との気持ちが強まりつつあった。

 加奈子はこれまでと違って女子バスケットボール部と女子バレーボール部の合同勉強会には参加せず、順二と一緒に勉強すると言い出して、図書室に場所を移した。その結果としての期末テストの成績は、聞くところによると学年で加奈子が182番、順二が165番と、そんなに差はないようで、もう少し頑張って一緒に市立浪花大学を目指すのか? それともあまり無理をせずに2人で関関同立辺りを目指すのか? ともかく一緒に同じ大学を目指すと言うことでは意見が一致しているようであった。

 

        二人して同じ目標追い駆けて

        何時しか気持ち近付くのかも

 

        じわじわと受験の影が近付いて
        其々なりに動き出すかも

 

※1 1976年5月に発売された桜田淳子のヒット曲、「夏にご用心」の出だしが、♪夏は心の鍵を甘くするわ、ご用心♪とインパクトのあるもので、私事で恐縮であるが、大学生の頃にクラブの先輩が野太い声で歌っていたのがいまだに強く印象に残っている。アイドルがアイドルらしかった時代の思い出の曲でもある。

※2 普通の学校、職場に比べ、より作為的で熱い場であるドラマや映画の製作現場では恋愛から結婚に至る場合も往々にしてある。これは古今東西普通に観られることである。そう考えれば、忙しく、熱い場所になり易い学校現場で、まだ精神的には幼いが、肉体的には十分成長している学校現場で恋愛関係に至り易いのは当然であろう。と言っても、それで好いと言っているわけではなく、石坂洋二郎が言っているように古い体質でもあるから、もう少し学校以外の世界も広げるとか、それに繋がることでもあるが、学校が全て背負わず、忙しくし過ぎないとか、の対策も必要であるとは思われる。

※3 タメ語の効用みたいなものがある。気さくさを醸し出し、精神的な垣根を取り払う役目が確かにある。そこを意識して上手く使うと、仕事の場であってもコミュニケーションが深まる場合もある。あくまでも、そんな場合もある、と心得でおくことが重要で、それしか使えない、ではしくじることになり、仲間内以外ではコミュニケーションがうまく取れず、社会恐怖症に陥ることもままある。