sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(エピソードその17)・・・R4.3.1②

          エピソードその17

 

 以前に比べて住宅、商店、町工場等が増えたとは言え、御椀山とそれに連なる低い山並みが近く、まだまだ緑が多い北河内地域では蝉の声が煩いほどになって来た。梅雨時よりは風が乾いて心地好くも感じられる盛夏となり、受験生にとってはいよいよ勝負の夏を迎えていた。

 そんな7月上旬の或る日のこと、学区でトップの公立進学校である大阪府北河内高等学校では1学期末のテスト前の勉強会が校内の彼方此方で開かれていた。物理実験室では生徒が中野昭江、教師が青木健吾とたった2人切りで行われており、その関係を超えて惹かれ合うお互いの心情を考えると余計に勉強会とは言い難いものであったが、流石に昭江は気まずくなり、同じことかも知れないが、恥ずかしくなって来たようで、次の日には女子バスケットボール部で一緒に練習していたお調子者の葉山涼香を連れて来た。

 涼香は3年生になってから昭江と同じクラスであり、クラスでは30番前後、学年では300番前後と、そんなに出来る方ではない。

 と言っても、北河内高校での順位であるから、地方の国公立、関西における私学の雄、関関同立よりは少し下ぐらいの私大であれば十分に狙えるレベルにあった。

 それでも家が裕福な涼香は無理をする気などさらさらなかった。世間で聞こえの好い女子大か短大にでも進み、早めに条件の好い結婚をする気でいた。

 それなのに何故この微妙な勉強会に加わったのかと言えば、それはひとえに昭江の懇願に従ったまでのことであった。

 勿論、人間は表向きそのように見えても、それぞれなりに色々な意味を持っていたり、後から気付いたりするものであるし、全面的に他人の為ばかりであることはかえって少ない。自分の興味が大きな部分を占めていることも往々にしてある。

 当然この場合も、お調子者の涼香は好奇心旺盛で、何事にも興味津々であったことと関係が無いなどとはとても言えなかった。

 それはまあともかく、勉強会が始まって1時間ほどすると、流石に少し休んで気持ちを解放したくなる。

 そして当然のように涼香から声が上がった。

「あ~あっ、疲れた・・・。先生、この辺でちょっと休みませんか?」

 緊張し続けていた健吾にも異存はない。

「そうやなあ。ほな、何か飲もかぁ~?」

 そう言いながら立ち上がり、隣の物理準備室に向かう。

 昭江が自然に従い、独りで座っているのも気が引けて、と言うか? 当然のように2人の動きに気が引かれて澄香も従った。

「先生、何かお八つでもありますぅ?」

 そう言いながら澄香は彼方此方勝手に開けて探し始めた。女子バスケットボール部を通しても部員と顧問と言う慣れた関係であるから、その辺り、全く遠慮がなかった。

 健吾にとってもそんな澄香の存在は、気に障ると言うよりも、かえって気を楽にしてくれたようである。

「そうやなあ・・・。チョコレートとクッキー、それにポテトチップスがあるけど、どれが好い?」

 お酒を飲まず、煙草も吸わない健吾は、アパートだけではなく、職場にもお菓子、ソフトドリンク等を常備していた。

「先生、牛乳を飲んでも好いですかぁ~?」

 昭江が遠慮がちに訊く。やはり澄香の存在が気になるようであった。

《何時もは黙ってここに来て、勝手に冷蔵庫を開けて飲んでいるくせにぃ・・・》

 そう思い、心の中では笑いながらも健吾は、精一杯顔を引き締めて言う。

「ああ、別にかまへんよぉ~」

 そんな2人が何だか可笑しくて仕方が無いようで、涼香は笑いをかみ殺しているような微妙な表情をしていた。

 それから思い出したように、

「あの先生、今、彼方此方に公務員の採用試験やら教員の採用試験やらを受けに回っているんでしょう? 大阪府以外に愛知県でも受けているって前に聴きましたけど、うまいこと行ってますかぁ~?」

 どうやら昭江の代わりに訊いてあげなきゃと涼香なりの気遣いのようであった。

 健吾としてもその方が気楽であったし、特に隠す気もない。

「うん! それでなあ、今のところ、大阪府の一般公務員、教員、愛知県の教員と受けて、3つとも何とか1次試験までは通ったようやねん。これから面接、筆記と2次試験が次々とあるから、この夏休みは忙しなるわぁ~」

 大変そうに言いながら、ちょっと自慢気でもあった。

 黙っていても昭江は興味津々と言った感じで耳をそばだてていた。

 すると突然思い付いたように澄香がトーンを上げて訊く。

「愛知県はお茶、お花の先生をされている伯母さんの知り合いの世話でって聴きましたけど、もしかしたらその中にお見合いの世話なんかも入ってたりしてぇ・・・」

 健吾が学生の頃に習った心理学者に言わせると、高校生の時期は人生で一番アンバランスで、不器用らしいが、それだけにその言動に飾り気がなく、それが案外的を射ていたりもする。

 図星なだけに健吾は目を泳がせて、ちらっと昭江の方を見ながら小さな声で言う。

「いや、それはどうやろぉ・・・」

「何が、それはどうやろぉ・・・、ですかぁ~!? そんな言い方するところを見ると、するんですね、お見合い? そんなん昭江が可哀そうじゃないですかぁ~!?」

 そこまではっきり言われると、ここで昭江も口を開かなければいけないと思ったようで、

「何を言うの、涼香!? そんなん言うたら失礼やわぁ~!」

 その、失礼やわぁ~、と言ったのは一体誰のことを失礼と言いたかったのか? 後は黙ってしまったので分からず、健吾としてはそこが気になって仕方が無かった。

《そんな立ち入ったことまで訊くのは俺に対して失礼やとでも言いたかったのか? それとも、未熟な自分が本命の相手でもあるかのように言うのは教師として自立している俺に対して失礼やとでも言いたかったのか? それとも、若い自分に対して10歳も離れたおじさんである俺が相手なんて失礼な、とでも言いたかったのか? 昭江は一体どう言いたかったんやろぉ~!?》

 健吾の心は千々に乱れていた。そんな自分の気持ちを抑えるのに精一杯で、もっと揺れ易い年頃であるはずの昭江のちょっと哀し気で寂しそうな表情には気付きもしなかった。

 そんなもやもやしたものが関係したのか? 1学期末のテストにおいて昭江はクラスで8番、学年では81番と、少し下がっていた。

 一方の澄香は気持ちが弾んだのが上手く作用したのか? クラスで25番、学年では242番と、何時もよりは明らかに上がっていた。

 

 また安藤清美と丸山康介は今回も仲好く北河内高校の図書室で勉強していた。

 と言うよりこの2人は、登校している限り、放課後は常に図書室で一緒に勉強していたから、一見何の変化もなかった。

 ただ心の中は別で、関西で最高峰の国立京奈大学レベルを確実にし、更に我が国で最高峰の国立東都大学まで視野に入って来た丸山康介は、少なくとも何方にするか迷い始め、そこまで来たら自然な流れで、オックスフォード、スタンフォード、ハーバード等の海外の難関大学まで視野に入れるかどうかと意識し始めて、向上心が高いだけに贅沢な迷いが芽生え始めていた。

 そしてもっと贅沢なことに、常にそばにいる清美のことが漸く特別な存在として視野に入って来た。

 実際には中学校の時に気に留まり、自分から近寄っていたこともある。そのことに対しての意識はもうあまりなかったが、よく考えてみれば、元々美形でスタイルが好く、目立っていた清美が、内面的に悩むことでより深みを加え、それにも康介は惹かれていたはず・・・。

 そんなことにも気付き始め、今まではただ友達のように公園でデートをしたり、図書室で一緒に勉強したりして来ただけの清美を、もう少し世間の普通の恋人同士がするような青年っぽいデートにも誘ってみたくなり始めていた。

 それで勉強がひと段落着いた時、康介がぼそっと言う。

「なあなあ清美、ちょっと疲れたし、お茶でも飲みに行こかぁ~!?」

「そうやねえ・・・」

 清美も異存はない。

 2人で講堂の下にある食堂に向かった。

 伝統校でもある北河内高校には体育館とは別に全校生が座ることの出来る講堂もあった。そして食堂は広く、教師の便の為もあって午前10時頃から午後7時頃まで開いていた。

 その食堂でジュースを飲みながら康介が何気なく、を装っているつもりで、実はがちがちになりながら訊く。

「なあなあ清美、夏休みに入って直ぐの日曜日やけど、ひらパーにでも行けへん?」

 因みにUSJが開かれるまでにはまだ15年は待たねばならず、もし既に開いていたとしても、康介の意識にとっていきなりUSJは色々な意味でハードルが高過ぎた。

 それはまあともかく、清美は何時誘って来るかと思って待っていた面もあるし、恋にはありがちな駆け引きを含んだ作為的な態度を取り合い、その醍醐味を楽しむような2人でもなかったので即答する。

「うん、ええよぉ!」

 約束は簡単に決まり、その後の勉強にどう影響を与えたのか?

 面白いことに、1学期末テストにおいて康介はクラスで1番、学年では9番と少し上がっていたが、清美の方はクラスで5番、学年では45番とむしろ下がっていた。何方も心を揺らされたところまでは同じでも、男性と女性の違いなのか? それとも単にタイプの違いなのか? ともかく興味深い結果となっていた。

 

 それから橋本加奈子と柿崎順二であるが、この2人も勿論、学校では放課後に図書室で一緒に勉強していた。そしてそれだけではなく、親からも将来を含めて許しを得ているこの2人は、休みの日にも一緒に順二の部屋で勉強していた。

 ただ、夏は順二にとって別の勝負の時でもあった。1学期末のテストの直ぐ後に高校野球の夏の地方大会が始まるので、それに備えての練習にも大分時間を取られていた。

 そして順二の夢を応援している加奈子としては一時満足なデートが出来なくなっていても、そんなことは全く気にならなかった。

 それほどこのカップルの間は揺るぎないものが出来上がっていたようである。

 その結果、何時もと変わらない様子で勉強が進み、1学期末テストの成績は加奈子がクラスで16番、学年では151番と少し落ちていたが、順二はクラスで15番、学年では143番と少し上がっていた。

 要するにもう少し長いスパーンで観れば仲好くシーソーゲームをしており、今回少し気を使った加奈子がその分落ち、忙しい中、気合を入れていた順二が少し上がると言う、よく考えてみれば納得出来る結果となっていた。

 それから野球の方であるが、エースとして順二を擁する北河内高校は今までになく調子好く、大阪府でベスト16、更にベスト8と勝ち進み、野球部だけではなく、それ以外の生徒、それに教師までを応援に引っ張り出した。その結果、準々決勝には更に、これまでであればクラブ活動を完全に引退し、勉強一筋になっているはずの3年生までも引っ張り出していた。

 その準々決勝では私学の強豪校、応蔭学園と当たり、これには流石に勝てなかったが、その総合力では阪神タイガースをも凌ぐのではないか(※1)と言われた強力打線を完投で2失点に抑え、0対2で惜敗したことによって、順二は関西の球界では少しばかり注目される存在となった。

 気合が入っていたようで、速球の最速は145km/hまで出て、変化球も切れた。対する応蔭学園のエース、牧田伸作の速球の最速が147km/hであったから、そんなには変わらなかった。その牧田を観る為にプロ野球の各球団のスカウト、野球強豪大学のコーチ等がスピードガン(※2)を持って駆け付けていたから、当然順二も観られる、やがて注目されることになったのである。

 

        其々に勝負の夏にチャレンジし
        其々なりの夢を見るかも

 

        其々に勝負の夏を迎えたら

        其々なりに追い駆けるかも

 

※1 弱い時期が長かった当時の阪神タイガースに付いて関西地方でよく言われていた一種の冗談である。アマチュアの中から選り抜かれた面々が入って来て、更に鍛え上げ、練習し続けているプロがまさか高校野球ごときに負けるとまでは誰も本気で思っていないが、それぐらい阪神タイガースにはムズムズさせられていたのである。

※2 ウィキペディアによると、スピードガンが我が国に入って来たのは1976年(昭和51年)の秋で、1979年(昭和54年)にはプロ野球の全球団に伝わり、球場でもスピード表示するようになって来たと言う。昭和の怪物と言われた私と同学年の江川卓が高校生の時期は1971年(昭和46年)~1974年(昭和49年)で、高校生の頃に速球が1番速く、155㎞/hに達していたとは時折聴く話であるが、これが事実とすれば、関係者の誰かがスピードガンを個人輸入でもしていたか、かなり珍しい例となる!?