sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その25)・・・R3.12.21①

            その25

 

 令和2年5月19日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液をたっぷりと掌に取って、手指を丁寧に消毒する。

 これは大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも気に掛かり、一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、何回かうがいもしておく。
 そんな一定の安心感が得られそうな儀式的なことまで済ませ、息を切らせながら階段を3階まで上がり、執務室に入って来たら、この日は何時もなら既に居るはずの正木省吾、すなわちファンドさんが来て居ない。どうやら既に聴いていたようにテレワークをしているようである。

 この頃は朝、形式的な挨拶を交わした後、2人で暫らく世間話をするようになっていたから、慎二はちょっと物足りなかったが、仕方が無い。諦めて自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、そばにはテザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 誰か知っている人が読むことを想定してどの辺りまで書こうかと迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出して、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。また、この日はその後に職場に着いてから思い付いたことも付け加えておくことにした。

 

       朝のひと時雑詠

 

      見えないもの見えるもの

  ダークマターダークエネルギー、・・・、見えないけれどあるんだよ

  この世には言葉にならないものもあるんだよ

  そんな世界が観たくなり、新たな話紡ぎ出す

  さて宇宙、光速超えて遠ざかり、見えない世界あると言う

  そんな出鱈目誰が言う

  ともかく見える世界だけ、あると信じて語り出す

  でも見える世界はあるのかな?

  本当に存在するのかな?

  見えないものが悪戯し、見えた気になってはいないかな?

  ほんの一部を見せられて、見た気になってはいないかな?

  分からない

  実は何にも分からない

  分からないから面白い


 さて、通勤電車であるが、近鉄生駒線の混み具合は何時もとそんなに変わらない。

 乗った時は飛び飛びに座っており、降りる頃でも隙間を少しずつ空けて座っている感じであった。

 近鉄奈良線の混み具合も、生駒駅で乗り継いだ時はそんな感じであった。

 生駒トンネルを抜けて大阪側に入るとどうなるのか分からないが、石切駅でもそんなに変わらなかった。

 ところで、駅では始終新型コロナウイルスに関して注意喚起、要請等の放送が入っている。

 たとえばテレワークについてであるが、ここでそんなお願いをして一体どうなるのだろうか?

 そう思わないでもなかったが、繰り返すことで彼方此方で少しずつでも効果が出て来るような気もする。

 その積み重ねが大きいのかも知れない。

 ところで大阪側の天気は今一である。

 視界がえらく狭い。

 でも、あの向こう側に「あべのハルカス」があることぐらいは信じられそうだなあ。フフッ。

 

        ハルカスが見えなくなって梅雨近し

 

        ハルカスも見えないほどの曇り空

 

 ところで、職場で今日は何をしようか?

 ちょっと気の重いところでは、来年度に向けて、今私が負っている仕事を少しずつ渡して行く交渉がある。

 以前に居た職場よりは前向きな職場であるから、そんなに難しくはない気もするが、黙っていたら今年は引き継がれることなく、そのまま自分に来そうな仕事を、自分では少し控えて、他人に振って行くのはどうも気が引ける。

 ただ、それを言っていると、仕事が伝わらず、後から困ることにもなるから、仕方が無いところだなあ。フフッ。

 その辺りまで書いて、まだ時間があったので、久し振りに歳時記を開いてみる気になり、暫らく前からそばに置いてあった「現代俳句歳時記 春」(現代俳句協会編、学研刊)を手に取った。

 この歳時記では5月までが春となっている。

 パラパラめくっていると、「黄砂」と言う季語が気に留まった。

 

     黄砂降る邪馬台国卑弥呼在り (猿渡 藜子)

 

 いきなり、えらく悠久、雄大な句ではあるまいか!?

 私はそこまで気持ちが遊ばせることが出来ず、ついつい卑近なところに気持ちが行ってしまう。

 

        黄砂降る大和にまでもコロナ来て

 

 そのコロナ、すなわち新型コロナウイルス感染症も一旦は収まり掛けている。

 そんなわけで、私のような末端の労働者にまで連絡が回り、ぼちぼちと業務再開の動きが活発になりつつある。

 

     黄砂降る日も生まれつぐ無精卵 (三沼 画龍)

 

 何故か知らぬがむずむずさせられる句である。

 もやもやさせられる句である。

 生まれつぐのに、何故か無精卵(※)。

 そんな気にさせる黄砂の飛来と言うことか!?

 

        文鳥や黄砂来る日も無精卵

 

 またもや卑近なところからの句である。

 我が家で飼っている文鳥は雌で、雄もいないのに毎年秋から春に掛けて数回、卵を産む。

 勿論、無精卵である。

 その文鳥が私の手に乗って来るようになった。

 可愛い奴である。

 切ない奴である。

 そんなところからも上の三沼画龍の句に気が留まった。

 

 この日も自分なりには上手く書けたと思い、慎二がしみじみとしていても、この日は何時もならば入って来る井口清隆、すなわちメルカリさんも執務室に入って来ない。

《あっそうかぁ~!? メルカリさんもテレワークをするって言うてたなあ・・・》

 慎二が何だか寂しく思っていたら、事務を担当している依田絵美里が熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを持って来て慎二の机に近寄り、そっと置いた後も立ち止まって、まだ開いている「神の手」の液晶画面にさっと目を走らせる。

 若い絵美里に読まれていることを意識し始めた慎二は、飛び切りの小心者故、それだけで頬を真っ赤にして耳たぶをひくひくさせていた。

 そんな様子を見て、絵美里はちょっと照れながらも、好く光る澄んで大きな目をキラキラさせて思い切ったように、

「藤沢さんって詩人ですね!? よかったらまた読ませてくださいね・・・」

 それだけ言って、静かに離れて行った。

「・・・・・」

 慎二はもう何も言えず、遠ざかる絵美里の格好のよい後ろ姿から目が離せなくなっていた。

 

        詩心を見られたようで恥ずかしく

        上手い言葉が出て来ないかも

 

※ 無精卵と言えば、鶏卵は普通無精卵であるが、平飼いの場合は有精卵が混じることもあるそうな。またうずらの卵の場合は、スーパーで買ったものでも5%ぐらい孵ることがあると言う。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 我が家の文鳥は今年も無事? 秋になって何度か卵を産んでいる。

 

 無精卵でも自分が産んだ卵には愛着があるのか? 暫らくは離そうとしない。

 

 どうせ孵らないからと思い、取ろうとすると怒るようである。

 

 怒ると言えば、先日ちょっと面白いことがあった。

 

 居間に入り、一歩進めようとした足元で、

 

「ギャーッ!」

 

 何だか緊急性を感じさせるような声がしたので、見下ろすと文鳥が慌てて飛び立った。

 

 後には尾の羽根が2本・・・。

 

 どうやら尾っぽを踏んでしまったようだ。

 

 落ち着いてから何度も頭を回して尾の辺りを見ているから、大分気にしているようであるが、幸いう普通に動いており、ホッとさせられた。

 

 ここまでは勿論面白いことではなく、反省させられたが、その後のことである。

 

 私ではなく、子どもに向かって何度も怒っていたと言う。

 

 その子どもには安心するのか、肩や腕によく留まっている。

 

 文鳥にすれば安心出来る存在で、感情を出し易いようだ。

 

 何故こんなことを付け加えたのかと言えば、感情を出せる相手が職場に居る幸せ、そしてそれまでを奪おうとするコロナ禍のことを思ったからである。