sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(35)・・・R2.6.7①

              その35

 

 令和2年6月上旬の或る朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液で手を消毒する。

 これは大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、うがいもしておく。

 そんな一定の安心感が得られるまでの儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 習慣的な朝の挨拶を交わした後、もしかしたら蒸し暑くなって来た影響もあるのか? 我が国では急速に新型コロナウイルス感染症が収まっていること、全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請も解除されている所為で気の緩みが出始めたのか? 福岡県、神奈川県、東京都、北海道等と、広範囲に亙ってまだ感染者が無視出来ない数出ていること、大阪でも難波、梅田等の繁華街で人波は増えて来ているが、感染者がほぼ0の状態を続けられていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えたこと等、ひと通り世間話をし、それから慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろに年季の入った256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して、「神の手」にそっと挿し、休みの間に家でまた書き進めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない?」の一部を取り出して、見直しながら加筆修正を始める。

 ファンドさんの気持ちは既に投資情報に移っており、またスマホを観てはぶつぶつ言いながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          明けない夜はない?

             その6

 標高300mに満たないなだらかな御椀山を臨むように広がる北河内にも大分人が増えて、住宅、商店、町工場等が山裾まで迫っている。青木健吾が、大阪市内に安アパートを借りて今も住んでいる両親の元から北河内地域でトップの公立進学校である北河内高校に学生として通っていた7、8年前と比べても、田んぼや畑が更に減っていた。

 もっとも健吾が通っていた当時は大阪府の学区はそれぞれがもっと広く設定されており、北河内が鄙びてのんびりしていたように、北河内高校ものんびりした学区で2番手の進学校であった。同じ学区に君臨するトップの進学校、城の森高校と比べようもないぐらい差を付けられており、たとえば国立京奈大学への合格者数だけを比べても城の森高校は100人前後で推移しており、北河内高校は2桁にも達しなかった。

 それはまあともかく、実はもっと前から健吾は北河内と縁があった。父親である新吉の職人仲間、峰岸幸三がこの辺りに住んでおり、小学生の頃に新吉に連れられて少なくとも2、3回は来た覚えがある。その頃はJR片町線(現学研都市線)の線路から御椀山の山裾にある有名な北河内神社の境内までの間には、田んぼや畑が一面に広がっていた。

 峰岸は関大(関西大学)の夜学を2年で中退しているが、戦後直ぐに少なくとも新制高校を出て4年制大学の教養課程当たりまでは進学したと言うことで、職人にしては高学歴であり、受験情報に通じて判断力にも優れていた。そこに地元愛が加わって、健吾の成績がかなり好いと聞いてからは、会う度に北河内高校を勧めるようになった。

 そんなことも健吾が北河内高校を進学先として選ぶ際に殆んど迷わなかった理由のひとつになっていた。

 その北河内高校に昭和61年度から健吾は常勤講師として雇われることになった。

 何でも教諭として赴任するはずであった中堅教師、滝口伊佐緒に教え子との在学中における恋愛沙汰と言うちょっと恥ずかしい不祥事が発覚して、少なくとも数か月は停職となり、2月上旬の或る日、取り敢えず講師登録をしていた健吾の元に急遽連絡が入ったのである。

 既に自分の中では無視出来ないほど大きくなっていた中野昭江の存在に、不器用で生真面目なところのある健吾はかなり迷ったが、それはそれとして引き受けることにした。

《何となく気が合って一緒に勉強しているだけで、別にまだ個人的に付き合っているわけやない。第一、10歳も年が離れているし、昭江みたいに可愛い子が俺と個人的に付き合ってくれるわけがない。それに来るはずやった先生が恋愛沙汰でしくじって来られへんようになったわけやから、そこはこれから教師をする気やったら絶対に抑えておかなあかんとこやしぃ。でも、正直なところ今すぐにどうこうしたいわけでもない。そやから近くにおって毎日会えればそれで十分かも知れんなあ・・・》

 考えれば考えるほど健吾は迷い、自信がなくなり、それならば同じ学校に勤めていた方が会う機会が増えて好いかとも思ったのである。

 

 さて、2月16日の日曜日の午後、健吾が駅前のガストでケーキセットを頼み、公務員試験の一般常識のテキスト、問題集を広げていると、少し遅れて昭江がやって来た。

 珍しく友達を連れている。

 席へ案内しようとしたウエイトレスに断わり、ためらい気味に健吾のそばにやって来て、ちょっと恥ずかし気に、

「こんにちはぁ~。一緒に勉強したいと言うから、友達も連れて来たのぉ。別にいいでしょう!?」

「・・・・・」

 健吾にすれば断われるわけがないことを分かっているから、昭江は返事を待たず、迷わずに紹介まで続ける。

「此方、女子バスケットボール部で一緒に練習している橋本加奈子さん」

 加奈子は照れずに健吾の事情が分からず泳いでいる目をしっかりと見て、

「こんにちはぁ。よろしくお願いしま~すぅ!」

「こんにちはぁ・・・」

 少し照れた様子の健吾を見て微笑みながら昭江は、

「此方青木健吾さん、私たちの先輩でぇ~すぅ!」

 何時もよりちょっと軽さを強調して紹介した。

 実際にそうなったかどうかは別にして、ともかく場が一気に華やかにはなった。普段の昭恵には深沈としてしっとりとした大人の女性を思わせる魅力があったが、加奈子には一目で誰にでも直ぐに分かる、ぱっと花開いたアイドルのような明るい可愛さがあった。

 少し空気が落ち着いたところで昭江はメニューを開き、健吾の方にさっと目を走らせてアイコンタクトを取ってから、

「私、青木さんと同じものにしょうかなぁ? ねえ、加奈子は何にするぅ?」

 ここでは私が先輩よと言う感じで仕切ろうとする。

 加奈子もちらっと健吾の方に目を走らせ、健吾の目が落ち着いて来たのを確認してから遠慮せずに言う。

「じゃあ私もぉ・・・」

 その後は3人共特に意識はしていないような感じで、健吾と昭江は実はお互いに凄く意識しながら、何時も通りの如く勉強し始めた。

 ずっと前から異性との交際経験があり、彼氏の居ないときの方が少ないぐらいの加奈子には何だか可笑しくて仕方が無かったが、そんな可笑しさに慣れてもいたので、取り敢えず勉強し始めた。

 どうやら昭江と加奈子が持って来たのは学年末試験の対策問題のようで、時々分からなくなったところが出て来ると健吾に訊く。それに対して健吾は少し考えてから、淀みなく答えた。そんな遣り取りを何回かする内に、自然な空気が醸し出されていた。

 勉強がひと段落着いた頃に、加奈子が、

「昭江、あれぇ、渡さへんのん!?」

 背中を押すように言う。

 昭江は黙ってカバンの中から小さな箱を取り出して、

「遅くなったけど、はい・・・」

 バレンタインデーに渡せなかったことを詫びている。

 健吾は何でもないように受け取ろうとしたが、そうは行かず、多少舌をもつれさせながら、

「あっ、ありがとう!」

 大事そうに受け取り、そそくさとカバンの中にしまった。

 耳の先まで真っ赤になっているし、何でもない振りをしつつコーヒーカップに伸ばした手が少し震えていた。

 一方の昭江は昭江で耳元まで赤くなり、それでも無事渡せたことで安心したのか? 黙って微笑んでいたから、そんな2人を何度か交互に見て、加奈子はまた可笑しくなって来て、笑わずにはいられなかった。

「ウフフッ。もうこの2人はぁ・・・。ウフフフフッ」

 それからまた暫らく勉強した後、学年末試験までの間にもう何回か会う約束をしてその日はお開きにした。

 

 昭江と加奈子が帰った後、健吾は気持ちを落ち着ける為にもう暫らくいることにして、夕食にエビフライとおろしハンバーグがセットになっている定食を頼んだ。

《今夜は照明がやけに眩しいなあ・・・》

 何でもないようなことが実は何でもなくなんかない。そんな夜になりそうな予感に健吾はまた新たな震えを覚えていた。

 

        日常の普通のことを青春は
        彩添えて光らせるかも

 

 その辺りまでを見直しながら加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせてここで置くことにした。

《これ以上続けると気持ちが持って行かれてしまうから、仕事にならへん・・・》

 そんなことを思いながら「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はまだ恥ずかしさも少し残っていたが、ちょっとは軌道に乗り始め、この話に付いては多少の自信も出始めているので、「神の手」を再び開き、メルカリさんの方にその液晶画面をおもむろに向けて、

「ふぅーっ」

 ひと息吐いて気持ちを落ち着けながら静かに問いかける。

「どう、これぇ? ほら、この前もちょっと見てもろた書き掛けの小説みたいなもんの続きなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けてると思うんやけどなあ・・・」

「主人公と一緒に仲よく勉強するようになってからヒロインの成績がえらい上がったとか言うてた小説の続きですかぁ~!? あの後どうなるのか? ちょっと気になってたんですわぁ~。それにしてもブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 気の好いメルカリさんは半分呆れ、半分感心しながら、さっと目を走らせる。

「どれどれ・・・」

 そして興味津々と言った様子で、

「ふぅ~ん、今度は友達まで連れて来たわけですねえ。ええ恰好するのも男はお金が掛りますねえ。フフッ」

 若いようで、メルカリさんもデートでは男である自分で出すものと疑わない世代のようである。

「なっ、何言うてるんやぁ~。何度でも言うようやけど、単なるお話やから・・・」

 慎二はもう癖のように事務を担当している若い依田絵美里の方はチラッと見て、ひと言言っておかないと気が済まない。

 その度に絵美里は緊張を覚えるのであるが、これも癖のように何でもないように振舞おうとしている。

 メルカリさんはもうそんなことには構わず、

「ふぅ~ん、それで貰ったのはどんなチョコレートでしたん?」

 ごく普通に訊くので、慎二もついつい言ってしまう。

「いや、丸いのやら、四角いのやら、可愛いのが4つぐらい入ったよくあるやつやったけどぉ・・・」

「おいおい。やっぱりほんとのことやったんやぁ~。ブログさん、教え子のJKからそんなん貰うやなんて、中々隅に置けませんねえ。フフッ」

 しまったと言う顔になり、頬を真っ赤にした慎二は小さな声で、

「いや、冗談やがな。冗談・・・」

「はいはい。冗談ですねぇ!? ハハハハハ」

 気弱な慎二を仕事前にこれ以上からかうのは悪い気がしたのか? メルカリさんは軽やかに立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。

 空かさず絵美里がお茶を持って来て慎二の机の上にそっと置き、「神の手」の液晶画面にさっと目を走らせてうなずき、ちょっとほくそ笑みながら、何も言わずにスッと遠ざかった。

《おい、おい。読んだんやったら、何か言うてえやぁ! また黙って俺だけ置いて行かんといてえやぁ~》

 そう思いつつ慎二は口には出せず、この日も絵美里のちょっと緊張の感じられる背中から目が離せないでいた。

 絵美里は絵美里でそんな慎二の視線を背中で感じながらその余韻を楽しんでいるかのようであった。

 

        同僚と微妙な気持ち遣り取りし
        それでやる気がまた出るのかも