第1章 その2
最寄りの東曙駅を出て、曙養護学校の近くまでやって来た時、藤沢慎二はどうも話が違うような気がし始めた。
『あの時、校長が、養護学校の内で希望は何処かと言うので、知的障がいだけは検討が付かないから無理やと思う、そやからそれ以外にして下さい、と言うといたのに、何だか約束が違うような気がするなあ。裏庭には楽しそうな遊具が一杯置いてあるし・・・』
まるで幼稚園か小学校のような感じを受けたのである。どう見ても肢体に障がいを持つ子が遊べそうには思えない。
曙養護学校の校長室では校長の沢渡啓三と教頭の増田幸介がちょっと苦笑いを浮かべながら、慎二を待ち兼ねていたように迎え入れた。
『何か拙いことでもあったんやろか!? 4月1日、今日が約束の日やったはずやけど・・・』
慎二は不安で心臓がぎゅっと縮むような気がした。
「藤沢先生、さあさ、どうぞお座り下さい」
教頭に勧められるままに慎二は、2人の前のソファーにドスンと腰を落とす。
東曙駅からここに来るまでの間、半分以上は上り坂の道を結構速足で歩き、それでも10分以上掛った。それに昨日までの九州旅行の疲れも加わって、慎二は足腰がすっかり疲れてしまったのである。
「先生、今日までに何回か山鉾高校、それにご自宅にも電話をさせて頂いたんですが、連絡が全く付かなかったんですよぉ~。もしかしたら何処かにご旅行でも?」
顔は笑っていても目は笑っていない。若造のくせにこの私に何度も電話をさせやがって、と教頭は怒ってでもいるようだ。
「あっ、すみません。そうなんですよぉ~。これが最後だから研修旅行にでも行かないか!? って誘って貰えたもんで、佐賀、長崎、それに時間の余裕がある時だからついでにって熊本方面まで回って来まして、それで遅くなってしまいました。お手数をお掛けしまして、本当にどうもすみません」
口では謝りつつ、慎二は悪かったなどとはひとつも思っていない。
『曙養護学校の教員になるのは4月1日からやから、今日から来れば十分やろ!? それまでに連絡が付かなかったからと言うて、何でそんなに迷惑そうな顔をされなあかんねんやろ?』
とむしろ不満げであった。
その雰囲気を察したのか? 校長が笑いながら、
「ところで先生、山鉾高校で先生はえらい人気者やったんですねえ!? あの留守番電話の声、山鉾高校の生徒さん達でしょう?」
話題を急に変えようとする。
慎二も褒められて少しは気を好くしたのか? 表情を和ませ、
「ええ、そうなんですよぉ~! 山鉾高校のまあまあ近くに住んでいるもので、生徒達が時々やって来るんです。それでこの前に来た時、何時までも機械の声やったら味気ない、と言うて、あんな風に遊びで入れよったんですわぁ~。お恥ずかしい・・・」
「いやいや。それだけ先生が慕われていた、と言うことやと思いますよぉ~。それは好いことやぁ! そんな先生を我が校にお迎えすることが出来て、本当に喜ばしいことやと思っています」
そう持ち上げながら、校長の目はもう笑っていない。
「しかしですねえ、先生。連絡が取れなくて困ったのも事実です。新しい学校に来ると言うのに、連絡ぐらい取れるようにしておいて欲しかったですなあ・・・」
そう一本釘を刺しておく。
「そ、そうですねえ!? 本当にすみません。山鉾高校の場合と同じように思っていたもので・・・」
「仕方が無いから、所属学部(小学部、中学部、高等部があり、一般の小学校、中学校、高等学校が一緒になったようなものである)、学年、分掌等、此方で勝手に決めさせて貰いましたけど、それでよろしいですね!?」
「は、はい! 勿論それで結構です」
慎二としては、神妙な顔をしてそう言うしかなかった。
その後、貰った春休み中の予定表を見て、慎二は吃驚してしまった。
新任として秋川高校に赴任した時、そして山鉾高校に異動した時も、4月になってから1度、前任の教科担当の教師等と1時間ほど打ち合わせをしただけで、後は始業式まで何も用がなかったのに、この曙養護学校では休日以外の休みが全く無く、予定がぎっしり詰まっているのを見て、
『嗚呼、俺は何と言う大変なところに来てしまったんやろぉ~!?』
と面食らってしまったのである。
それだけではなく、やはり一見して直ぐにそう思われたように、曙養護学校は知的障がい児を専門に受け入れる学校(と言っても、重複と言って、たとえば肢体に障がいを併せ持つ子も幾らか含まれていた)であった。
しかし、この面談の最後の方で管理職にそれを確かめた時には、慎二にとってそんなことはもうどうでも好いような気になっていた。
学校が替われば事情変わるもの
臨機応変大事なのかも
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我が国の場合、就業時間になった途端にエンジン全開となり、就業時間が終わってからエンジンを止めて行くのが普通、みたいな意識が今もまだ残っている。
だから我が子の場合でも、内定が決まった後は、大学生の内から何度も研修に呼び出されており、4月になって直ぐに動けることを目指しているかも如くであった。
その割に交通費ぐらいしか貰えるわけではなく、最初の給料が出たのは5月末であった。
お金の方はそれぞれが用意しておくように、と言うことである。
多くのことが職場の都合で動いており、それに文句を言わず従う子が重宝される。
教育も全般的にそう言う方向を目指して来たようであるが、否応なく国際化して来た今、少しずつでも変わって行くのであろうか!?