第1章 その1
藤沢慎二が曙養護学校に異動して来ることになったのは、本人の発言からも想像されるように、本当に適当な理由からであった。
来る前の年の秋、そろそろ異動希望を出す時期のことである。まだ前任校の秋川高校から山鉾高校に来て2年目の慎二は、出したところで異動させられることなど有り得ないとは分かっていた。その分、気楽に書いてやろうと思い、然るべき時には異動可能な全ての校種に希望順を付けて提出した。
本来は希望する幾つかの校種にだけ順番を振るのが普通であり、たとえば全日制普通科(1)、定時制普通科(2)、全日制工業科(3)、以下空白、のように精々3種ぐらいに振っておくのが現実的であろう。それを慎二は挙げられている8校種全てに順番を振って出したのである。
したがって提出した時、受け取った校長からは当然のように、
「先生は去年来はってまだ2年目やから、異動は先ずないと思って頂いた方が好いですよ」
と言われ、慎二も納得した顔で返した。
「はい、分かっています! 用紙を頂いたので、何か書かなあかんのかなあ、と思いまして、ついつい書いただけのことです。どうもすみません」
それを聴いて校長は安心したように、
「そうですか!? それなら好いんですけど・・・」
誠にあっさり片付けられてしまった。
勿論、予想していた通りであったから、慎二は何のショックも受けず、それでこの件はあっさり終わったものと思っていた。
ところが、それですんなりとは終わっていなかったようである。
3学期が始まって間もない頃、その日の業務を終えて帰宅した夜のこと、居間で寛いでいる慎二の元に1本の電話が入った。
📞トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・・・
風呂上がりに缶コーラを傾けながら、帰りに買って来たビデオでも視ようかと思っていたところだったので、ちょっと苛々した声で、
「はい、もしもし、藤沢ですけど・・・」
慎二はただでさえ電話が嫌いなのに、大好きなレイコちゃん(多分当時まあまあ売れていた女優、葉山レイコのこと。もう51歳になるが、当時は可愛かった・・・。なんてどうでも好いか?)との逢瀬を邪魔されたのであるから、直ぐにでも切りたそうなぶっきら棒な言い方であった。
そんな重い雰囲気を感じたのか? 電話の中の声は恐縮しながら、
📞もしもし、藤沢先生? 今晩は。小笠原です。帰宅して寛いでおられるところ、本当にすみません。急ぎの用があったもので、止むを得ず掛けさせて頂きましたけど、何だかお邪魔だったようですね!? 今、お時間の方はよろしいでしょうか? ほんの少しで結構なんですが・・・」
校長の小笠原昭義である。温厚そうで、人の話は聴いてくれそうな感じに見えるから、これまでのところ管理職に恵まれなかった慎二としては決して嫌いなタイプではない。
「あっ、校長先生!? 今晩は。別に結構ですよ。時間ならたっぷりとあります。どうせ独り者ですから・・・」
📞ハハハ。有り難うございます。でも、少しで結構ですよ。そんなには御邪魔しませんから・・・。
慎二としては精一杯のお愛想に、校長も大分気が軽くなったようだ。
しかし、話はそう軽いものではないようで、一瞬の沈黙の後、気を入れ直して、
📞それでは。・・・。藤沢先生、今回、異動希望を出されていましたよね!?」
「あっ、はい!」
📞あれは、まだ生きていると思って好いですか?
「えっ!?」
何だか意外そうな展開である。胸のときめきを感じながら、或る意味退屈に倦んでいた慎二は、直ぐにでも続きを聴いてみたくなって来た。
「何かあったんですかぁ~!?」
📞ええ、あったんですよ!
そこで切って、校長は暫らく反応を楽しむつもりのようであった。
慎二は焦れて来て、
「どこですか、それはぁ?」
📞先生、養護学校を3番目に希望されてましたよね? その養護学校から問い合わせがあったんです。
「そうなんですかぁ・・・。養護学校からあったんですかぁ・・・」
退屈凌ぎには重過ぎる選択肢に、慎二は言葉が続かない。
📞先生、どうかされましたか!? 何だか元気がないみたいですけど・・・。
分かっていて訊いているこの校長、温厚そうに見えて、実は確り腹に一物を抱えた、真に校長らしい校長であった。
「いや、すみません。意外なところだったもんで・・・」
📞そうですか・・・。そりゃそうかも知れないなあ。でも、行ってくれますよね!?
少し躊躇したものの、慎二は何とか覚悟を決めて、
「は、はい、勿論! でも、僕で大丈夫なんですかぁ~!?」
他人から期待されることに慣れていない慎二は、頼まれると中々断ることが出来ない。断るとまた独り寂しい生活を送らなければならないことを酷く恐れてでもいるかのようであった。
校長はそこを逃してはならじとばかりに、
📞そりゃあもう、先生でしたら大丈夫だと思いますよ!? 自分から希望を出されているぐらいだから、きっと大丈夫。いや、絶対大丈夫ですよ!
畳み掛けるように大丈夫と繰り返す。
会議やほんの偶に行う面談以外では話したこともない校長から、訳の分かったような、分からないような、適当な保証をされて慎二も、まあ好いか、と適当に話に乗ってみることにした。
独り暮らしが長くなって来て、慎二はそれほど退屈していたのである。
退屈が変な勇気を与えたか
先ずは動くと決めちゃったかも