sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

虹の彼方に・・・R2.3.5①

               その1

 

 橋詰結太、23歳。近所にある駅弁大学を休学している。

 初めはそれなりに通っていたが、変にまじめに授業をし、成績までごく真面目に付けるドイツ語の教授に出くわし、単位を落とされてから気が萎えた。

 いや、考える機会を与えられたのである。

 この目覚めが将来的にまで続くかどうかは分からない。

 と言うか、この国に将来なんてあるのだろうか。自分も含めて、世のため、人のため、なんて気持ちはこれっぽっちもないように見える。

 そんなことまで思ったかどうか。結太はともかく、惰性で大学に通うのが馬鹿馬鹿しくなった。

 幾ら駅弁大学とは言え、萎えた気持ちのまま通い続けるのは難しい。テストやレポートは無理でも、せめて誠意(※)を見せるぐらいのこともせずに続けようとするのは甘過ぎる。
(※誠意とは相手の言いなりに頑張ると言う姿勢、または手間、またはお金、等々のこと)

 事実、大学における結太の影は見る見る薄くなって行き、何時の間にか消え入っていた。

 もっとも、母親の明美がそれを知ったのは休学中どころか、学籍が抹消されて2年も経ってからのことであるが、その話はまた別の機会に。

 さて、休学とは言え、背中を押されるように体よく大学から追い払われた形の結太は、ネットカフェに入り浸るようになった。それも、念のため急行で30分ほど乗った先にある繁華街の中の1軒を選んだ。それぐらいの羞恥心はある。
と言うか、しばらくは明美の目を誤魔化して自由な時間を持ちたかったし、ちょっと人目を忍ぶこともしてみたかった。

 ただ、元々淡白な結太のことであるから、多少いかがわしいサイトを覘く程度のことも滅多になく、ましてネットを通じて生身の人間と付き合おうなんて気は全く起きなかった。

 では何をして時間潰しをするのか!?

 これができるのである。ネットを通じると大概の物は買えるし、大したことがない意見でも戯言でも自由に発表できる。そして、電波の上でにせよ、セレブたちと絡むことまでできちゃうのだ。

 

               その2

 どうしてここで打たないんだよぅ。どうでもいいときに芸術的内野ゴロやらを打って、チャンスにはちっとも打たないんだから~。

 あ~あっ、また負けちゃったよぅ。

 くそぉー。また皆から攻められるだろうけど、書いておかなくっちゃ。

 

 ゴキロ~、どうでもいいときに打ち損ねのヒットで、1本1000万円やてぇ~!?
 帰れ、帰れ!

 

  多少胸が痛まないでもなかったが、画面に向かって吐き出すことで、今居る閉塞的な空間のことを綺麗さっぱりと忘れられた。新たな地平に向かって飛翔し始めている自分を実感できた。自分の書いていることに対する過剰なほど敏感な反応がピリピリと心地よかった。

 ついこの前までは否定的なコメントが多く、スター選手を責める結太を選手に代わって成敗するような勢いだったのだ。

 この頃、賛同するようなコメントが常時半数を超えるようになった。

 それがスター選手の衰退を如実に、物悲しく語っており、宙ぶらりんの今の自分に対する慰めにもなった。

 スター選手も人間であること、そして自分には過剰に反応してくれる仲間(?)がいる・・・。

 結太はすっかり気をよくして、ランチに出かけるために席を立とうとした。

「うっ! またや・・・」

 すかさず、さっと手が伸ばして手早く処理したら、

「もったいないなあ。そうなる前にうちを呼んでくれたらええのに・・・」

 隣のブースに陣取っている笹島玲奈であった。決して呼ばないことを知っているからこそ、安心してからかっている。

 結太は何時ものように黙って受け取り、黙って処理を済ませて、ネットカフェを出た。

「・・・」

 ズボンは何とか大丈夫なことは知っていても、どこか気恥ずかしい。

 それに玲奈との決まったようなやりとりも、慣れたようで、未だに気恥ずかしい。

「玲奈の奴・・・」

 珍しくその気になりかけていた。

 美形なだけではなく、耳年増なだけで、今にしては珍しく純であった。純なだけに、結太と同様、現実社会からの逃げ場を求めてここに来ていた。

「でも、どうして・・・」

 投稿を済ませると決まって行ってしまう理由は分かっていても、玲奈を意識し始めた所為か、素直に認める気にはなれなかった。

「政治家は選挙運動に夢中になるうちに濡らしてしまうこともままある、なんて言うし・・・」

 えらく大層な例を持って来て、自らを慰めた。

「まっ、どうでもいいや!」

 晩夏の太陽がギラギラと眩しかった。

 

               その3

 結太は今の境遇をまだましだと思っていた。

 実は今の生活を似て、もっと孤独な時間を過去に2年も経験している。

 しかも、よく言われる9歳の壁をようやく乗り越え、小学校の高学年に足をかけたばかりの時にであった。

 あの時は今ほどはっきりした言葉で思ったわけではないが、その分、余計にもやもやして、処理し切れない時間を無駄に送ってしまった。

 きっかけは他愛無いものであった。

 ごく普通に見られる、空気に馴染まない、違和感からのからかい?

 結太の反応が変だからと言って、しつこくなり、またエスカレートして行った。

 苛めた方も、思春期の入り口に掛かり、もやもやしていたのだろう。何か心を騒がせる娯楽を求めていた。

 一般論を言えば、そう根深くもない、月並みな苛めであった。

 ただ、それでも受けている本人にとっては十分に大きい負の体験であった。

 この2年の間に結太の体形はしなやかな少年から弛み切った中年オヤジのそれに変わり果て、成績は上位10%から下位10%へと急降下した。

 当然、心理的な劣化も避けられず、世間的な価値判断に素直に従うことなどできなくなっていた。

 これも普遍的現象としてに、成績や出欠に関係なく進級できる公立中学校から入学試験が行われる高等学校への上がる時に一番苦労した。

 幸い中学校ではほとんど休まず、おまけに陸上部で結構熱心に活動までしていた。

 しかし、成績と言うものには遅れて影響が出て来るもので、気が付いたら箸にも棒にもかからなくなっていた。

 小学校の高学年における、本当の学力を身に着ける入り口に当たるところで、基礎を積み損ねた結果であった。それまでの成績が幾ら好くても、嘘のように分からなくなった。そして、休まなくなってから同じだけ経っても、欠けたところを取り戻すどころか、もっと深く抉れて行くように思われた。

 特に、中学校から本格的に学び始めたはずの英語がほとんど0点。算数から呼び名を変え、世界観を広げた数学も一桁が定位置となっていた。

 それでも母親の明美は一時的なものと思い、のんびり構えているように見えたが、駅弁とは言え、4年制の大学を出て、地元の市役所に勤めている修平の場合、そうは行かなかった。

 福祉課でそれなりの経験と知識を持っていた分、担任の教師の言外の要望に素直に従おうとした。

 結太を交えた3者懇談での話はこうである。

 授業中の落ち着きの無さ、忘れ物の多さ、それに何より授業内容の定着の悪さから考えて、一度発達検査を受けてみるべきではないか!?

 自分からは持ち出さなくても、持ち出して欲しそうな気持ちが表情や態度に出ていた。

 そして恐る恐る持ち出してみると、担任は全く否定せず、満足そうな表情になり、リラックスした様子で受け止めている。

 他にも何人か、結太と同程度の成績をとっていた生徒がおり、迫られ方は別にして、その殆んどが発達検査を受けていた。

 また、大して縁もないはずの教師にまで、廊下ですれ違いざま、

「おい、橋詰! お前、このままでは定時制でも行くとこ、ないぞぉ~」
 等と、言われていた。

 要するに、外堀を埋められ、搦め手から攻められている感じであった。

 結局、流れに沿って教育相談を受ける方向に進んだが、結太を担当した相談員が落ち着いて話を聴ける人であったことが幸いした。結太は本質を見抜いて貰え、元の道に引き返すことができた。

 結太が年なり、いや、しんどい経験をした割に崩れず、見た目以上にしっかりとした考えを持っているし、学力も父親の修平が辛抱強くつき合えば、きっと上がって来る、と言うのである。

 ただこれとて、修平の相手をした相談員は、見た途端に問題を感じたように言い、後から主任に当たる結太を担当した相談員の意見に従ったから、修平にすれば大分迷わされた。

 これも経験から考えて、往々にして厳しめの意見に真実がありがちなように思えなくもなかったからである。

 それでも、我が子故に、修平は希望的観測の方に従うことにした。

 明美の喜ぶ顔を見たかったし、一番には、これ以上の面倒を避けたかったのである。 その後も決してスムーズに行ったわけではないが、結果として普通より多少お金がかかっただけで、最底辺に近い全日制の公立高校に進めたから、まあよしとしよう。

 高校ではごく平凡な学校生活を送り、流れに従って勉強しているうちに、それなりの成績を収めることができた。そして、修平と同じ駅弁大学まで上がることができたのである。

 それではこれで問題が全て解決されたかと言えば、勿論そんなことはない。一番大きな結太自身の問題が残ってしまった。

 必要な時期に、何故? と問い、納得行くまであれやこれやと頭を悩ませることなく、ここまで来てしまったのである。

 前回に立ち止ったときはあまりに幼過ぎた。恨みを恨みとしておぼろげながらでも認識し、人並みにやって行けるまで癒すのが精一杯。大分退行しながらも元の道に戻れただけでも幸いであった。

 ただ、そのときのことがあるから、今回は嘘のようにあっさりと道から外れることができた。

 そう考えれば、前回の経験を全く無駄であったなどとは言えない。

 ともかく、道を外れた結太がこれから更に堕ちて行くのか? それとも、本人の思い通りに、新たな地平に向かって飛翔して行けるのか?

 それは分からないが、面白い局面を迎えようとしていることだけは確かである。

 幾ら整っていようとも、人生がルーチンワークでは面白くない。結果はどうあれ、遥かに長く、現実的には中心となるはずの、過程が数奇である方が、実は豊かな人生。

 そこまでは答えが見えておらず、それゆえ余計に楽しい時間を結太は持とうとしていた。