sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード40)・・・R4.7.3②

            エピソード40

 

 以前にも書いたように、言葉と矢には共通点が多い。たとえば放った言葉と矢は決して戻らないということもそのひとつで、昔から我が国では、沈黙は金という言葉で、無駄口、安易な発言等の愚かさを指摘している。また覆水盆に返らずという言葉で、してしまったことは悔やんでも取り返しがつかない、時間を戻すことは出来ないのだから、慎重に行動するべきことを言ったりしている。

 大事だと分かっていても、神ならぬ人間には中々出来ないことだから、昔から言葉を変えて繰り返し言い伝えられて来たのだ。簡単に出来たら気にも留まらず、わざわざ言葉にして注意を喚起しようとはしないはずだし、する必要もない。

 一方で、我が国には昔から恥じの文化(江戸期までの侍、明治期の書生等の風潮)というものがあり、自分を褒めたり、自分が欲することを露骨に他人(ひと)に要求したりするような発言を恥ずべきこととして中々出来なかったのも事実である(※1)。

 しかし、このような昔ながらの書生気質を後生大事に守っている、古風と言うか、時代遅れと言うか、もどかしいようにのんびりとしたカップルが、ここに居た。

 もう予想されるように、この無駄に長くなりそうな物語の主人公、藤沢浩太と安藤昌江である。

 もっとも、もどかしく感じているのは筆者や数少ない読者、それに2人を取り巻く人々等、本人らのことをよくは知らず、一般的な常識に照らし合わせてそう感じているだけのことかも知れない。本人らは至って真面目に食事を共にし、メールを交わし合う。それで十分幸せそうな顔をしているのであるから、ちょっと考えてみれば、何の問題もなさそうな気がして来る(※2)。

 しかし、たとえ誤解であろうと、周りのスタンダードに照らし合わせ、立てられた噂が無視出来ないのもまた事実なのである。だから浩太と昌江が幾ら、

「食事を共にしたり、メールを交換したりする以上のことは決して求めていない!」

 と声を大にして言い張ったとしても、

「2人の仲は更に進展し、世間の常識程度には交流を深めているはずだ。だからきっとそれなりの事実があるに違いない!」

 と決め付けられると、これを意識の上でまで否定するのは中々難しい。

 というわけで、昌江の個人練習が終わる夜遅くまで浩太が待ち、その後2人で王寺まで出て夕食を共にする習慣、および日々のメールの交換程度のことが針小棒大に伝えられ、2人共が昔ながらに敢えて否定しようともしないものであるから、カップルとしてすっかり出来上がっていることになってしまった。

 口さがなく、沈黙は金と反省すべき周りと、後生大事に昔風を守り過ぎる2人が完全に食い違ってしまった面白くも哀しい結果である。

 昌江の師匠である左近寺周平はこの頃でこそすっかり家庭的になり、変に昌江に迫ったりしなくなったが、以前はずっと昌江にしつこく迫り、師匠を無碍にも出来ない生真面目な昌江を困らせていた。時期によって多少濃くなったり、薄くなったり波はあっても、長く付き合って来た分、周平は昌江のことを自分か子どものように分かっていた。

《食事を共にするだけとしても、異性の教師と生徒が2人だけで、しかも深夜まで付き合うのは好ましくないが、今の御時世、それぐらい普通に見られることでもある。ただ2人の場合、それ以上の感情が交流しているのも事実だから、変に言われちゃうんだろうけど、昌江は決して軽い奴ではない。浩太のことはよく分からないながら、見たところ、まあ晩生だろうなあ。だから、2人が噂のようなことになっているなんて、ほぼなさそうだけど・・・。でも、このままでは2人とも、もしくは片方がこの学校に居られなくなる。その前に何とかしてやった方が好いのかも知れない。それに若い2人のことだから、特に浩太は。だから、いつ何時今より進展するか分からない面もあるから、早めに何らかの手を打ってやった方が2人の為かも知れないなあ。そう言えば、あいつこの前、法隆寺学園の理事長になったとか言っていたなあ・・・》

 あいつとは、左近寺が教師になり立ての頃に担任した松吉丈太郎のことである。弓道部でも面倒を看て、インターハイで優勝させたこともあり、以後ずっと左近寺のことを師匠として仰いでいる。

 法隆寺学園は私学としてはほどほどの進学校であるが、それでも大学受験では県立の2番手校と比べても遜色ないぐらいの成績を収めているし、クラブ活動が盛んである。弓道は勿論、ほとんどの運動部が県内は勿論、近畿でも有数の成績を収めており、文化部も同様である。

 軽く打診してみると、昌江の実績は何処でも知られており、大歓迎であった。生徒と付き合っていることまで正直に伝えても、

法隆寺学園の生徒ではないし、左近寺先生から伺った人となりから考えても問題にはしません。いまどきその程度の年の差カップルなんてざらにいますから。ハハハ」

 と気さくに受け止めて貰えたので、左近寺は安心して昌江を弓道場に呼んだ。

「安曇、どうや、久しぶりに射合いでもしてみるか?」

「は、はいっ!」

 昌江は休日にわざわざ呼び出されたことに多少の緊張を感じていたが、左近寺がこの頃落ち着き、気力、体力、それに競技に対する勘も戻り始めていたことを知っていたから、以前のような関係を求めて来るということではなく、多分自分に関することではないかと予想していた。

 心に乱れがある所為か? このときは昌江より左近寺の方に分があった。

「どうした、安曇? お前らしくないなあ。このままでは駄目になってしまうかも知れないぞぉ。どうだ、俺の教え子がいる法隆寺学園に紹介してやるから、新天地で気分を入れ替えてみないかぁ!? お前なら歓迎するそうだし、藤沢浩太の方はそういうわけに行かんと思うし・・・。何処からでもうちに来るのは簡単だけど、うちの生徒が何処かに移るのは至難の業だから、潔くお前が動いた方が好い。それに、離れた方が見えて来る真実もある。本当に縁があるものなら、離れた方がかえって続くと思うぞぉ!」

 落ち込んでいたところに、左近寺から師匠らしくそんな風に親身になって言われると、昌江としても返す言葉がなく、心から有り難く思えて来た。

 左近寺から救いの手が差し伸べられた日の夜、昌江は例によって浩太と共に、王寺の街を歩いていた。

 ただ、何時もとは違い、何処かに入ろうとはしない。何時もであったら、高校生の浩太を気遣って、そんなには迷わず、慣れた店に入るのであるが、この夜はまるで何時までもこのまま歩いていたいかのごとくであった。

 ともかく何も自分からは決めたくない様子である。

 のんびり屋の浩太でも流石に変だと思われたようで、

「先生、どうかしたんですかぁ~?」

「えっ、何がぁ?」

 それ以上は浩太から何か言わせたそうで、珍しく絡み付くような視線であった。浩太の頭の中を隅々まで見通せそうなほど瞳が鋭く光っている。

 耐え切れなくなって、浩太は視線をサッと落とした。

 落とした位置が悪かったようで、短めのスカートを穿いた昌江の引き締まった太腿が飛び込んで来た。

 目が眩みそうなほど眩しく、浩太は慌てて、更に視線を落とした。

 それでも、眉間や額が眩しく、燃えるように熱いものを感じる。この夜の昌江の瞳はそんな風に浩太を焼き尽くすように熱かった。

「・・・・・」

 何時まで待っても視線を上げず、何も語り出さない浩太に、流石に昌江も焦れたようで、

「実は昼間、左近寺先生に呼ばれたの。以前から、何処かに好い転勤先はないかと思って相談していたんだけど・・・」

 浩太の心の負担にならないように気遣って、自分から左近寺に相談を持ち掛けたようにして、後は事実で埋めた。

「そんなこと・・・。先生がここを出て行く羽目になりそうなのは、全部僕の所為なんですね・・・」

 気遣いも無駄だったようである。恋に成績など関係なく、どうやら浩太は瞬時に真実を見通したようである。

 しかし、昌江の立場を考えると何も言えず、また競技者としての昌江を考えても、比べようもなく法隆寺学園の方が条件的に好い。

 自分のもやもやした気持ちを除き、強いて反対する理由はないから、

「でも、その方がかえってよかったんちゃいますかぁ~!? いや、そう考えたらいいと思いまわぁ~。それに近くなんだから、これで逢えなくなるわけでもないし・・・」

 そう言いながらも、相談を持ち掛けられた、というか、ほとんど決まったことのような重荷を背負わされた浩太としては寝耳に水で、毎日身近に存在を感じ、デートを楽しめたのがそうは出来なくなるかと思うと、一瞬目の前が真っ暗になってしまった。

 やがて止めようもなく涙が零れ始め、ただ茫然と頬を濡らした。

 次の瞬間、熱いものが迫ったかと思うと、柔らかいものでしっとりと口を塞がれた。

 浩太の伏せがちな顔に下から昌江が迫ったのであった。黙ったままはらはらと泣いている浩太を見ていて昌江は切なく、また愛しくて堪らなくなり、在り来たりな慰めの言葉よりそれがこの場にいちばん相応しい言葉のように思えたのであろうか。

 効果があり過ぎたようである。昌江がブラウスまで染み込む熱いものが涙のように軽くはないのに気付き、離れて確認してみると、浩太の顔は泣き笑いになり、鼻から大量の鼻血が噴き出していた。

「アハハハハハ」

「先生、笑うなんて酷いですよぉ。先生がいきなりキスなんかするから悪いんやぁ~。これでも僕、初めてなんやから・・・」

「アハハ。私だって初めてよ。でも、アハハハハハ。でも、やっぱり可笑しいもん!」

「そうですね。やっぱり変ですねっ。ハハハ。でも、先生も初めてやったなんて、何や嬉しいなあ。フフフッ」

「もぉ~っ、嫌らしい笑い方・・・。何や大阪のおっちゃんみたいだわ。ウフフッ。でも、アハハハハハ」

 無理にでもしかめようとした顔もちっとも嫌そうではなく、余計に愛しくなり、笑うしかなかったようだ。

 浩太も笑って誤魔化すしかなく、その夜はそれだけであっさりと別れた。

 と言っても、昌江は家に帰るまでが大変であった。ブラウスに鼻血をべっとりと付けたまま電車に乗るわけにも行かず、駅前からタクシーを拾ったのであるが、暗いとは言え、妙齢の女性が只ならぬ様子である。ちらちらとバックミラーで様子を確認され、何を言い出されるか? 気が気ではなかった。

 家に帰ってからも実は大変だったのであるが、此方は事情を察している弟の聡史が適当に話を合わせてくれ、何とか凌ぐことが出来た。

 後から頬を赤らめながらも聡史に詳しく事情を話し、大笑いされた上に、小遣いまでせしめられたのはちょっと悔しかったが、それでも昌江はほっと胸を撫で下ろしていた。

 一方、浩太の方は家に戻ってから落ち着いて考えてみれば、今の状態がずっと続けられるとは思えないし、昌江の競技人生を考えると、ここで自分が一歩引くべきことが分かって来た。

 その判断が好かったようである。関係者の誰もが事実を知りながら、家庭の事情と言う曖昧で便利な理由を前面に立てて、話はとんとん拍子で進んだ。浩太が2年生に上がる時に昌江は、法隆寺学園の体育館の舞台に立ち、緊張の面持ちで新任の挨拶をしていた。

 そして、それまでの間も、昌江が移ってからも、あの分岐点になった夜を別にして、何事もなかったかのように、待ち合わせて食事だけを共にするデートを延々と繰り返し、2人共まだそれで十分に幸せそうであった。

 

        カップルの数だけ恋の形あり

        無理でなければ其れで好いかも

 

※1 過去形にしたのは、今となってはそれも昔のことになりつつあるからである。だからこそ、年配者が「秋の童話」、「冬のソナタ」、「春のワルツ」、「夏の香り」等、我が国よりは古い文化が残っていそうな韓国のドラマを観て、しみじみと懐かしむ。また我が国でも実は小説、ドラマ等でそんな一見すると時代遅れなカップルが時折描かれる。

※2 今はまっている韓国ドラマ、「おバカちゃん注意報~ありったけの愛~」ではそんな今ではあり得ないような純粋無垢な愛が描かれている。2013年の作品であるから今(令和4年)から10年ほど前の作品になるが、懐かしいもの、切ないものを感じさせ、あり得ないと思いつつも、あって欲しいと思い、ついつい視続けてしまう。