エピソード33
秋もたけなわの10月初旬、台風12号、15号によって大きな被害を被った十津川(※1)の復旧も一息吐いたある日、藤沢浩太は例の山登りに何人かを誘ってみることにした。独り歩きは相変わらず好きであったが、偶には自然への感動を気の合う仲間と共有するのも悪くないかと思われたのである。
先ず、何時も傍にいるクラスメイトの柿本芳江に声を掛けることにした。
「なあなあ、この日曜日やけど、もし空いてたら、一緒に葛城山(※2)にでも登ってみぃひんかぁ~?」
以前、話に出したことがあるし、気の置けない存在になっていたから、軽く誘うには一番自然な相手のような気がしていた。
「え、えっ!? あ、有り難う。勿論行くわぁ!」
即答であった。異存のあるはずはなく、女性の特権か作戦、手管のように、1回は躊躇ってみる余裕も気もなかった。
一息吐いて芳江が、同行出来るのは自分だけかと思い、じわじわ喜びを実感し始めていたところ、これも何時も傍にいる里崎真由がおもむろに切り出した。
「天気も好いようやし、藤沢君、私も一緒に行っていいでしょ?」
幼さの残る、CGの萌え系アニメのようにふんわかとして整った容貌に似合わない毅然とした言い方に、浩太は反射的に、
「そりゃええよ! 大勢いた方が楽しいやろし、ほな、一緒に行こかぁ~!?」
実は、芳江に気楽気に声を掛けたものの、言った途端に、浩太はちょっと後悔し始めていたのである。何時もと違い、山で2人っきりになることを想像すると、じわじわと緊張を感じ始めていたところであったから、渡りに船であった。
真由に対する浩太の返事に芳江はちょっと落胆していたが、ここで文句を言って嫌われたくはないし、言える筋合いでもなかった。
「ほな、俺も行こかなぁ~? 久しぶりやし、気持ち、ええやろなあ~」
話の展開に耳をそばだてていた親友の尾沢俊介も真由の話に乗っかった。
その後、浩太はメールで西大寺学園高校にいる親友の優等生、西木優真も誘ってみたが、この頃付き合い出した桂木彩乃との関係が急速に進んでいるようで、迷わずに断って来た。
メール、ありがとう
ご無沙汰ばかりしていてごめん。浩太も知っている通り、桂木さんと付き合い出したから、洒落じゃないけど、葛城山には行けません。また機会があったら誘って。ではでは。西木
返事を見せて貰った俊介は一言のもとに、
「あいつを誘ってどないすんねん! 今のあいつは誰の誘いにも乗るかいなぁ~。一番ええ時で、桂木先輩しか見えへんねんから、放っておいたりぃ・・・」
ちょっと呆れ顔であったが、言い方は優しかった。関係が何処まで行っているにせよ、恋という意味では珍しいほど真面目な関係であるから、トラウマの所為でごく限定された人以外と深く交わることを避けがちであった俊介にとって、限りなく羨ましい関係であった。
結局、他には浩太のクラスから杉田敏生と中川玲奈が加わり、6人で行くことになった。
暫らく前まで敏生は真由に、玲奈は浩太に気があったが、2人とも相手に全く脈がなさそうなことに気付き、そのとき何時も傍にいたお互いを見直し始めたようである。この頃メールを交換するようになっていた。そして、2人してこの企画に乗ることにした。類は友を呼ぶで、底辺校と言われる奈良県立西王寺高校では少数派の恋に慎重なタイプの2人にとって、手始めのデートらしきものとしては気楽だったのである。
葛城山は標高1000m弱。それより全国的に知名度の高い高野山と同じぐらいで、関西では手軽な避暑地として親しまれている。地上から100m上がる毎に普通気温が0.5~1℃下がると言われているから、頂上では5~10℃低く、たとえ35℃を超える日でも25~30℃ぐらい。ロープウエーを使えば、大した苦労もせずに、エアコンを適当に効かした環境を味わえるのだ。
約束した日曜日は幸い天気に恵まれ、下界での気温は23℃。昨日までの愚図ついた空模様が嘘のような秋晴れであった。こんな日は高低差による温度変化も激しく、山頂に近付くに連れて肌寒くなり、ロープウエーから降りた時はもう初冬のようであった。
「嗚呼、寒ぅ~」
浩太はウインドブレーカーを取り出し、羽織った。芳江、真由も素直に従う。
俊介は自分まで従ってしまうのはちょっと癪だから、痩せ我慢のように、
「何言うてるんやぁ~! ええ気持ちやん!? 今からはガンガン歩くんやし、これぐらいの涼しさでちょうどええわぁ~」
玲奈は用心して持って来ていたが、暢気な敏生が持って来ていないようなので、一緒に我慢することにした。
歩き出したら、俊介の言うほどではないが、それでも適度にアップダウンがあり、ほどほどには温もった。普段、体育以外ではあまり運動らしいことをしていない敏生と玲奈にはちょうど好かった。
頂上には呆気なく着き、見晴らしは今一である。生駒山の方が300m以上低いが、視界が開けており、大阪方面と奈良方面が遠くまでくっきりと見えてそれなりに気宇壮大になる。それに比べてここは少々物足りない。山の上からなだらかに続く山が見えるだけで、住宅地の景色に例えれば、何だかベランダから近所の屋根の波を見ているようなものだ。
それでも時間が経てば、また適度な運動している分、お腹だけはちょうど気持ちが好いほどに減っている。
「ともかく、何か食べようかぁ~!?」
ここでも浩太が仕切って行き、歩いている間に見かけた山小屋風の食堂に入ることに決めた。近くにはホテルもあったが、高校生には贅沢に思われたし、メニューを見て、それほど惹かれもしなかったのだ。
正解だったようである。下界と大して変わらない値段で、味も如実に劣るというほどではなかったから、活性化された体と環境が相まって、凄く美味しく感じられた。
人はお腹が満たされると幸せになる。そして素直になる。浩太は勿論、芳江、俊介、真由、敏生、玲奈、6人6様にすっかりリラックスし、ほっこりとした表情になっていた。
「ハッ、ハックション!」
落ち着くと、気温の低さが身に応えて来たようである。先ず身長が180㎝近くと、今風に長身ではあるが、体重が60㎏ほどと痩せぎすの男子である敏生が震え出した。
「クシュン。嗚呼、寒い・・・」
伝染したのか? 小柄で華奢な玲奈も震え出し、今度は迷わずにウインドブレーカーを取り出した。
こんなとき俊介は勘好く立ち回る。食堂に入って直ぐに、黙ってウインドブレーカーを羽織っていたから、何食わぬ顔をしている。
誘った手前、気になったのか? 浩太は自分の分を脱ぎ、無造作に渡しながら、
「俺、暑がりやから、これ、貸してやるよぉ~。嫌やなかったら着ときぃ~」
「あ、有り難う・・・。ほな、借りるわぁ~」
敏生は迷っていられるほど余裕がなかったから、素直に借りた。
浩太の方も強がりを言ったわけではなさそうだ。熱い物を口にした所為もあり、ほんのりと汗ばんでいた。
一服してまた歩き出したから、それで不都合はなく、幸い風邪を引いたり、ギクシャクしたりというような酷いことにはならなかった。それぞれに秋の空気、光景を楽しみ、山を下りるまでに、ごく自然に距離が少しずつ縮まったようだ。
夕日が滲んで大きくなり、美しく大阪方面に沈む頃、誰からとなく、
「嗚呼、気持ち好かったぁ・・・。また行こなぁ~!?」
「うん、また行こなぁ~!」
「ほな・・・」
「ほな、さよならぁ~」
挨拶を交し合って別れた顔が其々何時も以上に神々しく、素直に見えた。
芳江は、隙を見て浩太を誘い、デートの続きを楽しもうと思わないでもなかったが、山には矢張り霊力があるようだ。せめて今日だけはあっさりと帰ることにした。
皆と分かれた後、浩太は何時も通り王寺に出た。勝手が違ったとは言え、秋の山歩きは気持ち好く、適度に疲れていたから、何もなければ浩太もこのままあっさり帰ったはずである。
しかし、お互いに呼び合うものがあったのか? 西友の前にかかったとき、出て来る弓道部顧問の安曇昌江とばったり顔を合わせた。
しかも、昌江はすらりと格好の好い男性と一緒であった。
《何だか見たことがある奴やなあ・・・》
昌江は気恥ずかしそうではあったが、にこにことして嬉しそうでもあった。
浩太の方は、そうは行かない。せっかくほっこりとし、落ち着いていた胸が急に騒がしくなって来た。自分としては隠し切れない取り乱しようで、かえって素っ気ないほどの目礼をし、足早に立ち去ろうとした。
単に弟の聡史と一緒に買い物に来ていただけの昌江には少しもやましいところがなく(※3)、浩太の初歩的な誤解を楽しむゆとりがあった。
「藤沢君、何処かへ行って来たの? 好かったら、一緒にお茶でも飲まない?」
「え、えっ!? ・・・」
浩太は固まってしまった。
「ハハハ。姉さん、僕のことを紹介しなきゃあ、可哀想だよぉ~。ハハハハハ」
自称プレイボーイの聡史は、昌江の年にしては可愛過ぎる恋を知っているから、おかしくて仕方がない様子であった。
「えっ!? 姉さん? それでは・・・」
浩太の顔は目に見えて晴れて行った。
「ハハハ。そう! 姉が何時もお世話になっています。いや、お世話をしています、かな? ともかく、よろしく!」
気軽に手を差し出した。
昌江の身長が170cmはあるから、近寄ってみると聡史も大きく、180cmはありそうで、浩太より心持ち低く見えるぐらいか? 筋肉が程好く付き、かっちりと引き締まっている分、浩太より大きく感じられた。昌江と同様に武道の心得があるのか、浩太がおずおずと合わせた掌は意外なほどごつごつとして逞しかった。
しかし、決して拒否する手ではなく、受け入れようという温かい手で、その意味でも浩太はグッと気が楽になった。おかしなことかも知れないが、葛城山に登った時よりも更に晴れ晴れとした顔になって行った。
「そしたら姉さん、僕はこれで帰るから・・・」
挨拶を済ませたらごく自然に、さっさと帰ろうとする。こんなところも聡史は洗練されていた。
「別にそんなに慌てなくても・・・」
そう言いながらも、昌江も心底嬉しそうであった。
「そんな正直に喜ぶなよぉ、姉さん・・・」
それ以上は言わず、聡史は微苦笑を浮かべながら西王寺駅の方に足早に去って行った。どうやら車では来ず、電車でのんびり来たようである。
残された2人は漸く何時もの静けさを取り戻したかのようである。
しかし、何時も以上に隔てるものが取れ、2人とも上気した好い顔になっていた。既に秋の冷気が身に染みる夕刻になっていたが、それがなければこのまま2人とも舞い上がってしまったかも知れない。それほどこの夜の2人は距離を縮めかけていた。
何時ものように直ぐに駅前の西友に入るには惜しい気がし、どちらからともなく、大和川から竜田川の方に向かった。火照った身体を冷やす為に適度な川風(※4)が欲しくなったのである。
それが好かったようだ。手をつないでいるだけで2人共満足し、落ち着いて来た。
「そう言えば、昨日のメールに書いてあったわね? もしかしたらみんなと一緒に葛城山に登って来たの?」
昌江から口火を切った。
それで浩太も気が楽になったようで、
「うん。芳江らと一緒に・・・」
「もしかしたら2人きりだったりして・・・」
余裕が出たのか? 昌江は面白がっている。
でも、少しは疑っていたのか? 覗き込んだ目が笑っていなかった。
「え、えっ!? そんなこと・・・。他にもいっぱいおったでぇ~。ほら、メールにも書いたはずやけどなあ・・・。いや、書かなかったかなあ~? ともかく・・・」
浩太はしどろもどろになっていた。
「ウフッ。別にいいのよ、隠さなくても・・・」
「別に隠しているわけでは・・・」
普段一緒に居る友達同士で行ったことを薄々知っていながら、この夜の昌江はちょっと人が悪かった。
恋には何でも味付けになるようである。
しかし、元々恋には淡白な昌江にはそれだけで好かったようで、あっさりと、
「そうね。メールには柿本さん、里崎さん、それに5組の尾沢君だったかしら?」
それで浩太も気が楽になったようで、
「それからうちのクラスの杉田君と中川さんも加わって・・・」
「6人も。それは賑やかだったわね。ついでに私も誘ってくれたら好かったのに・・・」
街灯が疎らで、はっきり見えないことが昌江を大胆にしていた。いや、年なりにしていた。
「またそんなこと言うてぇ、出来るわけないやん! 出来たら僕もそうしたかったところやけど・・・」
浩太は怒ったように言う。
「ウフッ。冗談よ、冗談・・・」
浩太の気持ちは収まらなかったが、抱きしめたい気持ちを握りしめた手に力を入れることで何とか抑え、また黙々と歩いた。
浩太の気持ちがグッと迫り掛け、何とか抑えたのを敏感に感じた昌江もまた気持ちを急激に高揚させ掛けていたが、頭の中で明日からの予定や授業のことを考えることで何とか抑えていた。
何も飲まなくても、何も食べなくても、2人共、心身共にすっかり満たされていた秋の夜であった。
秋冷が道行く二人程々の
熱さに保ち其れも好いかも
※1 十津川は昔から台風等によって大きな水難の被害を受けて来たから、お話とすれば何時を想定しても好いわけだが、この話が10年ぐらい前を想定していることから考えれば平成23年(2011年)のことと考える方が分かりやすい。実際に聴いた話であるが、この時は奈良県立十津川高校の学生寮に取り残された生徒達を救うのにヘリコプターまで出動したそうな。
※2 大和葛城山のことで、ウィキペディアによると標高は959.2mあり、大阪府では最高峰となるそうな。奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村の境界に広がっている。ロープウェーで頂上近くの開けたところまで行くことが出来、本文にも書いたように避暑地、散歩コース等としては悪くないが、高野山のように多くの寺院、店舗、宿泊施設等で開けているわけではない。以前は葛城山が連なる金剛山(標高1125m)のことを大阪の最高峰と思っていたが、此方は御所市に位置するようである。
※3 たとえ彼氏や友達であったとしても、現代の日本社会に生きる大人の昌江がやましく思う必要は少しもないが、お互いに恋し合い、はっきりとは言葉に出さずとも確信を持って自覚し合っている2人には、ちょっとしたことでも相手に対する裏切りのように感じられがちなものだ。
※4 大和川は王寺の辺りでもかなり幅が広く、この時期には適度な夜風と言うより、場合によっては決して優しくない夜風に晒されることもあり得る。それに比べて支流の竜田川になると大分細く、また両側に桜、紅葉等が適度に配された遊歩道が儲けられているから、カップルでのんびり歩くにはちょうど好い。