sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード29)・・・R4.6.2①

            エピソード29

 

 秋の馬見丘陵公園(※1)、竹取公園(※2)の辺りは風が甘やかで、気候、気温ともに申し分なく、奈良方面だけではなく、大阪方面からも多くの家族連れが訪れる。ほど近くに日帰りの温泉施設、虹の湯もあり、観光地と言えなくもない。

 しかし、奈良県立西王寺高校の生徒達にとっては、ちょっとした距離のところにあるちょっとした広さの公園に過ぎない。偶々立ち寄れば遊具に興じても、それは一緒に遊ぶ相手が気持ちを浮き立たせたわけで、公園自体の魅力ではない。だから、最早わざわざ訪ねる場所ではなくなっている。

 特に体育会系のクラブに入っている生徒にとっては、週に1回程度は持久力を付ける為に足を延ばす馴染みの場所でもある。

「ええ~っ!? 記念すべき第1回目の遠足が、この町内を歩き回って、竹取公園まで足を延ばして弁当を広げ、あとは学校に戻るだけやなんて、一体どう言うことなん、それぇ~!?」

「そう。あんたもそう思うやろぉ~!? ほんま、ひどいわぁ~!」

「まあ、でも仕方がないかも知れんなあ~」

 空いている席を視線で示しながら、

「下手なとこに連れて行ったら、何をされるか、分からんもんなあ・・・」

 このクラスだけでも既に3人やめている。3人も、と敢えて言わないのは、5人以上やめたクラスが半数を超えるからだ。空いている席は2つあり、それは次にやめるであろう生徒達と噂されている。何でも1人は薬物乱用、1人は窃盗・恐喝だと言う。法的な措置を受けるのは勿論、事実上退学は免れないだろうと言われている。

 一体に底辺に位置する高校は、余裕で来たにせよ、ギリギリで背中を押されるままに仕方なく来たにせよ、前向きな気持ちで来た子はごく少ない。

 それではこの与太話の登場人物達はどうであろうか?

 先ずは柿本芳江であるが、投げやりな気持ちで来ている。トップクラスの進学校とまでは言わないまでも、真面目に勉強していればその次のクラスぐらいには行けたはずだ。言わば世の中の一番受けの好い層に入れたはずのタイプであるが、生憎そんな小器用さは持ち合わせておらず、なまじ人生とは何ぞや? なんて考えてしまう不器用さ、生真面目さを与えられていたばかりに、人生航路のほんの入り口で不本意ながら彷徨うことになった。

 でもまあ、ものは考えようで、より高いステージを目指すタイプと言えるのかも知れないし、少数ながら気の合った人とより深く付き合えるチャンスを与えられたタイプと受け取れば、あながち損とばかりは言えない。

 次に里崎真由である。成績については微妙である。やれば出来るのであろうが、他に興味があり、それに対して前向きなので、問題にされなかった。元々弓道で好い顧問が居ると噂に聞き、手に合う学校だから選んだので、後ろ向きなところが全く感じられない。それどころか、気に入った異性、藤沢浩太が見付かったので、毎日ご機嫌であった。

 桂木彩乃は弓道で名を上げ始め、この頃其方は引退へと向かっているが、西木優真と言う超が付くほどのエリートと付き合い始めたので、人生に後ろ向きなわけがない。

 その他にガサツな女子が多数登場するが、小学校後半から精々中学校前半までのレベルと言われる西王寺高校の定期試験で困ることはなさそうである。

 つまり、女子は総じて余裕を持って入り、困ったところで自分で何とか出来るタイプがほとんど、という感じのようだ。

 男子となるとそうは行かない。これまでに止めた30人、これから1年生の間にやめそうな20人、ごく少数の家庭に事情を抱える者を除けば、全てギリギリで何とか押し込まれた不本意入学生である。最初こそ顔を出してみたが、毎日厳しいことを言われ、苛々が募って煙草を吹かしたり、万引きをしたり、酷い場合はカツアゲをしたり。それで直ぐに持たなくなった者が数名で、彼らがあっさり学校を去った後、堰を切ったように学校を離れた者が更に数名。それからは毎月のように数名ずつが学校を去り、夏休みをきっかけに10名ぐらい去った。それら全て男子であったところが西王寺高校の歪さを表している。

 さて、この物語の主人公、藤沢浩太であるが、彼とて小学校時代の不幸な苛め体験がなければ選ばなかったかも知れないから、一応不本意と言うことになるのかも知れないが、彼は父親の慎二に似て、目の前の苦難が去ってしまえば、表面上は長く引き摺るタイプでもない。そして、日常の殆んどが表面上のことによって流れているので、西王寺高校を選ぶ時点ではそんなに苦にしていたわけでもなく、トレーニングマシンおよび施設の充実等、一応前向きな理由で選んでいる。そして彼の好む時代劇の世界に通じる弓道という道を見付け、更に安曇昌江という憧れの女性を見付けたから、毎日がふわふわした状態であった。

 浩太の親友、尾沢俊介も同様であった。将来、得意なスポーツを生かした職業、たとえばジムのインストラクター、トレーナー等を目標にしており、手に合う範囲に条件に合う西王寺高校があったから、割と積極的に選んでいると言っていいだろう。

 ともかく、遠足自体は予想通り、面白くも何ともなく、文字通り遠足であり、まさに校外学習であった。それを予測して休む者が多く、出席率が5割に満たないクラスが半数を超えた。

 その中で浩太の所属する2組は浩太の昭和チックな恍けた魅力のお蔭かどうかは別にして、休んだのは5名で、長欠者の2名を除けば3名に止まった。正直なところ、女子が他クラスを圧して多くなっていることに関係しているようである。

 もうひとクラス、俊介の所属する5組が男子優勢なのに出席率が好かった。

 と言っても、俊介にはほとんど関係なく、クラスの副担任として安曇昌江が参加していたことに大いに関係していると言っても過言ではないだろう。歩いているとき、竹取公園での昼食時、および自由時間等において、昌江の周りには常にむくつけき男(おのこ)が10名以上取り巻いていた。その黄金のポジションをずっと確保出来ているものは僅かで、入れ替わり、立ち代り、メンバーは頻繁に変化していた。

 昌江は浩太と夕食を共にした日から親しみを増し、何でもないことでメールを送って来るようになったが、学校では殊更に顧問と部員という線を守ろうとしていた。遠足では気が緩み易いので、浩太へと靡いている気持ちが出てしまわないかと心配していたのだが、何のことはない。クラスの男子生徒が強いバリアーとなり、近付けもしなかった。

 恋とは不思議なもので、近付けないとなると、余計に近付きたくなる。それを視線が、吐息が表していた。

 浩太の方も芳江、真由、それにクラスの何人かのシンパに守られ(?)、昌江の方には隙を盗んで時々熱い視線を送るしかなかった。

 幼いようでも女性で、それに常に間近にいる敵はもっと手強く、真由は浩太の身動き取れない様子を喜び、この遠足を十二分に楽しんでいた。

 芳江はひところの暗さがすっかり影を潜め、今の悩みは浩太が思うように振り向いてくれないことであった。好いところまで近付いてくれるようで、それ以上は決して近付かず、此方から近付けば、すっと身をかわされる。本人にすれば結構な悩みなのかも知れないが、それは芳江をより輝かせていた。

 要するに男子と女子の違いはあれど、2組、5組とも、遠足はきっかけに過ぎなくとも、十分過ぎるほど楽しんでいた、と言えよう。

 秋の昼下がり、若者たちが集い、散策を楽しむ西大和は鄙びて長閑な地で、この日はまさに遠足日和であった。

 

        柿食えば鐘が鳴りなり法隆寺  (正岡 子規)

   

        恋すれば散歩も楽し西大和

        

        日常も薔薇色になるそれが恋

 

※1 ウィキペディアによると、奈良県北葛城郡広陵町と河合町にまたがる広大な県営の公園で、面積が65.3haにも及ぶ。馬見古墳群の保全と活用を目的のひとつにし、大阪にも近く無料で遊べるので、休みの日には結構賑わっている。

※2 馬見丘陵公園の南側に隣接する県営の公園で、面積は6.5haあるが、馬見丘陵公園の広大さに比べればこじんまりとしているように感じられる。と言うか、一体のもので、その一部と捉えられる。遊具が多く、子ども連れが楽しめる場所である。