エピソードその15
3月下旬から4月上旬に掛けては、地域でトップの公立進学校である大阪府立北河内高校であっても、2年生の全過程を終えた春休みは本格的な受験準備を始める前の、ほんの僅かの間にせよホッとひと息吐いてリラックス出来る機会となっていた(※1)。
そんな空気に春の陽気も手伝ったようで、柿崎順二と橋本加奈子は暫し受験勉強を置いて、2人だけの濃密な時間を楽しんでいた。保護者を含めた周りも既に公認している仲で、何時火が点いてもおかしくない2人ではあったが、いざとなると簡単には一線を超えない、そんな生真面目、と言うか、律儀なところもある2人でもあった。
そんな或る日のこと、順二は、次の日曜日は母親の麻子に用事があり、夜になるまで家に居るのが自分だけであることを知り、加奈子を自室に誘う。
「なあなあ、今度の日曜日やけど、家におるのん、俺だけやねん。そやから家に来えへんかぁ~? なっ、ええやろぉ~!?」
とか何とか、下心あるのが見え見えであったが、加奈子も特に異存があるわけではない。緊張を感じつつ、むしろ望んでもいたが、そこは年頃の真面目な女子である。
「でも・・・。まだ私ら学生やし、そんなん・・・」
なんて、一応迷ってはみる。
ただそこは魚心あれば水心で、自然な流れでその日曜日の午後3時頃、順二の部屋には2人の姿が見られた。
だからと言って昨今の韓国ドラマのように部屋に入ったらいきなり抱擁し合い、落ち着く間もなくお互いの衣服を剥ぎ合って、彼方此方に脱ぎ散らかしてひとつになる、なんてことは無く、緊張しまくりながらもおやつにお茶を出し、折り畳みのテーブルを挟んで順二は今後のことを語り出す。
「俺なあ、まだ続けている野球のこと、もう暫らくは真剣に取り組んでみたいねん。もしかしたら、これはかなり遠い夢やとは思うねんけど、プロへの道も少しはあるかも知れへん。無理やっても大学で続けたい。そんな感じやから、ちょっと掛るかも知れんけど、加奈子には付いて来て欲しいねん!」
「・・・・・・」
加奈子は黙っているが、深沈として光っている真摯な目が、しっかり聴いている、受け止めていると答え、続きを促す。
「俺、加奈子のことほんまに真剣に考えてるから、付いて来てくれるかぁ~!?」
「うん、ええよぉ・・・」
加奈子はそれだけ答え、大きな目から涙をぽろぽろ零した。
順二は溜まらなくなって加奈子を抱きしめ、不器用に口を合わせる。
加奈子は驚いたように大きく目を見開きながらも、それをしっかりと受け止める。
「・・・・・」
「・・・・・」
2人だけに分かる心の会話をしている内に一体どれだけの時間が経ったのか分からないが、ちょっと落ち着いてから漸く2人は普通に、熱く長いキスを交わした。
それでも飽き足らなくなったのか? 順二が真っ赤な顔をして言う。
「加奈子、今の綺麗なお前のそのままを観たいねん。俺はお前のこと大事に思てるし、変なことはせえへんから・・・」
ここまで来て今更変なこともないものだが、はたから観てどんなにおかしくても2人が真剣に愛し合っていれば2人にとっては決しておかしくなんかない!?
「でも・・・」
暫らく迷って末、加奈子は、
「ほな、順ちゃんも脱いでくれるぅ?」
「うん、分かった・・・」
そして2人はお互いを確かめ合いながらゆっくり脱ぎ始めた。
神様もそんな大人の世界に入るにはまだまだ幼い2人の滑稽な様子がこそばくて、ただ黙って見ていられなくなったのか? 2人ともが下着姿になったところでバタンと順二の部屋のドアがわざとらしいほど大きく音を立てて引き開けられた。
「こらっ! あんたら何してるんやぁ!? 2人ともはよ服着て出ておいでぇ!」
麻子であった。用事が思っていたよりは早く済んだようであった。
その後は真面目な家庭であればお決まりの如く、分かってはいながらも一時的に大騒ぎになったが、実は麻子も高校生の頃に夫の洋一とそんな恰好になっているところを父親の譲二に見られ、大騒ぎの末、許して貰った経緯がある。
その後、高校、大学と長い付き合いになったが、特に揉めることもなく、結婚に至り、今も円満な家庭を築いている。情熱的ではあるが、至って真面目で極めて穏やかな家系でもあった。
加奈子の方も至って真面目で穏やかな家庭であったが、こんな場合、女子よりも男子の傾向に大きく作用されがちになる(※2)。
それはまあともかく、両家の何度かの話し合いの末、本気で思い合っているのであれば、結婚も視野に入れて付き合って好いと言うことになった。
勿論、若い2人のことであるから、この先どうなるのか分からないところもあろうが、最低限のマナーとして、お互いに嫌がることはしない、たとえ気持ちが高まって最後まで行ったとしても避妊だけはきとんとしておくようにと釘を刺された。
また安藤清美と丸山康介であるが、康介は悟るところがあったのか、見違えるように明るくなり、外に出られるようになった。そして清美と普通にデートするようになっていた。
こんな場合、同年代の2人にとっては何の支障もない。大人の目を盗むとか、そんな小さなことなど最早どうでもよい2人でもあったから、これまで1人で行っていたところに2人で行けるだけで十分に嬉しく、周りがまだ早いと言うことを敢えてしてみようなどとは思わなかった。
それならばこれからどうしようかと言う話であるが、この2人は意識の上でまだそんな話よりも、それぞれの将来のことへの関心の方が高かったようである。
清美は父親が検事をしており、出来れば其方へ進みたいと思う気持ちが強かった。そんな正義感から、あまりにも生真面目に人生について深く悩む康介に惹かれて行ったのかも知れない。
それはまあともかく、清美はこれまで国立浪花大学の法学部を志望していたが、ここのところ成績が伸びて来たので、これは関西では群を抜いてトップに位置する国立京奈大学にしても大丈夫かも知れない、と思い、多少迷い始めていた。
そんな話を聴いた康介は目を輝かしながら言う。
「そりゃ国立京奈大学を目指すべきやなあ。今のところ俺もそう考えてるしぃ・・・」
それで清美も気持ちを決め掛けていたが、実はこの時、康介はもう一ランク上げて、もしかしたら自分は我が国でトップに位置する国立東都大学にでも行けるかも知れないと思い始めていた。
康介の場合、父親は国立浪花大学工学部を出て地元の大企業、杉上電器産業に勤め、順調に出世して課長をしており、その方向に付いては特に目指す気がなかったが、実は祖父が国立京奈大学を出て弁護士をしており、色々悩んだ結果、清美と同じく法学部を志望していた。
そんなわけで、どの大学を目指すにせよ、2人の将来が決まって来るまでにはまだ大分掛かりそうであったし、それまでに関係まで深めようとする2人では、少なくともこの時点ではなかった。
それから、ここで漸くこの話の主人公である青木健吾とヒロインの中野昭江のことである。
健吾は前にも書いたように、愛知県に父方の伯母、早乙女瞳が住んで居り、まあまあ長く生け花とお茶の師匠をやっていた。その縁で県に隠然たる影響を持つ徳田正文と知り合い、教員を含めた公務員試験関係の世話をして貰えることになった。
何でも1次試験に合格すると後はほぼ大丈夫とのことである。
清美とのこともあり、かなり迷ったが、愛知県と大阪府では距離的に200kmぐらいで、そんなには離れていない。
《新幹線を使えば僅か2時間ほどやし、ちょっとケチって近鉄電車を使っても3時間ほどやから、会おうと思えば毎週でも会える!? それにまだ大阪府も受けるわけやし、愛知県と決まったわけではない・・・》
そう思って、と言うか? 自分を納得させて、愛知県も受けておくことにした。
その関係もあって春休み中の或る日、愛知県に瞳の家を訪ねた。言われていたように徳田が好んでいるらしい大阪土産、「はんなりはん」を持って。
徳田はもう70歳に近く、観た感じもそうであったが、近寄った時の眼光が違った。健吾には何か異次元の世界の仙人か何かのように思えたが、それがかえって普段の気弱さを忘れさせてくれたようである。人生、教育等への熱い思いを訥々と語り、それが徳田には懐かしいものを感じさせていた。
気に入ったとなると急に情の深さを示すのが日本の中の韓国と言われることもある愛知県の人である。瞳の家まで徳田を乗せて来た息子の敏文が健吾の写真を撮り、早速教員採用試験の1次試験に応募する準備まで手伝い始めた。
その後は瞳も入れて名古屋の繁華街、栄まで出て、老舗のうなぎ屋、「いば昇」で櫃マムシを前にして更に交情を深めた。
一方の昭江は成績が上がったことで漸く、健吾の出た国立浪花大学、また兄の陽介が通う国立阪神大学等の難関国立大学の背中が見えて来たところで、健吾からそんな話を聴いても今一ピンと来ていなかった。もし健吾が愛知県に行った場合、このまま国立浪花大学を目指すと離れ離れになると心配することはなく、また自分が同レベルの国立愛知大学に行けば好いだけと思い、安心しようと言うわけでもない。まだそんな風に将来を決める時期とは思えず、ただ目の前のことを追い駆け始めていた。
そんな昭江を見て、健吾も焦ってはいなかった。
と言っても、もう27歳で、数か月もすれば28歳になる。
周りを見ると、たとえば少し上であるから同世代の教員仲間、袴田久美子と中沢彰利はもうすっかり出来上がっており、同棲まで始めていた。姓のこともあるので籍を入れるかどうか? 入れたとしても通称をどうするのか? まだ迷うところもあり、また両方が正規の教員の場合、籍を入れたからと言ってそんなに利点があるようにも思えず、焦って正式に結婚までしなくても好いかと言うだけの関係(※3)にまで進展していた。
何れ結婚する気があるのならば、健吾はむしろ焦るべきであったのかも知れない。
ただこれだけは仕方が無い。本当の適齢期の個人差は思いの外に大きいようであった(※4)。
其々が岐路を迎える春になり
色んな動き見えて来たかも
適齢期人其々に違うもの
焦り出しても仕方ないかも
※1 この辺り、進学校と言われる高校であっても、公立の呑気なところであろう。私の高校時代である昭和40年代後半なんかはもっと呑気で、修学旅行が春休みにあり、3年生になってから漸く受験勉強に入った。そして3年生で学ぶ範囲も当然入試には大きなウエイトを占めるから、その範囲は並行して授業レベルから受験レベルまで引き上げて行く必要がある。そんなわけで、当時から高校で履修する全範囲を2年生の間に終えていると聴いた私立とは大分差があった。
※2 一般的に言えばと言うことである。迫る立場の男性、迫られ、受け入れる立場の女性と言う図式が普通ではあるが、個々の例で言えば何事もそうは言い切れないのがこの世のことで、草食系の男子、肉食系の女子も当然いるし、女性が圧倒的に多い場合に女性の方が積極的になるのも普通のことであろう。
※3 結婚するメリットを段々減らし、老若男女関係なく、心身の健康を維持出来る間は経済活動に駆り出そうとするのが我が国の流れで、その割にそれが出来る環境を整備しないから、当然の流れとして少子化が進んで来た。そこに平成大不況、度重なる震災、コロナ禍等が絡み合って、結婚を選ぶこと自体敷居が高くなっている現実がある。そんな中では教員を含め、公務員はまだ迷い、選べる環境が整っており、ましなのかも知れない。他国の例を見ても、少子化を少しでも緩めるには、結婚、ペア等、呼び方はどうであれ、ただ注意喚起したり、急かしたりするだけではなく、システム的に子育てが出来る環境を整え、経済的な発展を図ることが必要であろう。
※4 適齢期を気にして結婚を焦らなければならない時代ではなくなりつつあるが、子どもが欲しいのであれば、出産には生物学的な縛りがある。そして子育てに付いても、時代に即して人間らしく育てようと思えば、出産程ではないにしても、それなりに縛りはある。たとえば男性が50歳で初めての子が出来れば、大学まで卒業させるのに子どもの負担がかなり大きくなって普通であろう。そう言う意味としての現実的な適齢期は今のところまだまだあるのかも知れない。