その28
令和2年5月25日、月曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダにICチップ入りの職員証をスリットした後、そのそばに置いてあるアルコール消毒液を溢れそうなほどたっぷりと掌に取り、その中で手指を曲げたり、伸ばしたり、爪の間にまで染み込ませようとしてトントンしたり、ともかく丁寧に消毒する。
この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも気になって一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、何度もうがいをしておく。
そんな一定の安心感が得られる程の儀式的なことまで済ませ、息を弾ませながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来たら、何時もなら既に居るはずの正木省吾、すなわちファンドさんが来て居ない。どうやらこの日はテレワークをしているようであった。
この頃は朝、顔を合わせれば2人で暫らく世間話をするようになっていたから、慎二はちょっともの足りなかったが、仕方が無い。諦めて自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、そばにはテザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。
誰か知っている人が読むことを想定してどの辺りまで書こうかと迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出して、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。
朝のひと時雑詠
さて、また今週の仕事が始まった。
今週は既に何回か書いているように、久し振りに出勤日が通常よりも1日増えて4日となった。
切りの好いところで6月からの本格的な業務再開を目指して、今週は打ち合わせ、会議、準備等で気忙しい。
心身の調子を整えて行く期間にもなりそうだ。
世間では再開鬱、更に7月病(※1)なんてことも言われ始めている。
確かに、慣れて来た何かを変えて行くには結構負荷が掛る。
幸いと言って好いかどうかは分からないが、私の場合、何度かこんなことがあったから、経験済みではある。
若い頃はその度に体調を壊したことが数回あった。
周りにもそんな人を数名見て来た。
だからあまり気にし過ぎず、そんなものだと意識しておいた方が好いのは事実である。
変化するストレス掛る転換期
変化する重荷がきつい転換期
ただ、気温が上がって来ている途中であるのは幸いである。
これがもっと寒い時とか、もっと暑い時だときついし、季節の変わり目も辛い。
それはまあともかく、特別定額給付金の申請書について注意を喚起する記事が出ていたが、親戚もそんなことを言っていた。
よく読んで記入しないと、要らないことになってしまうそうな。
我が家にはまだ申請書自体が届いてもいないが、オンラインでも色々あるらしいし、何だか緊張するなあ。フフッ。
マジな話、それも含めてお役所はどうしてこんなに適当な仕事で許されているのだろうか!?
その辺り、今回は特にムズムズさせられる。
マスク金影も形も見えぬ初夏
マスク金届かぬままの解除なり
マスク金届かぬままに解除して
マスクと言えば、我が家に買い置いていた使い捨てマスクが遂に底を尽きそうになって来た。
家族はそろそろ布マスクを使い出している。
ネットでは既に50枚が送料込みで1000円前後から出始め、自宅近くのスーパーでも50枚箱無しだと1599円(税抜き)、箱入りで1799円(税抜き)で売られるようになって来た。
消毒用のアルコール入りジェルが500mlで799円(税抜き)なんてのも大量に並んでいた。
何れにしても中華製の、ちょっと怪し気で、これまでであれば普通の店に並んでいなかったような代物である。
何だか全体にドン・キホーテとかで売っていそうな、バッタもん臭くなって来たような気がするなあ。フフッ。
実際には見たこともないが、戦後直ぐに彼方此方で開かれていたと言う闇市って感じかも知れない。
全体に闇市化する解除前
転んでも起き上がりまた歩き出し
それはまあともかく、上にも書いたように人の心身の調子と言うものは急に変わるのが苦手のようである。
いわゆる慣性というやつだなあ。フフッ。
人は加速度が苦手なんだろう。
それなのに、若いと急加速を楽しんだりもするから面白い!?
なんて書いていたら、遊園地のジェットコースターのような乗り物のことを思い出した。
ディズニーランドやUSJのようなテーマパークも再開され、直ぐに賑わうのであろうか?
私の場合、若くもないし、元々加速度系の乗り物は好きでもないけどね。フフッ。
急加速楽しむ若さ遠くなり
急加速楽しむ若さ懐かしみ
緊急事態および休業要請解除の関係もあるのか? 最寄駅からの電車には通勤客が増えただけではなく、通学客も加わっている。
少しずつ隙間を開けて座っている人よりも立っている人の方が多いぐらいである。
乗換駅の生駒は結構な人波であった。
近鉄生駒線のホームから近鉄奈良線のホームへと移ってから少ししてやって来た近鉄難波行きの普通電車は結構混んでいたが、乗り換えの為に降りた人が多く、生駒から大阪に向かう人はぐっと減っていた。
ここまでも順調に来ている。
ところで、今日は少し曇り加減のようで、生駒トンネルを抜けた後、眼下から大阪市内へと広がっているはずの街並み(※2)の見晴らしがあまり好くない。
あべのハルカスが遠くに霞んでいる。
座席から腰を浮かし加減にし、首を伸ばして探していると、知り合いに会い、ちょっとにやけ顔で挨拶されてしまった。
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
結構恥ずかしいものである。
さて、職場の最寄り駅が近付いて来たようである。
そろそろ仕事の顔を作らなければなあ。フフッ。
じわじわと職場近付き凛として
この日も自分なりには上手く書けたと思い、慎二がしみじみとしていたら、
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
慎二はちょっと迷い、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問い掛ける。
「メルカリさん、どう、これぇ? 今日も僕なりにはまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」
それだけのことで小心者の慎二は、相変わらず緊張で頬を紅潮させ、耳たぶをひくひくさせている。
「ブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ。と言うても、この頃僕はここに来るより家に居る方が増えてますけどねぇ。フフッ」
そう言いながらちょっと照れ、半分呆れ、半分感心しながら、
「どれどれ、ふむふむ、・・・」
気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて言う。
「確かに、本格的に仕事が再開されるのは緊張しますねえ。ブログさんなんかはそれに通勤の緊張をあるし、僕よりもっと大変ですねえ。さあ、今日はどんな仕事が待っているのかなあ!?」
《そう言えばメルカリさんの目が何時になく緊張している》
「・・・・・」
そう思いながら慎二が黙って見ていたら、メルカリさんが続けて、
「でも、四の五の言うても始まるもんはしゃあないし、それでおまんまが食って行けるんやから、むしろ喜ばなあきませんねえ。よっしゃあ~!」
そう言って自らに気合を入れて立ち上がり、給湯室にコーヒーを淹れに行った。
間髪入れず、事務を担当している若い依田絵美里が寄って来て、慎二の机の上にそっと熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを置く。そしてちょっと照れながら微笑み、何が始まるのかと期待しておどおどし始めた慎二の目を真っ直ぐに覗き込み、軽く拳を握って小さな声で、
「ファイティン!(※3)」
どうやら慎二が韓国ドラマにはまっていることを知っているらしい。慎二もちょっと照れた笑いを浮かべながらそっと返す。
「ファイティン!」
今日も何とか機嫌好く過ごせそうな感じがし、慎二はちょっとにやけながら、姿勢好く颯爽と立ち去る絵美里の後ろ姿をずっと目で追っていた。
再開の覚悟を決めて同僚と
声を掛け合い動き出すかも
再開の緊張抑え同僚と
気合を合わせ動き出すかも
※1 我が国の場合、マスコミは何時でも不安を煽るような記事を書き、造語を捻り出す。再開鬱なんかもそうであろうか!? それに7月病も。普通であれば登校や出勤が4月に始まって、ホッとして疲れが出始めるゴールデンウイーク辺り。それで5月病であるが、今年は6月に始まり、ホッとするのが7月と言うことであろう。
※2 近鉄奈良線は奈良と大阪の間を生駒トンネルが繋いでいる。生駒トンネルを大阪に抜けるとまだ大分高い石切辺り。電車は生駒山の山麓に沿って次第に高度を下げて行く。この時、電車は南向きから西向きに進路を変えて行くわけであるが、車窓から初めは西の眼下に広がる街並みを楽しませてくれる。遠くには天王寺(阿倍野)辺りにあるあべのハルカスが望め、晴れた日は青銅色に輝いて見える。群を抜いた存在感で、曇っていても確りと見えていることが多い。
※3 韓国ドラマでよく出て来る言い回しで、英語で言う(従って日本語では外来語)ファイトのことであろう。ちょっと跳ねるような感じで、女子が言うとおきゃんで可愛い感じがする!?