エピソードその12
北河内高校では10月中旬に2学期の中間テストが行われる。
したがって10月上旬からまた女子バスケットボール部の練習が停止され、顧問である青木健吾の受け持つ科目、物理では広い方の教室である実験室に2年生部員の有志がテスト勉強の為に集まることになった。
それだけではなく、女子バレーボール部の2年生部員有志も加わることになった。
と言うのは、夏休みの前半に行われた女子バスケットボール部の合宿に2日目から加わってくれた女子バレーボール部の顧問でもある体育教師、中沢彰利との話の流れでそう言うことにしたのである。
その代わりと言っては何だが、この2つのクラブの1年生部員有志はLL教室を使って女子バスケットボール部のもうひとりの顧問であり、英語教師の袴田久美子と中沢が面倒を看ることになった。
こんな感じで、北河内高校では定期テスト前になると彼方此方の教室を使って勉強会が開かれるから、健吾だけが特に目立った行動をとっているわけではなかった。我が国においてはこの特に目立たない、横並びと言う、一見差を付けないことが極めて大事なことであった。
それはまあともかく、そんなわけでこの時から定期テスト前の勉強会には女子バレーボール部も加わり、その部員でもあった安藤清美の姿が見られるようになった。
勉強を始めて1時間ほどした時、誰から言うともなく一休みしようと言うことになって、その時に清美が健吾に言う。
「先生、クラスの丸山君と手紙の遣り取りをしているそうですねぇ!?」
何時もより丁寧な言葉遣いに健吾はちょっと緊張しながら、
「うん。そうやけど、何かぁ・・・」
「いや、夏休みを切っ掛けに出て来なくなったから、今頃どうしてるのかなぁ? と思いましてぇ・・・」
「ハハハ。安藤さん、何か何時もと言葉遣いが違うもんやから、緊張してまうなあ・・・。ハハハハハ」
そう言って場を解そうとしてから健吾は、これまでのことを思い出しながら、言葉を選んで言う。
「そうやなあ・・・。暑中見舞いも入れたら確か3回手紙を書いたんやけど、まだ返事はないねん。そやけど、お母さんの話では読んでくれているということやから、また書こうかなとは思てるぅ・・・」
「そうですかぁ~。私の場合とは理由が違うにしても、丸山君、色々考え過ぎているようやから、私にも何か出来へんかなあ、と思いましてぇ~」
ちょっと遠い目をしながら清美が言う。どうやら自分が中学時代に引き籠っていたことを思い出しているようであった。
それには触れず健吾は、
「そうやなあ。それもええかも知れんなあ。返事が来るかどうかは分からんけど、読んではくれるやろぉ。それに、丸山君は元々安藤さんのことを気にしてたんやから、喜ぶ気もするなあ・・・」
「そんなことぉ・・・」
清美はちょっと赤面する。
そんな遣り取りを耳をそばだてながら聴いているのは分かるが、中野昭江は何も言わなかった。
初めは6月にあった文化祭以後、清美が健吾と気安そうに話しているのを何度か見掛け、気になって仕方が無かったが、どうやら清美が気にしているのは康介らしく、話題の多くはそのことなのが分かるに連れ、何も言わず見守っておくことにした。
と言うか、引き籠るほど悩むことについては昭江にとってちょっと遠い世界であったから、何も言うほどのことはなかったのである。
中間テストが終わって暫らくしてから戻って来た成績の方は、学年で昭江が98番、加奈子が154番であったが、清美は48番であった。
2年生になってから昭江は定期テストが大体100番前後で落ち着いており、夏休み直後に行われた校内実力テストでは157番であったから、十分に国公立を狙える位置にあった。
加奈子は定期テストでこの時のように200番以内に入ったり、200番を大きく超えたり、どうもまだ波が大きかった。校内実力テストでは161番と、昭江とそんなに変わらなかったが、これは中学時代ほぼ同じ成績であったことを考えてもうなずける話であった。
この2人に比べて清美は元々大分出来ていたようで、今回少し伸びたようであるが、これまでも大体70番前後で、もう少しで難関国公立大学も選べそうなところに安定しており、校内実力テストでも65番であった。
ただ、康介のことについては表面上大きな変化はなかった。清美と遣り取りするようになり、健吾はまた手紙を書いたり、試験期間の空いた時間を使い、担任の川田悠斗の許可を貰って訪問したり、幾つかの試みをしてみたが、それらに対する反応はすべてお母さんを通してであった。
こんな時、学校に許された時間は短過ぎる。精神科に通い、その療法を受ける場合、短くても数か月、長ければ何年にも亙るのが普通で、中学校、高校の3年間でも厳しいことがままあり、更に区切りの1年間だけではどうにもならないことが多い。
学校だけではなく、就職してからでもそうであるが、日常生活の動きを完全に止めてしまわなければならない場合、周りは動き出せるまで中々待ってくれるものではない。
そんなわけで一般的に精神科においても薬が使われることになる。しかも、病気そのものを治す薬ではなく、症状を緩和させる対症療法的な薬が殆んどで、それでも色々と副作用が考えられ、そう言う意味での慎重さを持つ医者は副作用を緩和させる薬を数種類処方することになる。酷い場合は30種類を超え、それだけでお腹が膨れるほど出されていた例を耳にしたことがある。
幸い康介が掛った精神科医はそんなタイプではなく、比較的に話を聴いてくれるタイプのようであった。それに同時進行で受けているカウンセリングを担当する臨床心理士も、これは当たり前のように思われるかも知れないが、よく話を聴いてくれるタイプであったようで、母親によると少しずつ落ち着いた顔になって来ているようであった。
また時折、健吾、それから清美への感謝の言葉を口にするようになり、何度か返事を書こうとしているとも言う。表面上は大して変化が無いように見えて、そんな風に康介の内面では大きなうねりが生じているような秋の日々が静かに過ぎて行った。
康介の一見止まったような時間とは違い、軌道に乗りながら動いている生徒等の時間の流れは速い。公立の進学校において2学期の中間テストを終わると、2年生の部員はあと1か月ほどでクラブ活動を引退することになる。そして引退後は受験に向かって直走ることになるのだ。
そんな怒涛のような秋の時間に昭江はそこはかとない寂しさを感じるのか? 気が付けば時折独り涙していることがあった。
でも、それを健吾に言うわけには行かなかった。いや、言いたくなかった。言えば2人の関係、いわばあってないような関係に大きなひびが入ってしまいそうで、何だか怖かったのである。
そんな時に思い付いたのがラジオでやっている深夜放送へのリクエストであった。
自分や健吾の好きそうな曲を野中昭子の名前でリクエストする。その曲についてDJと少し話をする。
《もしかしたら青木先生も聴いてくれているかも知れない・・・》
そう思うだけで何だか胸が弾み出し、また慰められるのであった。
将来を見据えて忙しい学校生活を送る今の昭江にはそれで十分であった。それほど昭江は心身共に健康に出来ていた。
そう書くと、康介や清美のように大きく揺れ、時に立ち止まる青春時代を送る若者たちが不健康なように思われるかも知れないが、そうではない。何事もバランスの問題で、昭江や健吾のように揺れても、小心者故に平均辺りのところで少し外れては怖いもののように直ぐに平均辺りに戻そうとするタイプは、引き籠るまでは行かないが、落ち着くまでにかえって掛かることもある。 比べて自分ではどうにもならないぐらい大きく揺れてしまうタイプは、人、本、経験等の色々な出会いを得られるとも言え、その結果、かえって早く、また大きく変身出来る場合もある。
よく言われている思春期における第2次反抗期と同様で、それが目立って激しいからと言って悪いとばかりは言えず、目立たないからと言って好いとも言えない。そして目立たない場合、収まるまでに往々にして長く時間が掛かることもあり得る、と言うことであった。
気忙しい秋の時間が過ぎて行き
乗り切れないで引き籠るかも