エピソードその9
昭和61年当時、学区でトップの公立進学校であった大阪府立北河内高校において3年生は夏休みが1週間ほど削られ、長い2学期が8月下旬から始まる(※1)。
ただ受験を控える3年生(※2)にとっては、1月からは授業が全く行われなくなり、殆んど登校しなくなるから、実質2学期制のようなものであった。
それに夏休みと言っても受験生にとっては勝負の夏と言われるほどの書き入れ時であるから、のんびりとはしていられなかった。
要するに3年生にとってこの1年は、切れ目なく繋がっているとも言えた。
また下級生においては、8月中旬から盆を挟んで8月下旬までの10日ほどの間は普通クラブ活動が行われず、のんびりと過ごせる時期であった。
それから教員にとっても、この10日ほどの間は割とのんびりと過ごせる時期であった。
一方、就職する生徒の方が多い学校の場合は、進路担当者を中心に3年生を担当する教員にとって大忙しの時期ではあるが、幸いと言って好いかどうかはともかく、北河内高校においては就職希望者が例年ひと桁であったし、伝統校故の利点か、探さなくても企業側から求人が余るほどやって来たから、楽なものであった。
そんな比較的のんびりとした8月中旬の或る日のこと、青木健吾はベテランの国語教師、内藤勝馬を中心としたグループに誘われてカラオケに行くことになった。内藤が車を出し、健吾の他に袴田久美子、卒業生で健吾と同じく常勤講師をしている家庭科の山本淳子、それにベテランの体育教師、酒井雪乃が同乗していた。
内藤の車はボルボで、まあまあ大きいはずであるが、後部座席に女性3人が乗っていることで、女性が大の苦手である健吾は精神的にかなりの窮屈さを感じていた。それに本革のシートから割と強めの生な臭いが漂い、それも微妙な気を誘っていた。
そんな健吾の様子に多少の落ち着きが感じられ始めたとき、頃合いと見たか? 内藤が後部座席にも届くように意識して大きめの声で話し掛ける。
「青木君、君、確か26歳って言ってたなあ?」
何を言い出すのか想像の付いた健吾はまたちょっと緊張しながら、
「いえ、7月にはもう27歳になりました・・・」
「そう。それで今、付き合っている彼女、いるのぉ~?」
「いえ、そんな人はぁ・・・」
「それだったらどうやぁ? この子たちぁ・・・」
空かさず雪乃が満面の笑みを浮かべ、その空気に乗ってみせる。
「えっ、それってあたしのことぉ?」
「フフフッ。冗談はさておきぃ・・・」
と内藤も慣れたものであった。
世慣れない健吾はこういう場合どう答えて好いか分からず、まして頭の中は女子バスケットボール部の合宿を終え、益々2年生部員の中野昭江のことで一杯になっていた。
「中野昭江はまだ若過ぎるしなあ・・・」
学校内のことであったら何でも承知している内藤は、そこで切って健吾の反応を少し観る。
この世界にはよくあることと、そんなことは十二分に分かっている顔であった。
「だから、今何とかしようとしても駄目やなあ・・・。もし本気やったら、これから短大に行って後4年、大学に行ったら後6年は待たなければいけないが、青木君、君はそんなに待てるのかなあ?」
内藤の時々向ける悪戯っぽい目に健吾はたじたじになっていた。
何時の間にか後部座席からは何も聞こえなくなっていたが、耳をそばだてている緊張感だけは伝わって来る。
健吾は益々固くなっている。
自分の言葉の効果に満足したか? 内藤は更に踏み込む。
「中野のことは一先ず置いといて、それでだ、青木君、後ろの御婦人方の内から選ぶとしたら、正直に言って誰を抱いてみたい!?」
おいおい、それは露骨過ぎやろ!? と言う感じであった。
それでも雪乃と久美子は内藤の極端過ぎる表現にも慣れたもので、ただ笑っているだけであったが、淳子は流石に恥ずかしがって、
「内藤先生、急に一体何を仰るんですかぁ~!? そんなのセクハラですよぉ~!」
健吾はそんな淳子を好ましく思い始めていた。
淳子は浪人をしておらず、この春に卒業したばかりであった。確かまだ誕生日が来ていなかったはずであるから22歳で、健吾より4つ下であった。中学校のクラブ活動でバレーボールを始め、身長は169cmと、昭江より少し高いぐらいであった。
《昭江より僅かに痩せて見えるから、体重は同じようなものかも知れんなあ・・・。家庭科の先生をしているだけあって、しっかりはしてそうやぁ~!? 気はちょっと強そうに見えるけど、結婚相手としてはそれぐらいがちょうど好いのかも知れないなあ・・・》
健吾は普段から同様に言われがちな母親の由美子のことを思い浮かべながら、淳子のことが憎からず思えて来たようである。
それを鋭く感じた内藤はにやりとして、
「いや、マジな話、結婚する時の条件として、それは結構大事なことやでぇ! 抱きたい、と強く思った人と結婚してこそ幸せになれるんやぁ・・・」
「そうよ。どうせならそう思う人と結婚しなくっちゃねえ・・・」
雪乃がちょっと遠い目をして付け加える。
淳子はもうすっかり黙ってベテラン教師たちの話を神妙に聴いていた。
内藤特有のこんな遣り取りにすっかり慣らされて来た久美子は、初めからずっと黙って聴いていた。
「ところで、袴田さん、今、中沢君と付き合ってのぉ~?」
たまたま気付いたように内藤が訊く。
「えっ、まあ・・・」
「何でもよく知っているわねえ、この助平オヤジ!?」
雪乃が心底感心する。
内藤は得意気に鼻を蠢かせながら、
「そうかあ~。やっぱり付き合ってたのかあ~!? それで結婚は何時するのぉ?」
ここぞと畳み掛ける。
久美子は仕方が無いなあと言う表情をしながら、それでもどこか嬉しそうに、
「まだ彼のご両親のところに挨拶にも行っていないのにぃ・・・」
それを聴いて雪乃が大きな年の割に澄んだ目をキラキラと輝かせ始めた。
「でも、もうそこまで行ってたのぉ~!? まだと言うことは、これからご挨拶に行くことまでは決まっているのねえ?」
「あっ、はい!」
もう久美子は観念したように、ただにこにこと嬉しそうに微笑んでいた。
「中沢の奴、私にはちっともそんなことを言わないんだからぁ・・・」
可愛がっていた後輩のことをそんな風に言いながら雪乃は更に言葉を重ねる。
「そしたら袴田さん、挨拶に行ってからで好いから、またお話を聞かせてねっ!」
「あっ、はい!」
それで雪乃は得心したようである。
頃合いと見たか? 内藤がちらっと健吾を見て確認してみる。
「どう?」
「えっ、どうってぇ?」
「山本さんのこと、抱いてみたいと思った?」
こらこら!
「先生、もうそんなこと止めて下さいよう!」
淳子は溜まらなくなって来たようだ。半ば以上本気で言っていた。
健吾は抱いてみたいかと重ねて訊かれ、昭江のことを思い出していた。女子バスケットボール部の夏季合宿における生な光景、感情が脳裏一杯に鮮やかに浮かび、広がっている。
そんなわけで、ちょっと好ましく思い始めていた淳子のことなどはすっかり飛んで行き、この場所にいることすら忘れ掛けていた。
内藤は自分の言葉の効果が無さそうに思われたのか? 妄想の世界に遊んでいそうな健吾を現実世界に引き戻そうとする。
「おいおい。青木君、今の僕の話やけど、ちゃんと聴いてたんかぁ~!?」
「えっ!? あっ、すみません!」
「これだぁ~、青木君・・・。悪気は無さそうなんやけど、まだまだ適齢期でも無さそうやなあ。フフッ」
内藤は急ぐことを諦めたようである。
淳子はホッとしたようで、それでいて何だかもの足りなさそうでもあった。もしかしたら健吾のことを普通以上に意識し始めていたのかも知れない。
カラオケの方は内藤の独壇場であった。渋くて甘い声が自慢のようで、何曲も続けて響かせた。
全体にリラックスした頃合いにマイクが回り始め、自分からは握ろうとしない健吾には最後に回って来たので、たとえ付き合いであっても、一緒に来た限りは断わるわけにも行かない。
「では、有楽町で逢いましょう、をお願いします!」
そう言って、久美子の方を見ながらもう1本のマイクを差し出す。
「袴田先生、デュエットお願いします!」
久美子も女子バスケットボール部の合宿で経験済みであるから、迷わずに受け取った。
それを見て雪乃が囃し立てる。
「あっ、この2人、何だか怪しいなあ!? 怪しいと言えば、袴田先生、さっそく浮気は駄目よぉ~!」
「そうだなあ。青木君、ここで山本先生を誘わなくっちゃねえ!?」
内藤も乗ってみせる。
淳子は笑いながらも待っていたようであるが、自分からは言い出し難い。
「・・・・・」
そんな空気が読めない、と言うか? 当意即妙な反応が苦手な健吾は、ただ黙って前に出ただけであった。
♪ここ~ろの、~そこ~まで、しびれるよ~な~
とい~きが~、せつ~ない、ささやきだから~♪
パチパチパチパチパチパチパチ・・・・・
歌い終わると暫らく拍手が鳴り止まなかった。
「おっ、甘いなあ。甘い! これは女殺しの低音やなあ。フフッ」
「ほんと、あたし、すっかりやられちゃったわぁ~!」
内藤と雪乃であった。
そんな雪乃もマイクを握ると流石で、好く響く可愛い声で品を作りながら、松田聖子の「秘密の花園」を歌い出す。
♪月明り青い岬、ママの目をぬすんで来たわ~、
真夜中に呼び出すなんて、あなたってどういうつもり~♪
そこでわざとらしく内藤に流し目を送ると、内藤も大仰にそれを受けて投げキッスを返す。その当意即妙な反応に皆大受けであった。
そんな遣り取りを楽しみながらも健吾は、早く家に帰って独りで昭江のことを偲びたくなっていた。
流石にそんな心ここにあらずと言った健吾のことをはっきりと感じたようで、淳子もそろそろお開きにしたくなっていた。
目の前の人は見えずに脳裏には
マドンナばかり浮かべるのかも
目の前の人を見ながら見ておらず
頭の中の人を偲ばん
目の前の人は忘れて脳裏では
早マドンナを偲び出すかも
※1 何事も習慣になるとそれが普通と思ってしまうもののようで、当時(昭和時代後半から平成時代前半辺りか)の大阪では夏休みが8月一杯まで続いて普通であった。だから1週間でも夏休みが削られると、大分厳しくなったと意識したものである。その当時でも、例えば北海道のように冬休みが長い地域は夏休みを短くしていたと聞く。当時から進学校では卒業生の授業が1月一杯で終わり、夏休みが削られて普通であったし、ゆとりを無くして行った時代に入ると、それが大阪でも学校全般に広がって行った。そこにコロナ禍が加わると、更に長期休暇全般に亘る短縮が始まった。
※2 センターテスト的(1979年、始まった頃は共通一次試験)なものが無かった頃に大学を卒業した私にとって受験は早くて1月末か2月初めで、普通は3月とイメージであった。当時から推薦はあったが、かなりの成績を求められ、大して有利とも思えなかったので、一般入試しか考えていなかった。だから余計に受験は2月からと言う意識が強かった。