sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード44)・・・R4.7.9②

            エピソード44

 

 この世には人間にとって何の力を借りようがどうしようもないこと、だから現実的にはどうしようもないことが幾つかある。本当はもっと沢山あるのかも知れないが、認識出来ていないことはないのと同じと考えてよいであろう。

 さて、どうしようもないことの最たるものは、矢張り死ぬことであろうか?

 産まれること、更にその前段階の妊娠することについては、あまりの喜悦に我を忘れない限り、またはあまりに身勝手な快楽主義者でない限り、かなりの精度でコントロール出来ると考えてよいし、我を忘れるぐらい激しく愛を交わしたのであれば、たとえ計算外の子が産まれたとしても、愛の結晶、子宝等と言って、出来たことをむしろ喜ぶべきであろう。

 天災、人災についても、独りでは何ともし難くても、力を合わせれば、その内かなりのところまで避けられるようになるであろうし、たとえ避けられなくても、被害を最小限に防げるぐらいにはなるであろう。

 しかし死ぬことに関しては、今のところ最先端の科学を駆使してもどうにもしようがないのである。

 死んだ後の魂の行方については勿論分からない。その種の疑問を取り敢えず置いて来たからこそ科学が現在のように発達したわけで、魂の問題は科学の範疇を超えている。現在、自然科学、哲学、心理学、宗教、心霊科学等、学際的に融合的な考え方も進んで来てはいるが、そのニュアンスを掠め取り、マスメディアを騒がしている理論や実証の多くは似非科学の部類に位置付けられがちである。正当な科学の範囲では、小難しい理屈は言えても、魂に関しては相変わらず大したことを言えていない。

 物質的には、死によって求心力を失い、やがてはバラバラの分子、原子となり、更に細かく分かれることがあるかも知れないが、ともかく組み合わせが変わって別の生物になって行くことは避けようがない!? 分かれた微粒子の一つ一つに魂の一部が宿り、それが組み変わる時にまた別の魂になって甦る、などと考えるのはSF的には面白いが、実際に信じ、口にすれば、以後かなり変わった人生を送ることになるかも知れないから、何らかの形でどうしても発信したいのであれば(※1)、覚悟を決め、慎重を期す必要がある。

 それでは死について一体どういう姿勢で臨めば好いのか!?

 その答えは各自見付けるしかないのであるが、素直な人には宗教、哲学のような先人の知恵が役に立つ。あっさり信じ、任せ切るも好し、もう少し自主性を重んじる向きには考えるヒントにするも好しである。

 信じたいのに信じ切れない、後ろ向きで懐疑的なタイプには、矢張り上の後者のように宗教や哲学をヒントに、考え、納得行くまで悩むことである。のめり込むことによって時間を忘れ、或いはそこまで行けなくても、悩ましい時間を何とか遣り過ごすことが出来る。

 家族を持つのも悪くない。恋愛から子育てや雑然とした家事に追われている内に、何時の間にか時間が過ぎているという寸法である。

 結局、何かをすることによって、その間は死について考えなくなっていることが好いようである。考えても分からないことに頭を悩ませるのは精神的に圧倒的なパワーを持ち得た哲学者だけの特権であって、一般人は訳の分からないことに延々と引っ掛かっているより、目の前の問題に真面目に関わることである。死を怖がったり、惑ったりするのは今生きている自分であり、その自分が死から離れたところに居れば、少なくともその間は死について怖がらずに居られる(※2)。

 死後のことは誰も分からないから、神様か? 或いは超自然か? 呼び方などどちらでも好いが、ともかく任せることである。任せられなければ、せめて忘れているより仕方がない。

 つまりは、我が国において小市民的な常識の世界に生きている限り、死は生のように考え方次第で喜びに変えられたり、考え方次第で避けられたり、という風には中々行かなさそうである。

 さて藤沢慎二の場合を考えてみることにしよう。

 慎二は宗教や哲学に魅かれているくせに、信じて任せ切ることが出来ない懐疑的なタイプ、早い話が小心者であるから、独り者の時は心に隙間風が吹く度に死のことを考え、言いようのない恐れを抱いていた。家族を持つようになって、漸く死の怖さを忘れていられることが多くなり、幾分恐怖感が和らいでいる程度のところである。

 が、決して完全に忘れ去ってしまったり、怖くなくなったりしたわけではない。精神的な薄皮が張った状態で何とか日々を遣り過ごせているというところであるが、その誤魔化されているような状態の内に時間が矢の如く過ぎ去っていることに今は薄っすらと恐怖感を抱き始めている。早くも定年退職後への予期不安である。こんな風に、一つの恐怖感が薄らげばまた別の恐怖感を呼び覚まし、それに拘ることで、生きている実感を得ているようなところがある。

 息子の浩太の場合はもう少し素直で、分からないことは神の領分だと思っていた。その精神性が弓道に合ったのかも知れない。持てる力、時にはそれ以上の力を一点に集中させ、一気に放った後は、風任せ、運任せ。自分ではどうしようもない世界であるから、そこはもう考えても仕方がないのである。その潔さに魅かれ、入った弓道部で、これまた我を忘れさせてくれそうな理想の女性、いわばマドンナである顧問の安曇昌江に出逢えた。それもこれも縁なのであろうが、今のところ人生とかなり好い付き合いが出来ているものと思われる。

 それでは同じ時間を重ねながら、親子でもこんな風に考え方が違って来るのはどう言うわけなのか!?

 これはまあ当然のことで、父親の慎二には息子の浩太でも知り得ない時間が産まれる前に結構な間に亘って流れていたからである。それも、慎二が長く独りの時間を彷徨って来た所為で、浩太がこれまでに生きて来た時間の3倍近くにもなる。

 慎二の父親、従って浩太にとっては祖父の健一は、程々に腕の好い左官職人であったが、人付き合いが飛びっ切りに下手糞で、自分で上手く仕事を取って来ることが出来なかったから、他人の下で働くことになり、当然大した収入が得られなかった。便利には使われても、見返りとしては昇給に関係なさそうな時にお上手を言われたり、新年の挨拶に子どもらを伴って行くと、親方から世間並みのお年玉を渡されたり、精々その程度のことであった。元々親方には元締めの業者から一人前の日当として支払われていても、健一に回って来る時には斡旋料、事務的な費用、保険等、色々天引きされて、半分程度にまで目減りしていた。

 当然の流れとして、家計は火の車であった。母親の聡子の内職やパート勤めの収入を加えても何とか世間の6、7割で、日々の暮らしが漸く成り立っていた。そんな中で慎二が大学まで行けたのも、幸い学力がかなり高い方であったお蔭で国立を選べたことと、当時国公立大学の学費が今に比べれば極端に安かったこと、それに奨学金が借りられたことも大きい。更に家庭教師の時間単価が一般的なアルバイトの数倍あったから、結構な助けになった(※3)。

 戦争帰りの男性を父親に持つ場合が多かった昭和30年代の生まれでは、そんな例が少なくなかったから、慎二が境遇を恥じて拗ねたり、ぐれたりすることはなかったが、元々感じ易いところに貧困から来る経験の少なさが加わり、自信の無さ、不安の強さ、懐疑的な部分等に繋がったのは否定出来ない。

 それに対して浩太が生きて来た16年ほどの時間は大分様相が違う。戦後も50年以上が経ち、最早戦後とは言わない、どころか、嘗て我が国が身に余る戦争を仕掛けたことすら現実感がない時代に生まれている。バブルが弾けた後とは言え、まだまだ豊かさを享受出来る時代に育ったことだけでも、物質的な欠乏感がなく、また親世代の慎二らが軟(やわ)になっている分、締め付けられもしていない。更に、そこに元々備わっている慎二ののんびりとした性格が加わり、浩太は生まれて此の方ずっと微温湯に浸かっているような時間を過ごして来ている。

 勿論、浩太は浩太で、慎二の子どもの頃とは違う種類の虐めを受け、また確りした支えや経験がない分、なかなか立ち直り難い憂き目には遭っているから、手放しで今の時代が恵まれているなどとは言えないが、少なくとも経済的な面のゆとりが時間、空間、経験と言った面に恩恵を与え、それが精神的なゆとりや自由度、自信と言ったことに繋がって来ているのは事実であろう。

 ただ、ここでもう一度、昔に比べて物質的、空間的、時間的等、見え易いものに恵まれていることを手放しに喜べない今の時代についてもう少し考えておくと、捉え方が多様化した混迷の時代であることは事実であるし、平成大不況の影響をもろに受け、右肩下がりの重苦しい時代であることも事実であるから、周りとの比較においてにせよ、選べるようで選び難く、何でも出来そうで、何にも出来ないように思えてしまう閉塞感に苛まれ易くもなっているのではないだろうか!? 今、青春真っ只中の浩太らの世代がこれからどんな青春時代を選び取り、また送って行くのか? まだまだ予断は許さないが、これに関しては可能性に期待しながら、見守って行くしかない。

 人の幸福感は千差万別である。老若男女、貧富や立場等、色んな条件に関わるから、絶対的には同じ事象に出会っても、幸せに思えたり、不幸と捉えて嘆いたり。一様には決められない。

 昔、たとえば戦後(※4)直ぐは経済的に恵まれず、時間的、空間的にも余裕のない生活をしていたはずである。それは既に述べたように慎二の人生観にも無視出来ない影を落としている。それにも拘わらず、健一、聡子が慎二や慎二の兄の浩一を膝に抱いているセピア色の写真を見ると、底抜けに明るい表情をしている。はっきりとした右肩上がりで、前に理想とする世界が広がっているように思えそうな時代の明るさ、と言ったところであろうか? ともかく希望に満ちた表情で、後から懐かしむようにアルバムを開いてみた慎二は、それを目にしただけで嬉しくなり、改めて健一や聡子のことが愛しくなった。

 また知的に、或いは身体的に恵まれず、中々まとまったことが出来ない障碍児者や幼子、老人等には必要上にせよ、ゆったりとした時間の流れ、空間的なゆとり等もあり、そして何より豊かな表情と生活の質の改善具合等を見て行くと、どちらが恵まれ、幸せそうな顔をしているのか? 俄かには分からなくなり、中々難しい問題である。と言うか、はっきり言ってしまえば、慎二が見聞きしている範囲においては、ゆとりある生活を担保された人(※5)の方が幸せそうで、他人を傷付けることも少ないように思われた。

 それから年頃になると、特に男子は、逸早く性的な経験を深めることに情熱を燃やすようになり、また如何に美的、経済的等、恵まれた相手と付き合えているか、ということにも拘りがちであるが、これとて本当のところはどうなのであろうか? 他人の目を意識し過ぎた、また視野が狭過ぎる幸福感ではないだろうか!? たとえばキスひとつ取っても、皮膚感覚も千差万別、胸がキュンとなる幸福感も千差万別というのが本当のところではないだろうか?

 ともかく、藤沢浩太と安曇昌江、西木優真と桂木彩乃、尾沢俊介と里崎真由、それぞれのカップルで付き合い方が三様に違っていたが、そんなことは全く関係なく、同じ様に最高の幸福感に満たされていた。その他に出来つつあるカップルもそれなりに幸福感が充ちつつある。

 確認の為もあって繰り返し同じようなことを長々と書いて来たが、結局、何時の時代、またどこの世界においても、幸せは他人が決めるものではなく、自らが生きて感じるものである。この視点だけは忘れないようにしたい。

 

        幸せは人其々に違うもの

        其々生きて掴むものかも

 

※1 その点に関して今は、ブログ、ユーチューブ、SNS等、一般人でも色々な発信法が発達して来たが、情報の内容についてはそんなに変わったわけではない!? この話を最初に書いた時より10年ほどの間に更にその手段は発達しているが、情報の内容が変わり映えしないのは相変わらずである。そりゃそうであろう。人文的にはギリシャ、ローマの時代から変わっていないと言われているのであるから。

※2 そうしている内に人は老化するから、考えが集中しなくなったり、更に呆けたりするから、自然と苦痛が和らぐように出来ている!? 今そう考えることは必ずしも嬉しくはないが、現実ではあろう。

※3 私が若い頃は国公立大学の学費が年に3万6千円、大卒の初任給が10万円、家庭教師の時間給が1500~2000円であったのが、40年以上経った今(2022年)、それぞれ15倍、2倍、1倍であるから、庶民にとって大学進学が如何に大変になっていたか分かる。ただ、過去形で書いたのは高等教育への支援が少し前から拡充されているからで、飛び抜けて優秀ではなくても、一般的な私学の学費をカバー出来るぐらいにはなっている。

※4 念の為に言っておくと、第二次世界大戦後、或いは太平洋戦争、我が国的に言えば大東亜戦争の後のことである。

※5 福祉、教育というものが社会のゆとりに強く影響される事実がこの頃では如実に表れ始めているように思われるから、昔に比べて今が豊かであると言うことが益々怪しくなって来た!?