エピソード15
人生において努力することなんて大した意味はない。何をしても、何もしなくても、どうせ死ぬのだから・・・。
半ば本気でそう思っている女子、柿本芳江が藤沢浩太のクラスにいた。
思春期にはありがちなことで、本当はそう思いたくないが、結果は見えている気がし(※1)、そう思うことで、人生なんて、そして死なんて大したことではない、と位置付けて安心したかったのである。
それだけではなく、中学校時代、迷うところがあって成績が急降下したことも大きく関係しているのかも知れない。思い通りに行かないとき、人は虚無的になりがちなものである。本当はもう1、2ランク上ぐらいの高校までは選べたが、そこに拘るとかえってプライドが傷つく(※2)気がし、高校なんて何処でも大して変わらないから、どうせなら気楽な奈良県立の西王寺高校をと考えて、適当に出願したような振りをした。
当然余裕で合格し、授業中以外は全く勉強しなくてもほとんど満点。定期テストの平均は95点を超えた。
しかしこれも当然のように、充実感など殆んどなく、期待通り(?)、このままトップであっても、人生において大して意味はない、という思いは変わらなかった。
一方浩太は、勉強においては全く歯が立たなかったが、親友の西木優真、小沢俊介、父親の慎二、それに中国武術家の周豪徳、等々、色んな人との関わりのお蔭で、また苛め、それによる引き籠り等、きつい体験をして来た所為で、一足先に思春期を抜け出し、人生を楽しむことにおいては意味を見出し始めていた。
努力してこそ自分なりの充実感があり、それを見つけ、打ち込むことが人生の醍醐味である、などと言葉ではうまく説明できなくても、体得していた。その余裕が顔にも表れ、周りにいる者はつい話しかけたくなる・・・。
或る日の国語の時間に中間テストの答案を返され、ざわめいていたとき、
「ねえねえ、藤沢君、中学の時は何点ぐらいだったの?」
芳江に97点の答案を見せられて目を丸くしながらも、浩太は隠そうともせず、82点の自分の答案を嬉しそうに見せて、
「そうやなあ・・・。50点取れたらええ方やったからなあ~。でも、これなんかまだあんまり変わらん気もするけど、ほら数学なんか・・・」
わざわざ78点の答案を引っ張り出しながら、目をキラキラ輝かせて、
「中学生の時は大体1桁やったでぇ~」
流石に1桁は偶にであるが、対比を楽しみたくて、またサービスの為もあって自虐的に言った。
可愛い子に話しかけられて嬉しくない男子など、特別な趣味でもない限り(※3)、まあいない。若いと言うだけでも、女の子はそれなりに可愛いものであるが、芳江は年齢を考慮に入れなくても、十分に美形であった。
「ウフフッ。先生が言っていたあれね!? 中学のときから考えて、想像していなかったほど好い点を取れる、って・・・」
「そうそう、あれ・・・。でも、柿本さんの方はどうやったん? さっき返して貰った数学も凄かったんちゃうん?」
「えっ!? まあ100点やったけど・・・」
面映ゆそうにしながら、中学生の頃、初めは80点台、3年生になってからでも、落ちたとは言え50点以上はあったことを思い出した。
頭の中で急いでそれを打ち消しながら、
「中学時代は藤沢君と変わらず、大したことなかったわ・・・」
浩太にはそれが気遣いと分かっていても、こんな可愛い子に気を遣われて悪い気はしない。相好を崩しながら、取り留めもない話を続けた。
ここでも恋を全くと言っていいほど意識していなかったことが浩太にうまく作用したようである。芳江はちょっと気になっていたことを浩太に聴いてもらいたかった。
「でも、この学校で幾ら成績が好くても、大して意味はないんでしょ?」
聴き方によれば嫌味に思われ、100年の恋も冷めるような質問であったが、浩太は恋などしていなかったし、言葉に鋭く反応する方でもなかったから、別にキッともならず、微笑みを浮かべたまま、
「そりゃまあそうかも知れんけど・・・。フフッ。取り敢えず嬉しいやん。それに、これがきっかけで、もしかして人生をすっかり諦めていたんが、気を取り直すかも知れへんでぇ~。ハハハ。俺、ちょっと偉そうやったかなあ? ハハハハハ」
今流行のどや顔をしながら鼻を蠢かせた。
芳江は自分のことを言われたのかと、思わずドキッとしながらも、浩太の憎めない様子に、表情を緩めて、
「そうねぇ~。そうなったらいいわね・・・」
でもやっぱり、大して意味があるようにも思えず、
「そんなことだけではなく、好い点取って、たとえ好い会社に入ったからって、何が変わるのかな? って・・・。藤沢君はそんなこと、思ったことない?」
出会ってから大して時間も立っていないのに、大層なことを唐突に切り出した。
それでも浩太は動じることなく、
「そりゃ思わんこともないけど、生活安定したらそれだけでも嬉しいやろし・・・。人生なんてそんなもんやん。その時その時が楽しめたら、まあそれでええやん!?」
「何や刹那的やわ、そんなん・・・。それに人なんて幾ら好い暮らししてても、何れは年行って、死ぬだけやし・・・」
受け止めてくれたことに気を許したか、芳江は更に切り込んだ。
「そりゃまあそうやけど・・・、流石、優等生は難しいこと言うなあ~。刹那的! その言葉の意味、俺、受験でようやく勉強したわぁ~」
浩太のとぼけた様子に、芳江はまた表情を緩めた。
それから浩太はおもむろに表情を引き締め、
「どうせ死ぬのは事実としても、それまでが大事な気がするなあ~。人生、短いようで長いし、その間、そんなことばかり思っているより、楽しめた方が好いやん!?」
国語力のなさで、浩太にはうまく言えないが、結果か過程か、古くからある2択問題である。現実にはそんなに簡単に片づけられる問題ではなく、葛藤を要する問題かも知れないが、なまじできる教師たちとのスマートなやり取りより、芳江は浩太とギクシャクしながらもやり取りすることで解れて行くのを感じ、自分も既に人生の喜びを得始めていることに何となく気付いていた。
「藤沢君って、えらく前向きやなあ・・・。もう授業が始まるから置いとくけど、私の辛気臭い話、嫌やなかったらまた聴いてなあ~」
「俺でよかったら・・・。なんて、ちょっと気障やなあ~。フフッ。そんなに気ぃ使わんと何時でも言うてやぁ~」
口調は軽かったが、自分も悩み抜いただけに、浩太の目は真摯で優しかった。
芳江はすっかり安心したように微笑み、キラリと瞳の奥を光らせた。
そして、教卓の方に向いた。
どうやら浩太にとってはモテキが訪れていたようである。
ただ、それに浩太が気付くかどうか、それは誰にも分からない。
だから人生は面白い、と言えなくもない。
人生に誰にでも来るモテキでも
気付かないまま過ぎて行くかも
人生は先のことまで分からない
分からないから面白いかも
※1 実際には先のこと等、今分かることは無い。また、分かったとしても、心が変わらないとも言えない。だから先のことは分からないと言うのが正解であろう。そして結果は死であろうとも、そこに至る前の過程で色々経験し、感じるものであるから、努力するかどうかは別にして、過程に意味があるのも事実であろう。人はその時その時を感じながら生き、人にとって大事なのは常に今と言う考え方もある。
※2 多くの人にとって少し背伸びしても得られるものは高が知れている。それを得ることで限界を知ってしまうと、かえって寂しさを感じる向きもある。その場合、全力を出し切らず、適当なところで置くと言う選択もある。多少の不完全燃焼感を残しながらもね。
※3 これを書いた当時、今より10年ぐらい前は、今より更に偏見が強かった。今は知識が増え、決まりが出来て、表向き偏見が減って来た、と言えるのだろう。そして現実にはそれで好いし、仕方がないのかも知れない。と言うわけで、現実的な解決策として啓蒙とシステム作りは大事なのである。