sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード3)・・・R4.3.23②

            エピソード3

 

「ふっ・・・」

  ピシュッー

 放たれた矢が決まったように的の中心に向かって飛んで行く。

 無限にも思える緊張の瞬間。全身の筋肉が隈なく張りつめ、かえって自然に感じられる。憧れの弓道部顧問、安曇昌江とこの時空を共有しているだけで、たとえそれが思い込みに過ぎなくても、藤沢浩太はこの上もなく幸せであった。

 一転、解放が訪れる。後は神に任せるしかない世界。その潔さもよかった。張りつめた静から解き放たれた動へ。ここまで完全なる対比はこれまで微温湯(ぬるまゆ)の日常に慣れて来た浩太にとって、いや日常を生きている誰にとっても、ほとんど神の領域であった。

「ふっ・・・。さあ、やってごらんなさい」

「え、え~っ!?」

 昌江は何本か矢を放って見せた後、一生懸命説明してくれていたようだが、浩太の意識は放たれた矢とともに的まで運ばれていた。

「そんなに緊張しなくてもいいから・・・。無理に当てようとは思わず、的を真っ直ぐに見て、スッと放ってごらんなさい」

「は、はいっ!」

 勿論、最初からそんな風に上手く行くはずがない。浩太から放たれた矢はとんでもない方向に飛び、しかも的の大分手前に落ちた。

「・・・・・」
 落ち込んで放心していると、浩太は微かで甘やかな香りに包まれ、更にふわふわと浮き足立った。

 やがて、柔らかく、それでいて抗い難い力に導かれるままに、

「ふっ・・・」

  ピシュッー

 矢は昌江の放った矢の少し上に突き立った。

「・・・・・」

「凄い! 初めてにしては上出来よ。今の感覚を忘れない内にもう何回か放ってごらんなさい」

「は、はいっ!」

 爽やかな風を残して昌江が立ち去ってからも、浩太はその場を暫らく動けなかった。

「・・・・・」

「こらっ、何を鼻の下もあそこも伸ばしてるんやぁ~! もっとしっかり気ぃ入れて、はよ練習せんかいっ!」

 主顧問、左近寺周平のやきもち交じりのオヤジ臭い濁声(だみごえ)が飛び、ピクンとなって浩太は再び矢を射始めた。

 するとどうだろう!? 昌江が作ってくれた理想的なフォームのままに固まり、放たれたどの矢もほぼ同じ軌道を描いて、ほぼ同じ場所に突き立った・・・。

 左近寺はニヤニヤしながらも、黙って見ていた。

 フロックと言うか、そんな風に昌江のオーラのお蔭で劇的な変化が起こり、慣れるにしたがって普通に戻る男子部員を今まで山ほど見せられて来たから、ここまでであれば珍しくも何ともない光景であった。

 ただ浩太に関する限り、そうではなかったようである。平均を上回る筋力と並外れた持久力を持っていたから、最初の緊張が取れるにしたがって疲れを覚えなくなった。それに、時々そばを通り過ぎる昌江の存在が背中に感じられるだけでオーラが弱まることはなかったから、矢の軌道が大きく乱れることもなかった。適度に緊張したまま、矢はそれなりの精度で的に吸い込まれ続けた。

 勿論、長い歴史と伝統を持つ武道の世界がそんなに甘いわけはなく、昌江との僅か数10cmの差を近付けるのは容易でなかった。そしてそれが浩太にとって、昌江と共にこの世界に居る理由となった。

 

        マドンナに導かれつつ矢を放ち

        其の矢に心射抜かれるかも