sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その39)・・・R4.1.2①

            その39

 

 令和2年6月中旬の或る朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップ入りの職員証をスリットした後、その直ぐそばに置いてあるアルコール消毒液を溢れんばかりにたっぷりと掌に取り、その中で手指を丸めたり、伸ばしたり、擦り合わせたり、爪の間にも入れようと指先を掌でトントンしたり、ともかくしつこいほど丁寧に消毒する。

 この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも気になって一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、持参したうがい薬で何回もうがいをしておく。

 そんな一定の安心感が得られる程の儀式的なことまで済ませ、ふぅーふぅー言いながら階段を3階まで上がり、割り当てられた執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、ちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液晶画面を食い入るように見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、頻りにメモを取っていた。その変わらなさ加減にも結構大きな安心感があった。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 ごく習慣的な朝の挨拶を交わした後、もしかしたら梅雨の時期になって蒸し暑くなって来た影響もあるのか? 更に紫外線が強くなっている効果も大きいのか? 我が国では急速に新型コロナウイルスの新規感染者数が減少していること、全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請も解除されている所為で早速気の緩みが出始めたのか? 福岡県、神奈川県、東京都、北海道等と、広範囲に亙ってまだ新たな感染者が無視出来ない数出ていること、大阪でも難波、梅田、天王寺、京橋等の繁華街で人波は増えて来ているが、新規感染者がほぼ0の状態を何とか続けられていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えたこと等、一頻り世間話をし、それから慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、そばにはテザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろに年季の入ったデータ容量256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して、「神の手」にそっと奥まで挿し込み、休みの間に家でまた書き進めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない?」の一部を取り出して、見直しながら加筆訂正を始める。

 ファンドさんの気持ちは既に投資情報に移っており、またiPhoneの液晶画面を食い入るように見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。

 

          明けない夜はない?

             その7

 中野昭江の父親、俊介は高度経済成長期(※1)の大きなうねりの中で第一線に立って日々戦う企業戦士であった。過去形になっているのは昭和48年の初春のこと、昭江が3つ、兄の陽介が8つの時に残業続きの過労が祟り、それに季節の変わり目にありがちな強いストレスが加わって脳溢血で亡くなっているからである。

 子どもの頃の5つ違いの差は想像以上に大きく、陽介には一緒に遊んで貰ったり、勉強を教えて貰ったりした印象がはっきりと残っていても、昭江は俊介の顔すら覚えていなかった。

 それはまあともかく、国中が疑うことなく、また迷うこともなく真っ直ぐに前を向いて走り続けている当時のこととて、遺族への保障が十分ではなく、真っ当な生活を何とか続けて行くだけのことで精一杯のところもあったが、幸い陽介も昭江も勉強は出来たので学費が安く済み、更に給付型の奨学金が貰えたり、無利子の奨学金を借りられたりしたので、そこは大いに助かっている。

 陽介は学区でトップの公立進学校である北河内高校を優秀な成績で卒業し、一浪はしたものの、関西ではトップクラスの国立阪神大学の文学部に入っている。

 しかし同じ大学の工学部を出て企業戦士となり、勝ち抜けなかった俊介のことが大きなトラウマとして残っており、サラリーマンを避けたい気持ちが強く、母親の徳子もそれで好いと思っている。今のところ陽介は、教師を含めた公務員にでもなろうかと思っているが、心のどこかでは作家か、それが無理でも編集者にでもなれればと思っている。今、2回生で、通うのに2時間近く掛るから本音を言えば下宿をしたいところであるが、これ以上回り道をしない為にも家庭教師以外のアルバイトはしたくないので、家族のことを考えて何とか頑張って自宅から通っている。

 陽介とは違い、昭江は中野家が気楽に暮らしていた頃のことを全くと言ってよいほど知らない。だから、何とか食べて行くことで精一杯の今の状態を普通だと思っていた。

 幸い、と言っていいかどうかは分からないが、北河内地区は全体に貧困層が多く、更に母子家庭と言うこともあって、今住んでいる公営団地の家賃は驚くほど安かった(※2)。それに何より、昭江は容姿、体格に恵まれ、勉強や運動も中学校まではトップクラスに出来たから、教師を含めた周りの大人の好意を最大限に受けられた。そんなことも手伝って、昭江は大してコンプレックスを持たずに済んだようである。

 小学校の頃、昭江の身長は既に徳子を抜いて160㎝に達していた。飛び抜けて美形でありながら、かなり強い人見知りであるが故に同級生にはちょっと遠い存在と言うか? あまりアイドル的に騒がれる存在ではなかったが、大人は決して見逃さなかった。若い男性教師達の胸を大いにときめかせ、好意を引き出して止まず、最初こそ気恥ずかしさが先に立っても、次第に人一倍親切にされること、丁寧に教えられることに大して違和感を持たなくなっていた。

 中にはけしからぬ下心を持つ教師もいたのかも知れないが、教師の大部分は生真面目で明治の御代から連綿と続いて来た書生気質を存分に残しているから、昭江は概ねしっかり守られてもいた。

 中学校に上がってからも同様であった。身長が更に伸びて卒業する頃には167㎝に達していたから、昭江は教師を含めた大人達の注目を嫌でも浴びることになり、また更に親切にされ、丁寧に教えられることが普通になっていた。

 それに中学校に上がってからはバスケットボールを始め、日々の練習、練習試合、公式戦、それに受験勉強と忙しく過ごしていたから、けしからぬ大人達の邪念など入り込む余地がなかった。

 そんなこんなで箱入り娘のまま北河内高校に進んだ昭江は、若い男性に親切にされ、丁寧に教えられることに殆んど違和感を持っていなかった。人見知りの昭江にすれば珍しく自分から青木健吾に声を掛けられたのはそんなことが大いに関係しており、その後北河内市立図書館、更に北河内駅前のガストで勉強を看て貰うようになったのもそうであった。

 ただ、人間には成長と言うものがある。それに周りも成長し、外面的な刺激もある。つまり、中学校では男女交際が普通になり、この頃になると早い者は既に大人の関係にもなっていた。それが高校では更に加速化される。今では高校時代に半分以上が初体験を済ませているとも聞く(※3)が、当時そこまでではなくとも、無視出来ない数にはなっていた。そんな中、昭江だけが性的に何の意識も持たずにいられるわけがなかった。

 それでも、刺激が誰にとっても心地好いわけではない。強過ぎる刺激は恐れを抱かせ、避けたくなるものである。家族からの愛に満ちている場合、往々にしてそうなり易い。そこに生真面目で気弱な若い男性達の熱い思いが分厚いバリアとなり、昭江は信じられないほど初心でいられた。

 そこに加わったのが昭江より10年も長い人生経験を持ちながら、世間基準より更に気弱さと初心さを残した健吾であったから、当然のように周りから観れば不思議なほど淡々とした勉強会を続けることが出来たようである。

 その不思議な勉強会に学年末試験の前は昭江の友達でクラブ仲間でもある橋本加奈子が加わった。2人共2学期末には成績が大分上がっていたが、1学期とは逆の差を付けられていた加奈子は是非にでもと言って入って来たのだった。

 加奈子は学年で450人中、1学期末の387番から2学期末の291番へと、親に頼んで塾に通わせて貰ったお陰もあって100番近く上がってはいた。

 しかし、それに対して昭江は1学期末の412番から2学期末の107番へと、何と3倍も上がっている。それも近所の親切なお兄さんに教えて貰っただけのことで・・・。

《昭江だけずるい! こんなの絶対に許せない!?》

 ただ、そんな気持ちがあったのかも知れないが、それよりも加奈子は、実は親友として自分が昭江を守ってやらなければとも真面目に思っていた。

 誰にでも一目で分かる明るい可愛さがある加奈子も小学校時代から大いに注目されたが、その相手が昭江の場合とは違い、思春期の男子達であった。その内の何人かとは付き合ったこともある。家庭が裕福なこともあり、加奈子は自信を持ち、物怖じしなかったので、当然迫られることもあったが、焦ることもなかった。現実的に考えて今は勉強する時と理性が勝っていた。と言うか、その理性を崩すほど周りの少年達が成長していなかったとも言える。

 こんな2人には往々にして年上の相手が合う!? かどうかは分からないが、少なくとも昭江は、恋とは認識していないにしても、健吾に惹かれ始めている。健吾も初心さを保っているので、見た目は殆んど進展しないだけのことであった。

 一方の加奈子は、実は陽介に惹かれていたが、陽介が子どもの頃から知っている加奈子をずっと妹の親友と認識し、それにボーイフレンドがいると昭江から度々聞いていたから、特に意識せずに接していた。

 要するに陽介は加奈子にとって、韓国ドラマでよく言われているオッパ、つまり近所の親切なお兄さんであった。

 何れも微妙なバランスではあったが、特に問題はない。それにそれぞれ今やるべきと信じていることがあり、恋に焦ってはいなかったから、こんな時、微温湯(ぬるまゆ)のような関係が驚くほど長く続くことがある。今はまだそんな関係が始まったばかりであった。この先のことは誰にも分からないが、むずむずしながらも、ともかくのんびりと見守って行くことにしよう。

 さて、その日の勉強会であるが、最初こそ多少の、いや大いなる違和感があったが、そこは皆若く、柔軟であるから、意外と早く慣れるものである。暫らくすると3人それぞれが静かに問題集に取り組み、時々如何にも女子高生らしい女子高生2人が分からないところを親切な先輩の健吾に訊くと言うパターンが自然と出来ていた。

 

        人と人其々違う気持ちでも
        バランス保ち過ごせるのかも

 

        恋愛を置いて遣りたいことがあり

        あまり迷わず歩めるのかも

 

 その辺りまでを見直しながら加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせると8時10分になっていたので、ここで置くことにした。

《これ以上続けると気持ちが持って行かれてしまうから、仕事にならへん・・・》

 そんなことを思いながら「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみとしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はまだ恥ずかしさも少し残っていたが、ちょっとは軌道に乗り始め、この話に付いては自分なりに多少の自信も出始めているので、勇気を奮って「神の手」を再び開き、メルカリさんの方にその液晶画面をおもむろに向けて、

「ふぅーっ」

 ひと息吐いて気持ちを落ち着けながら静かに問い掛ける。

「メルカリさん、どう、これぇ? ほら、この前もちょっと見てもろた書き掛けの小説みたいなもんの続きなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けてると思うんやけどなあ・・・」

「嗚呼、あれ! 主人公と一緒に仲よく勉強するようになってからヒロインの女子高生の成績がえらい上がったとか言うてた小説の続きですかぁ~!? 確か主人公がバレンタインのチョコレートを貰ったんでしたねえ? あの後どうなるのか? ちょっと気になってたんですわぁ~。それにしてもブログさん、毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 気の好いメルカリさんは半分呆れ、半分感心しながら、さっと目を走らせる。

「どれどれ、ふむふむ、・・・」

 そして興味津々と言った様子で目を輝かせ、慎二をからかうように言う。

「フフッ。確かに、小学校の上級生ぐらいから、こんなん反則ちゃうかぁ~!? と言うぐらい大人っぽい子、いてますねえ。ブログさんもちょうどそんな子に捕まってしもたわけですねぇ? フフフッ」

「捕まったって、悪い女か何かに捕まったように言うて・・・。そんな悪い子やのうて、その魅力と言うか、オーラと言うか、そんなもんで無意識的にやなあ、若い男性陣を惹き付けてしまうわけやぁ~! 分からんかなあ、この感じぃ~!?」

「おやっ、もう諦めたのか、否定はしませんねえ? フフッ。やっぱりこれ、本当の話やったんやぁ~!? フフフッ」

 メルカリさんはちょっと嬉しそうに、納得したような顔になって、さっと立ち上がり、給湯室にコーヒーを淹れに行った。

 慎二はちょっと、しまった!? と言う表情になり、事務を担当している若い依田絵美里の方を見ると、ちょうど熱いお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを持って来るところであった。

 慎二の机の上にそっとお茶を置いた後、「神の手」の液晶画面に目を走らせ、絵美里は何だか遠い目をしながらしみじみと言う。

「この感じ、私にも何となく分かります。自分では単に近所のお兄ちゃんと思っているだけやったのに、向こうはそれ以上のものを求めていたり・・・。男女って何となく擦れ違うことが多いですよね!?」

 ちょっと大人っぽい表情になった絵美里の大きく綺麗な目が眩しくなって来た慎二は、何も言わず目を泳がせていた。

 それが物足りなくなったのか? 絵美里はちょっと寂しそうな顔になって遠ざかって行った。

 

        書く内に隠し切れない自分出て
        見られることが恥ずかしいかも 

 

※1 一般的には1955年(昭和30年)~1973年(昭和48年)までの19年間を高度経済成長期と言い、毎年10%もの成長率を示している。それに続く1974年(昭和49年)~1990年(平成2年)を安定成長期と言い、その終わり辺り、つまり1980年代の終わりから1990年代の初頭辺りの浮かれた時代の経済状態がバブル経済と言われたようである。私の場合、安定成長期の始まりと共に働き始めたが、確かに給料が毎年10%以上上がっていたし、郵便局の定額預金の利率は年に8%を超えていた。

※2 北河内大東市四条畷市辺りには国内各地、外国等からの渡って来た貧困層が多く住んでおり、家賃の安い公営住宅がある。そこには不思議なことに結構好い車が止まっていたりもするから、ちょっと不思議ではあるが、それは置き、他にも古い土地故、被差別部落が何か所かあり、そこにも低家賃の住宅が建てられている。それだけならば好いのであるが、政治家はその2層の対立を煽って票集めに利用しようとするから、質が悪い!? 今でも公務員叩き等、庶民の対立を煽る手法が政治ではしばしば利用されているので、十分に注意しておく必要がある。

※3 この話の中の舞台は2005年辺りである。ある資料によると2013年に調べたところ経験者が大分減っており、高校生の男子の28%、女子は18%とあった。その6年前の調査、つまり2007年には男子が45%以上、女子が40%以上とあった。どうやらピークが2000年代にあり、その印象からこの話の舞台では高校生の半分となるようである。念の為にもう一度検索してみると、2017年度の調査結果が出ており、更に減って男子が14.6%、女子が19.3%となっていた。それだけ興味が多様に広がって来たと言うことであろうか!?