その11
令和2年3月26日、木曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムレコーダーにICチップが埋め込まれた職員証をスリットした後、息を切らしながら3階まで階段を上がり、割り当てられた執務室に入る。
例によって既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、ちょっと古めのiPhoneの端に何本もひびが入った液晶画面を何やら熱心に見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取っていた。
「おはよ~う」
「おはようございま~す」
何時も通りの日常的な朝の挨拶を交わした後、世界では新型コロナウイルス感染症の騒ぎが益々大きくなっていること、ファンドさんの一番の関心事である株価に大きな変動が起こっていること、とうとう東京オリンピックの延期が発表されたこと等、一頻り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、そばにはテザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。
その後は暫らく考え、それからおもむろにメインで使っているスマホを取り出して、通勤電車の中でメモしておいたものを見ながら「神の手」に起こして行く。
ファンドさんの気持ちは既に投資情報の方に移っており、またiPhoneの液晶画面を一心不乱に見詰めてはぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めていた。
朝のひと時雑詠
昨日で6連休が終わった。
今日は出勤日であるから、仕事でまた東大阪まで出なければならない。
生活するにはお金がいるからねえ。フフッ。
♪今日も聞こえるぅ~、ヨイトマケの歌~♪
それに正直言うと、たまには仕事をしなければすっかり仕事のことを忘れてしまいそうだ。
一般人の私でもちょっと休みが続き、暇になるぐらいでこんな感じになるのであるから、東京オリンピックの延期によって練習予定が大きく狂った一流アスリート達はさぞや大変だろうなあ。
でもまあ、この荒ぶる星とも言われる地球の上に住んでいるのだから、今も、またこれまでも、それからこれからも、何があっても不思議はない!?
そりゃ誰でも安住はしたいけれど、不満は避けたいけれど、それが中々難しいことでから、余計に不安、不満が無いことに憧れるわけだろうなあ。フフッ。
マジな話、あるがままを受け入れるしか無いから、何時でもそこからの出発である。
これまでに勝ち取って来た出場の権利が保証されない競技も出て来るのかも知れないし、それにこれから予選が行われる競技もあるそうな。
そこではこの後どうやって行けば好いのか!?
やって行くべきなのか!?
その辺も含めて注目し、応援して行きたい。
それから私自身、正直なところオリンピックばかりに注目しているわけではない。
高校野球、WBC等についても然り。
一旦権威付けし過ぎて柔軟性を失い始めると、要らぬ欲、垢等が複雑に絡まって来て、スポーツ本来の面白さが失われがちになる!?
今、外からの圧力によって一旦緊張状態が解けたわけであるが、それが今後のことを前向きに考え直す切っ掛けとなることを期待したい。
例えば一昨日夜の記者会見をテレビで視ていても、この頃世間に呆れられ、飽きられ、マスゴミとまで揶揄されがちなマスコミよりは、漸く諦めの付いた東京オリンピックの組織委員長である森元総理の方が意外とまともなことを言っているように思えるときもあった!?
伝統が欲垢付けて重くなり
伝統が欲垢付けて暗くなり
重くなりゃリセットすれば好いのかも
暗くなりゃリセットすれば好いのかも
ただ、コロナ禍はもう飽きた、なんて言いながら、勝手なことをワイワイやり始める若者達はちょっといただけない。
その結果、海外に見られるような爆発的な感染を引き起こす可能性が高まる!?
事実、緊張を解いたことで、これから半月ぐらいの間に色々動くことも考えられる。
もう飽きたと言いたくなるのは、マスコミや大人の煽り過ぎもあるのかも知れないが、そこは反省するにしても、粘り強い取り組みがこれからも必要であろう。
マジに考えて、自然界で生きているのならば、飽きたら死ぬしかなく、馬鹿なことをしているのは自殺行為、つまりは昔からよく言われて来た緩やかな自殺である。
まあ倦まず弛まず、手を取り合いながら生き、幸せを求めるのが人生なんだろう。
なんて、偉そうなこと、知ったことをついつい言いたくなるのも、だって人間だもの、なんだろうなあ。フフッ。
知ったことつい口走る老後かな
偉そうについ口走る老後かな
そりゃ実際には走れなくなっているから、口でも走らせておくしかない!?
まあそうかも知れない。
マスク、トイレットペーパー等の買い占めに関しては老人の達成感、承認意欲について言及されているが、然もありなん。
人は幾つになっても甘えん坊!?
自分が、自分が、と言いたいものだし、それを凄いね、偉いね、と言われたいもののようである。
ここ暫らくの日常生活に対する急ブレーキが、普段はあまり考えないようなそんなこともじっくり考えてみる好い機会になっているような気もするなあ。フフッ。
暇が出来つい考える機会あり
暇出来てつい考える習慣に
ただこれも、普段考えたり、本を読んだり、他人の話を傾聴したりする習慣がないと、暇が出来たら安易な方に向かいがちになる。
マスコミは相変わらず庶民受けしそうな下賤な話に終始しがちである。
こんな時こそ、分かり易い言葉で道を説く、啓蒙するようなものが欲しいところだ。
子ども等に売れると言う漫画を使った歴史等もそんな感じであろうか?
そう言えば、子ども向けの本に関しては歴史に限らず、科学、地理、心理学、哲学等、多岐に亘って分かり易く、面白い本が増えて来ている。
これについては好い傾向だなあ。フフッ。
マジな話、大人にとっても分かり易いし、絵や写真が多く、字も大きくて見易いから、この頃私は子ども向けの本を買うことも増えて来た。
そんなのは甘い、駄目だ、大人はもっと確りした大人向けの本を読まなくっちゃ、なんていきなり100を求めることもない。
0より大きければ、30でも、50でも好いのである。
いや、もっと少なく10ぐらいであっても、少なくとも0よりは好い!?
迷ったら子どもの本をつい選び
百か零その間でも好いのかも
零か百その間でも好いのかも
本と言えば、昨日、読後にちょっとお口直しをしたくなるような、ある意味えぐい本、ハヤカワポケットミステリーの「二流小説家」を読み終えた。
それで選んだのが山岡荘八の「織田信長」(講談社文庫、全5巻)であるのはちょっと微妙であるが、まあ好い。
戦闘はあっても、目の前の殺人を微に入り細に入りは描いていないし、英雄のマイナス面よりもプラス面にスポットを当てているから、気分が明るくなり、気宇壮大になる!?
そんなこんなで小心者の私は、ついつい英雄譚を読みたくなる。
それにNHK大河ドラマ、「麒麟がくる」を視ている所為か? その頃を扱った本格的な小説を読み直してみたくなったのである。
真っ先に浮かんだのは斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉と戦国時代後期の有名どころを扱った司馬遼太郎の「国盗り物語」であるが、本棚のどこかに埋もれているようで、どうも直ぐには見付かりそうもない。
屋根裏に置いてある本棚までごそごそ探している内に見付かったのが山岡荘八の「織田信長」であった。
実際には此方で好い。
両者の作品を比べると、私にとって司馬遼太郎の小説はどうも薄口で、頼りなく感じられる。
山岡荘八、吉川英治等、もう少し前の時代に売れた作家の語り口の方により親近感を抱くようである。
勿論、歴史観、人間観等に時代が反映されるのは当然である。
だから、これからの人に安易にお薦めはしないが、出来ればそれも広く浅く付き合っておく方が好いような気もしている。
まあ、精神的な免疫を作る為、というわけだなあ。フフッ。
今では遠くなりつつある、戦争へと流れて行った時代の空気と言うものも感じられるかも知れない。
色々な意見に触れて柔軟に
遠くなる時代の空気蘇り
その辺りまで書いて慎二が「神の手」の液晶画面を観ながらしみじみとしていると、
「おはようございま~す」
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
慎二はちょっと自信が出て来て、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問いかける。
「メルカリさん、どう、これぇ? 来る時に通勤電車の中で昨日のことを思い出しながらスマホにメモしておいたものを元に書いてみたんやけど・・・」
「そうですか~!? 流石ブログさん、毎朝よう精が出ますねえ・・・」
半分呆れ、半分感心しながら、
「どれどれ、ふむふむ、・・・」
気の好いメルカリさんはさっと目を走らせ、目を輝かせて我が意を得たりと言うように熱く言う。
「そうや~! 東京オリンピック、人に散々気を持たせておいて、とうとう延期になったんでしたねえ!?」
「ふぅ~ん、メルカリさんでもやっぱり、東京オリンピックにはそんなに興味あったんやなあ・・・」
ちょっと意外そうな顔をしながら慎二がそう言うと、メルカリさんは微苦笑しながら、
「フフッ。でも、はないですけど、前にも言うたように、これでも僕、高校、大学とバスケットボールをやってましたし、今はもうしてないけど、今でも観るのは結構好きなんですから~」
それを聴いて慎二はちょっと申し訳なさそうな顔をし、それからキラリと目を光らせて言う。
「ごめん、ごめん。そんなつもりでは・・・。でもまあ僕も若い頃、弱かったにせよこれでも柔道やってて、今でもテレビにせよ、スポーツ番組を観るのは大好きやから、同じようなもんかも知れんなあ・・・」
今度はそれがメルカリさんには意外だったようで、
「ふぅ~ん、ブログさん、いつ見ても穏やかそうやし、とても格闘技していたようには見えませんねえ・・・」
そう言われると慎二はちょっと心外そうな顔になって、
「おいおい。格闘技ちゃうでえ。柔道やってえ! せめて武道と言うてえやあ~!? 格闘技と言われると、柔道やってたもんからしたら何や微妙な感じがするなあ・・・」
「ははは。すみません。その辺のことはよう分かりませんよってに・・・。それはそうと、流石ブログさん、色々な本、読んではりますねえ」
それぞれの拘りに触れると重くなると思ったようで、メルカリさんは軽く話を転じようとする。
慎二としても異存はなかったので無理に話を戻そうとはせずに、
「いや、別にそんなことないけどなあ・・・。暇やから前よりは読むだけのことで、メルカリさんと同じくらいの頃は時間だけやなく気持ちの余裕もなかったから、本なんて滅多に読めんかったわあ・・・」
「僕は元々あんまり読む方やなかったんですけど、今は余計に読めなくなって、この頃読むのはブログさんも言うてはるような子ども向けの本ぐらいですわあ。確かに、この頃子ども向けの本言うても中々馬鹿に出来ませんねえ!?」
そう言いながら好い頃合いと見たか、メルカリさんは軽やかに立ち上がり、給湯室にコーヒーを淹れに行った。
すると、2人の話を聴いていたようで、事務を担当する若い依田絵美里が近寄って来て慎二の机の上にそっとお茶を淹れた備前焼のぷっくりした湯飲みを置き、微笑みながら、
「藤沢さん、今2人で話してはった子ども向けの本で、何か面白そうなもの、ありますかあ? もしあったら貸してください!」
そう言われると慎二はちょっと吃驚し、それから暫らく考えて、机の上の載っていた学研から出ている「なぜ僕らは働くのか」(池上彰監修、学研プラス刊)を渡した。
「これぇ、導入に漫画を使って読み易いし、理想かも知れんけど、割とええこと書いてあると思うねん。僕ら大人にも為になるような気がするわあ。時間に追われてて普段はあんまりそんなことを考えへんから、考える機会になるかも知れへんし・・・」
何時になく饒舌で、絵美里を真っ直ぐに見返す慎二の目が落ち着いている。
普段は何となく感じていた距離がその朝は感じられなかった所為か? 依田絵美里はそれが嬉しかったようで、目をキラキラさせながら、
「はい。今日からさっそく読んでみます!」
そう言った絵美里の大きくてきらきら光る目が眩しく、吸い込まれそうになって慎二は我に返ったようだ。
「いやいや。ほな・・・」
また普段の、若い女性を前にした時に示す、ちょっとおどおどした感じに戻っていた。
絵美里にすればそれが面白かったのか、優しい目になって笑いながら離れて行った。
コロナ禍で老いも若きも時間得て
考える時増えているかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
政治家言葉が行き交い、散々気を持たせていた東京五輪の延期が、この話によると3月の下旬になって漸く発表されていたようである。
世界の情勢から見ても、当然延期になるだろうと思っていても、政治家達はその寸前まではっきりと否定して見せるから、これほど信用のならない言葉と言うものはない。
と言うか、このような言葉の使い方が大人の世界では普通になされると言うことであろうか!?
そんなことも含めて、オリンピックへの気持ちがこれほど後ろ向きになったことはかつて無かったような気がする。
それでも今年、いざ始まってみると、お金の流れ等の色々胡散臭い話を聴きながらも、アスリート達の技、前向きな姿等を目にして、感動せずにはいられなかった。
それほどスポーツには力がある。
この力を海千山千の政治家達、経済人達が利用しないわけがないよなあ。
だからと言って、色々胡散臭いことがあったのは事実のようだから、札幌にまた冬季五輪を呼ぼうとしている動きには反対したい。