sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その2)・・・R3.11.30②

              その2

 

 令和2年2月18日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、玄関ホールの受付前に設置してあるタイムカードをスリットした後、息を切らせながら階段を上がり、割り当てられた執務室に入る。

 その執務室には正木省吾、すなわちファンドさんが既に来ていた。慎二が着くのは何時も大体7時50分頃で、これでも十分に早い方であるが、ファンドさんは更に30分ぐらいは早く来ているようだ。そしてもうすっかり見慣れた姿はであるが、ちょっと古めのiPhoneを片手に、その液晶画面を見詰めてはぶつぶつ言いながら、しきりにメモを取っている。

 堅実なファンドさんは型番が5だか6だかの、かなり充電池のいかれたそのiPhone格安SIMを挿し、執務室でも使っているとき以外はずっと充電している。

 

 以前、ファンドさんの机の上に置いてあった紙が偶然目に留まり、何の気なしに見ると、ヤマダ電機ケーズデンキ等、家電量販店の名称がずらずらと書いてあり、それぞれの後に数字が書いてあったので、何かを購入する為に相見積もりでも取るのかなと思い掛けたが、それにしてはえらく違う。ちょっと考えてみれば、どうやらそれは株価でも書いてあったようだ。

 

《今日もどうやら株価でも調べているようやなあ? ファンドさん、毎朝ご苦労なこっちゃなあ。フフッ》

 そう思いながら慎二は、

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 何時も通り朝の挨拶を交わした後、世界では新型コロナウイルス感染症のことで騒がれ始めていること、ファンドさんの一番の関心事である株価に大きな変動が起こり始めていること等、ひと通り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして上手く書けたと思う時は即座に「あれまブログ」か「アミーゴブログ」等の無料ブログにアップ出来るように、テザリング用に大手キャリアMTTの子会社であるPCMの格安SIMを挿した、この頃大躍進中の中国の通信機器メーカーであるAPPOのスマホも用意しておく。

 

 ところで、「神の手」とは昨年の暮れにインターネットショッピングのワフーに出店している中古屋で買ったものであった。今年の1月14日にWindows7のサポートが終わるということで、急遽Windows10が入った手頃なノートパソコンを探し始めたところ、Microsoftの最新のofficeまで入って安そうな中古パソコンが気に留まったのである。不安に思いながらも思い切ってデスクトップパソコンと合わせて2台注文したところ、デスクトップパソコンはHP製で、ノートパソコンの方はNEC製の、何れもビジネス用パソコンが送られて来て、それぞれにリカバリー用メディアも入れて締めて5万円ほど。両方とも汚れや傷はあまり見られず、それに程度もまあまあ好く、値段から考えても十分に納得の行く買い物であった。

 そして、「神の手」と呼んでいるのは、慎二はちょっと気に入ったものにはこんな風に愛称を付けることにしているからで、ここから色々な物語が次々と紡ぎ出されることを期待しての命名であった。入っているCPUは第3世代のCore i3であったが、メインメモリを8GBに増量し、記憶用に入っていた250GBのHDDを512GBのSSDに取り換えてある。有り難いことに、Windows10はプロで、officeもPowerPointまで使える2019が入っていた。

 

 さて毎朝仕事を始める前に、ファンドさんが頻りに投資情報を調べている横で慎二が始めることはブログの更新であった。始業時間の8時30分までは1時間以上あり、お互いにホッとひと息吐ける時間であった。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろに、大分前に梅田にある家電量販店のキョウバシカメラで買った年季の入った256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して、「神の手」にそっと挿し込み、休みの間に家で書き始めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない!?」の一部を取り出し、見直しながら加筆訂正を始める。

 ファンドさんの興味は既に投資情報の方に移っており、またiPhoneの液晶画面を見詰めてぶつぶつ独り言ちながらしきりにメモを取り出した。

 

         明けない夜はない!?

            その1

 昭和50年代、世間はまだ高度経済成長期の真っただ中にあり、好景気に浮かれていた。株価、地価は右肩上がりで、ちょっと投機に興味を持つものにとっては楽しくて仕方が無い。収入が安定し、家を購入出来る層はやどかりのように、次々とより大きな家に住み替えて行くのが普通であった。堅実な庶民にとっても、先ずちょっと頑張れば稼ぎを増やせ、たとえば郵便局(当時、現ゆうちょ銀行)が扱う定額預金の利率は福利の効果もあって実質1年で10%を超えていたので、暫らくの間我慢する気があれば、貯金が倍々ゲームのように殖やせた。その結果、貧乏人の子でも真面目に働けば、やがて結婚出来、何人かの子どもを為して、完済するまでに定年を超える長期のローンで払うにせよ普通に新築一戸建ての家が買えることを疑いもしなかった。

 青木健吾が国立浪花大学の理学部を卒業したのはそんな昭和58年3月のことであったが、人見知りが強く、就職への強い意欲も感じられなかったのが災いして、当然のように10社以上受けた就職試験では、たとえ筆記試験に通過しても面接試験で悉く落とされた。

 中には、運好く通った場合でも本当に行きたくなるかどうか甚だ怪しいところが幾つかあったが、それは選べてこその話であって、その土俵にさえも立たせて貰えなかったショックは流石に大きかった。

《あ~あっ、また落とされてしもた・・・。どうしたもんかなあ?》

 それでも更に数社受けている内に遂に無職のまま4月を迎えてしまった。

《仕方が無い・・・》

 漸く諦めがついて、暫らくの間は近所にある小さなガラス工場でアルバイトをしたり、家庭教師をしたりして過ごしていたら、6月になって、大学の学部に上がってから世話になっていた研究室の指導教授、井尻好夫から連絡があった。

 井尻はちょっとオタクっぽい感じで、ものごとを斜めに観ては冷笑しているようなところがあったが、実は結構世話好きで、目立って浮世離れしたところのある健吾のことを秘かに心配してくれていたようである。

 それはまあともかく、埼玉県にある大学受験関係の出版社、若草教育出版が理科の編集者を募集していると言う。駆け出しの研究者だった頃に原稿を書いていたこともあるそうで、大きくはないが、大正末期の創業と結構伝統があって堅実な会社と言うことであった。

 疑うことを知らない健吾は恩師の井尻にそう言われただけですっかり安心し、それでも念の為に確認してみると、給与、賞与、諸手当、休日等、条件は悪くない。友達からの情報を元に総合的に考えても、むしろ世間並以上であった。

《そう言うたら、出版社は何処でも結構貰えるもんらしいなあ? これで何とか独り立ち出来そうやし、好きなオーディオとかレコード、それに本とか、一杯買えそうやなあ・・・。フフッ。そやけど、その分きっと忙しいんやろし、大学受験関係やから仕事もそれなりに難しいのとちゃうやろかぁ~!?》

 既に入社したものとして勝手な夢を大きく膨らませ始めながらも、貧乏人の坊ちゃん育ち、世間知らずのくせに、いやそれ故か、ともかく極め付きの小心者の健吾には不安が次々と浮かんで来て尽きなかったが、取り敢えず受けてみることにした。

 

 それから数日後のこと、埼玉県内の或る地方銀行のビル内にある研修室を借りて若草教育出版の臨時入社試験が行われたが、受けたのは健吾ひとりで、健吾にしては珍しく殆んど緊張しなかった。

 筆記テストは大学受験対策用の問題であったから、難しくはあっても流石にほどほどには書けたし、後から上司が言うことには、是非とも1人は増やす必要があったので、出身大学から考えて出来に関係なく初めから採用することは決めていたそうだ。面接試験では試すような質問が全くなく、何時からだったら出社出来るのか? とか、当面の生活費は用意出来るのか? とか、独り暮らしは出来るのか? とか、もう採用したものとしての質問ばかりであったのも頷ける。そんなことが、幾ら飛びっ切りの小心者であっても、健吾を大分気楽にしていたようだ。

 

 7月半ばになって始めた仕事の方は大学受験対策用教材の編集で、レベル的には入試レベルであったから、時折東大、京大、東工大、早稲田大、慶応大等の入試を意識した難問が含まれていても、全く手に合わなくはなかった。健吾が経験して来た受験勉強よりは大分高いレベルの問題もあるにはあったが、大学で学んだこと、その際に買い集めた教科書、専門書、事典等を活用すれば十分に対応出来た。また、当時の若草教育出版は比較的懐事情が豊かで、申請しただけの本は却下されることなく買って貰えたから、健吾は自分の持っている本も含めて参考になりそうな書籍をかなり買い集めた。そしてそれが大いに役立ってくれた。

 日常的にある月2回の締め切り日は少々きつかったが、それでも残業時間が月に40時間ぐらいで抑えられ、残業代はきっちり出たから、辛さよりも収入が増える有り難さの方が上回った。給料が入る度に健吾は生活家電だけではなく、スピーカー、アンプ、レコードプレーヤー、チューナー、カセットプレーヤー等、趣味のオーディオ機器を買い漁り、借りておいてくれた家の荷物が着実に増えて行った。

 更に受験の集中する2~4月の3か月ほどは入試問題の解答集と言う臨時の仕事が加わり、残業が一気に毎月更に50時間ぐらいずつ増えて急にきつくなったが、あらかじめ言われていたので覚悟は出来ていたから、思っていた範囲で収まったし、それに見合う収入増も嬉しかった。

 ただ、この周期的な緊張感の連続が健吾には合わなかったようである。2年ほどする内に心身の調子が整わなくなり、次第にこのまま定年までずっと続けて行けるものかどうか、大いに疑問に思えて来た。そんな不安が高まった所為か? 軽い胃潰瘍にもなってしまった。

 周りを観ても、またここ数年を観て来ても、やっぱり先ず精神的にきつくなって来る人が多いようで、まだ身体が元気な内に、大学、予備校、高校の教職、教科書、問題集、参考書の執筆業等へと転身して行く人が多かった。

 色々調べて、信頼出来そうな先輩、両親等に相談し、迷った末に、健吾は一旦生まれ育った大阪に戻り、出直すことに決めた。

 そう決めると未練はなかったようで、2年半ほどで若草教育出版を辞め、大阪に戻って来た。

 

 そこまでは問題がなかったのであるが、父親の新吉は還暦を過ぎた左官職人で、既に仕事を半分程度に減らして週に3日ほどしか現場に出ておらず、収入も若い頃の半分ほどの月20万円程度になっていた。母親の由美子はもう健吾の学費を稼がなくてもよくなって、婦人服縫製のパートを辞め、安心して専業主婦となってのんびり暮らすことに慣れていたし、未だ自身の年金を貰うまでには10年以上あったので、全くの無収入であった。そんなわけで、2人は家を買うのを諦め、その頃でも珍しくなっていた風呂無し、共同便所の安アパートでの暮らしを若い頃と同様に続けていたから、自分達のことで精一杯であった。そこに再び入るのはきついので、健吾は出身校である大阪府北河内高校のそばにある風呂無し、共同便所の6畳ひと間で家賃が月に1万2千円と格安の木造古アパート、山吹荘の1階の奥まった1室を借りて独り暮らしを始めることにした。

《ここやったら失業保険とこれまでの蓄えで数年はやって行けるけど、さて、これから何をしたものかなあ?》

 大して先が見えていない健吾は、取り敢えず公務員、公立学校の教員等の試験を受けられるように、一般常識の勉強から始めることにした。併せて、幼馴染の吉川治夫の勧めもあり、時間の余裕が出来たこの機会に自動車の運転免許を取っておくことにする。

 

 その辺りまでを見直して加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせると、8時10分になっていた。

 まだ多少時間の余裕はあったが、取り敢えずここで置くことにした。それは朝、趣味の世界にのめり込み過ぎると、仕事をする気が失せてしまうからで、「愛のバトン」をそっと引き抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみとしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はちょっと自信を持ちながら「神の手」を再び開いて、メルカリさんの方にその液晶画面を向け、見せながら問いかける。

「どう、これぇ? 休みの間に書き始めていた小説みたいなもんなんやけど、自分としてはまあまあ上手く書けていると思うんやけどなあ・・・」

「おっ、今朝は小説ですかぁ~!? それにしても毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 半分呆れ、半分感心しながら、

「どれどれ・・・」

 気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、

「ふぅ~ん。ブログさん、若い頃は埼玉県にある教育関係の出版社に勤めてはったんですかぁ~。朝から何時も書き物によう精が出るなあと思てたら、道理でぇ・・・」

 どうやら実際通りと受け取られたようである。

《然もありなん。でも、ここで実際とは大分違うことだけは言っておかなければ・・・》

 慎二は慌てて否定に掛かる。

「メルカリさん、それはちょっと違うねん! これはなあ、あくまでも小説で、全くの作り話やからなあ・・・」

 そう釘を刺してもメルカリさんは「神の手」の液晶画面の方をチラッと見て、ちょっと悪戯っぽい笑いを浮かべながら、

「フフッ。本当かなあ~? これ、殆んど自分のこととちゃいますのん!?」

 全否定は出来ないが、これから少々甘酸っぱいことも書き連ねようと思っている慎二としては、やはりここでは強く否定しておくことにした。

「いや全然違う! 俺が大学を卒業したのは昭和53年やし、ほらそれだけでも5年も違う。それに父親は塗装職人やから左官職人とは全然違う・・・」

「ハハハ。そんなん他人から見たら殆んど同じようなもんですやん! さあこれからどんな青い体験が出て来るんかなぁ!? 楽しみですねえ。ハハハハハ」

 そう言いながらメルカリさんは軽やかに立ち上がり、何時も通り給湯室までコーヒーを淹れに行った。

「違うってぇ・・・」

 それ以上否定するとかえって肯定しているように思われそうであるから、慎二はもう何も言わず、顔を真っ赤にしながら耳をひくひくさせていた。

 そんな与太話を聴いていたのか? 事務を担当している若い依田絵美里が微笑みながら近付いて来て、慎二の机の上に熱いお茶を入れた備前焼のぷっくりした湯飲みをそっと置いて、何も言わずに戻って行った。

 

        創作と現実何処か重なって

        事実と取られ恥ずかしいかも