sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

秋の風・・・R2.10.14②

 一和古読、勿論筆名である。人は元々孤独なものである、と強がりではなく、半ば以上本気で信じている。そう思いたがっていた。

 古読老人はそんな風に気取ったまま年を重ね、家族にまで愛想を尽かされるのが怖くて、自分から逃げた。

『考えてみれば気ままな人生やった・・・。休みの日でも家人や子ども達と交わらず、独り書斎にこもって、作家の真似事ばっかりしていたなあ。でも結局、ひとつもものにならなかった・・・』

 ちょっと悔やみながら、古読老人は煮しめたような薄い毛布に包まって、長く肌寒い秋の夜を遣り過ごしていた。

 

 孤独な夜が過ぎると、それなりに賑やかな朝が来る。

 古読老人は外に出ると、彼方此方に似たようなブルーシートのテントがあり、その中の大きなテントのそばの焚火に何人か似たような老人達が集まっていた。それぞれが自分だけは個性的と自負しているが、外から見れば殆んど同じで、それは欧米人から見た中国人、韓国人と日本人の違いのようなものであった。

 それはまあともかく、その集団の中から、欠けたカップに入った夜明けのコーヒーらしきものを手にしながら、気怠い朝には似合わない、やけに明るく弾む秋山本純の声がして来る。

『嗚呼、のどかやなあ。また秋山老人が朝から得意のオヤジギャグを飛ばしている。それぞれそれなりに色々苦労があったやろうに、皆、そんなものから抜け出たような好い顔をしている。わしが若い頃からあんなに欲しがっていた生活がここにはごく普通にあるんやなあ・・・』

 孤独を好むはずの古読老人は、むしろにこにこしながら、焚火の方に近寄って行った。

 

「やっと起きたんかいな。昨夜も夜更かししとったんやろ!? どや、何かええ話でも書けたんかぁ~?」

 秋山老人も人が悪い。

『どうせ寒いギャグでもちりばめ、下らないオチで締める他愛無い話やろ? きっとそのはずやわぁ~!?』

 なんて思っているくせに、ひとこと言わずにはいられない。

 

 秋山老人も若い頃から創作を趣味とし、羽振りの好い頃は自費出版で作品集を出したことがあるらしい。同じ趣味ならば仲よくすれば好いようなものなのに、男同士はどうしても張り合ってしまう。まあそれだけ、元気が残っていたと言うことであろう。

 

「まあ書くことは書いたんやけど、大したもんは書けんかったわぁ~」

 古読老人はそう言いながら、多少自信無さ気にではあるが、皺くちゃになった原稿用紙の束を差し出した。

『そんな時に限って、本当は自信があるんや、こいつ!? 自身があるからこそ、わざわざ見せに来たくせに、相変わらず屈折した奴や・・・』

 秋山老人は古読老人のそんなところが些か煩わしかったが、然りとて、はっきりそう言ってしまうと、すねて引っ込めてしまう。それに、多少は興味があったし、刺激にもなるので、黙って受け取っておくことにした。

 

「ふぅ~ん? 生まれ変われるものなら、かぁ~!? 確かにね。フフッ。どれどれ、ふむふむ、・・・」

 秋山老人はさっと目を走らせ始め、時々笑い声を上げる。この反応の好さが羨ましい。それに、励みにもなる。だから、古読老人は恥ずかしさを抑え、時折は秋山老人に見せるのであった。

 それに見せておくと、秋山老人も比べて頻度が少ないとは言え、時にはものにした自信作を見せてくれる。表現は置くとして、結構アイディアに斬新なところがあり、その辺りをちょいと拝借すると、作品のボリュームが増すのであった。

 それはまあともかく、読み終えた秋山老人は暫らくの間、何だか考えこんでいる。

『おや、何か変なことでも書いたのかなあ!?』

 古読老人はちょっと不安になって来た。

 

「ところで、主人公の万太は一体海亀に変わったのか? ジンベイザメに変わったのか? どっちやねん!?」

 鋭い突っ込みであった。

「いや、わしは海亀のつもりやけど、あんたがジンベイザメと思ったんやったら、それでもええ。別にどっちでもええねん・・・」

 古読老人はちょっとおろおろしながら答える。

 そこに一陣、秋の風が吹き抜けた。

『そうや! わしの人生はこの秋の風のように、どっちに転んでもええようにころころと変わって来た。本当にどっちでもええんや・・・』

「どっちとも好きなように取れる終わり方が何や文学的やろ?」

 そう言う古読老人の顔が心なしか上を向き、自信のようなものがちらちらと浮かび始めていた。 

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 これも15年以上前に、職場の同僚に読んで貰うことを意識して書いたものである。

 昨日アップした「生まれ変われるものなら」に続いて書いたもので、多分この話に書いたような反応を示され、それを受けて書いたように思われる。

 細かいことは忘れたが、当時、大阪城公園のような広い場所にはブルーシートテントが花盛りのように彼方此方に広がっていた。

 毎朝それを環状線を走る通勤電車の窓から眺めながら、多少は羨ましく思っていたのかも知れない。

 子ども達は小さく、家人は専業主婦で子育て、家事等に忙しくしていた。

 私は仕事に行っていることに甘えて、家では書斎にこもって、好きなようにしていたような気がする。

 なんて、それは今も一緒か!?

 その変わらないところが私の好さだろうなあ。フフッ。

 なんて、勝手な自負も変わらないところである。