第6章
見せたなら同じクラスで学べたか
己の狭さ感じるのかも
見せたとて気にするほどのことはなく
少し世界が広がったかも
大学に入ってから、特に学部に上がってからの川端浩二は、カンニングしなければとても進級、そして卒業出来たものではなかったが、高校時代の浩二はカンニングに対してえらく生真面目な気持ちを持っていた。だから2年生の学年末テストのとき、隣席の木島聡が気弱な笑いを浮かべながら冗談っぽく、
「なあ川端ぁ、俺、昨日はいっこも勉強してへんねん。教科書を見ても全然分からへんねんもん。出来たら頼むでぇ~」
と言ったとき、かなりの本気が含まれているなどとは露ほども思わず、全くの冗談と聞き流していた。それも戸惑い気味の気弱な笑顔を浮かべながら・・・。
後日、修学旅行で九州に向かうフェリーの中でのこと。何人かの男子生徒が国語教師の神埼を囲み、何故木島を落としたのかと詰め寄っていた。
神崎は困った顔で言葉を選びながら、それでも真摯に答えようとしていた。
「確かに木島のことは残念やったぁ・・・。僕たち教師も何とかしようと努力はしたんやけど、もうどうしようもなかったんやぁ~。ご免なあ・・・」
「それやったら、何も落とさなくてもぉ・・・。上げたって何とかなるのではないんですかぁ~!?」
「落としたらやる気がなくなって、余計に酷くなると思いますよぉ~!」
「もし上げてくれたら、その後は僕たちで頑張らせますしぃ~、今からでも何とかなりませんかぁ~!?」
神崎の優しい口調に甘えて、男子生徒たちは口々に勝手なことを言う。
「そりゃあ無理だよぉ~! 気持ちは分かるけど、大勢の教師が何時間も掛けて相談し、悩んだ末に決めたことだから、今更変えられない・・・。それに変えることが木島にとって好いとは思えないよぉ~」
「どうしてですかぁ~!?」
「確かに今は辛いだろうなあ。後輩たちに混じって勉強するのは恥ずかしいかも知れない・・・」
「そうですよぉ~!」
「まあ黙って聞きたまえ! 辛くても、ここで木島をそんな風に助けることは、必ずしも木島の為にならない。いや、むしろ木島に、人生は甘いものだ、少々のずるをしても渡っていけるものだ、と言う気持ちを抱かせることになるから、百害あって一利なしだと思うよぉ~」
「そうかなあ?」
男子生徒たちは必ずしも納得していない。先輩たちに聞くと、大学ではカンニングのし放題だし、むしろしない方が少数派らしいから、少し年が下なだけで、何故にそんなに厳格さを求められるのか、今一理解出来ない。
それに、マスコミで流されるニュースを見ていても、大人の世界にはずるさが相当蔓延っている。
《でもまあ神崎は梃子でも動きそうにないなあ!?》
言い疲れたのか? 言うことで気持ちが治まったのか? ともかく男子生徒たちの顔には、仕方がないなあ、と言う諦めの表情が浮かび、声も次第に小さくなって来た。
そばで黙って聞いていた川端は、そのときむしろ次第に大きくなる心の声に戸惑っていた。
《あの時どうして木島に見せてやらなかったんやろう!? 俺が見せてやりさえすれば木島は上がれたはずやし、皆が言うようにそれで何の問題もない・・・》
1年半ほど後、無事国立浪速大学の学生になり、晴れ晴れとした気持ちで北河内高校の柔道部を覘いた浩二は、練習後、駅前の居酒屋に集まった仲間の諸藤純也から意外な話を聞いた。
「なあなあ川端ぁ~。神崎先生のこと、知ってるかぁ~?」
「えっ、何のことぉ~!?」
「神崎先生、死んだんやでぇ~」
そこで諸藤は微妙な表情をする。
浩二としても続きを聞かずにはいられない。
「一体どうしたん!? 元気そうやったのに・・・」
暫らく迷った後、諸藤は思い切って一気に、
「あんなあ。神崎の奴、SMプレイの最中に死んだらしいわぁ~。あそこに薔薇の花を紐で結び、首に太いロープを蛇のように巻き付けて、海老のように反り返って死んでいたらしいでぇ~。その後学校では、そのことを面白可笑しく書いた週刊誌を生徒らから取り上げるのに必死やったらしいわぁ~」
と言い、隠微な笑いを浮かべた。
浩二には神崎の特異な悦楽を共感出来ないだけに、事実は小説より奇なりと思う他なく、何の感慨も湧かなかった。
ただ暫らくしてから、神崎が得々として言っていた人生論の虚しさ、滑稽さについて思い至り、大人の世界の馬鹿馬鹿しさの一端を見せられた思いになっていた。
川端浩二、十九歳の夏。未だ本物の恋を知らない頃のことであった。
「久保先輩。先輩の大学でもやっぱりカンニングしたことがあるのかなあ?」
「それはどこでも同じや。でもなあ、高校では見付かったら大変やったし、あんまり聞かんかったよぉ~」
「そうかぁ~。やっぱりそうやなあ。それは分かっているんやけど、落ちてからの潔さ、ちょっとした時に滲み出る淋しそうな様子とかを思い出すと、何とか上がってだらだらしている奴と比べて何が違うねん!? と思うわけやぁ~」
「まあな・・・。でもなあ、そいつかてずるして上がれてたら、だらだらしてたかも知れんでぇ~。思い切って落とされたからこそ、かえって覚悟を決められたんとちゃうんかなあ?」
「まあそうかも知れんなあ・・・。でも、もう10年ぐらい前のことになるけど、底辺高校の教師をやっている友達が、生徒らはカンニングし捲くってる、言うてたでぇ~。あんまり普通のことやったから、よっぽど露骨でなかったら黙認してる、みたいなこと言うでたわぁ~」
「ふぅ~ん、それもこの前の性体験の低年齢化と同じやなあ・・・」
「そう! より稚拙になって行くのも同じやねんやろなあ。たとえば前の奴がダラリと座って、後ろの奴がその背中越しに答案の見えるところを写しよるらしいねんけど、それが文章の途中からやったりして、意味になってなかったりするらしいわぁ~。元々意味が分からんままに写しているから平気なんやてぇ~。馬鹿馬鹿しいと言うか、可哀想と言うか、怒る気にもならんかったらしいわぁ~」
「そんな子を落としたらどうなるんやろぉ~!?」
「まあ諦めてしまうらしいでぇ~。落ちたら退学する子が多く、卒業してまあまあのところに就職出来ても、簡単に辞める子が多かったそうやわぁ~」
「でも、若いんやから、後からやり直してもええように思うけどなあ・・・」
「そりゃそうかも知れん。でも、その高校に昔からおって地元に住んでいる先生がなあ、落ちて中退したらやくざの使いっ走りにでもなるしかない、と言うそうやし、事実、街にはそんな風に見える兄ちゃんや姉ちゃんが結構おるらしいわぁ~。そやから、せめて卒業だけどもさせといたったらと思たわけやろなあ・・・」
「それで、卒業出来た子は少しはましになったかぁ~?」
「まあそうらしいでぇ~。元々素直な子らやし、就職したところを辞めても、地元の小さいところに入って、その内に落ち着いて来よるねんてぇ~」
「ふぅ~ん、育った環境に落ち着くんやろなあ・・・」
「かなりの子はそうらしい・・・。でもまあ、それでええやん。大きなコンプレックスを持たず、普通の生活が出来たらええと思うでぇ~」
「でも、藤沢君が通っていた当時の北河内高校ではやっぱりずるはせん方が好かったし、あれでよかったんちゃう?」
「話を戻してくれてありがとう」
「そやけど、その神崎先生の件は吃驚やなあ!?」
「ほんまやぁ~。俺は直接週刊誌を読んだわけやないけど、変な気分になったわぁ~」
「高校で教えて貰てたときは、そんな気配は全くなかったんかぁ~?」
「いや、今考えたら変わったところのある先生やったけど、当時は、面白い先生やなあ、でもほんのたまにマジに怒るから、ちょっと変わっているなあ、と思てたぐらいやなあ。あれはやっぱり演じてたんやろなあ・・・」
「えっ、何がぁ!?」
「いや、普段の姿は仮の姿やってんやぁ~」
「仮の姿ぁ~?」
「うん。本当に落ち着く姿はあんまり他人と掛け離れているもんやから、普段は意識して生きていたわけやぁ~」
「まあ誰にでもそんな部分はあるけどなあ・・・」
「うん。でもまあ、それが極端やったやろなあ。カモフラージュし易い軽妙な姿を演じながら生きてたもんやから、疲れたんやろなあ・・・」
「それでたまに爆発したわけかぁ~!?」
「そうやなあ。きっとそうやと思うわぁ~! でも、やっぱり久保先輩は鋭いなあ」
「亀の甲より年の功、言うやろぉ~? でも、褒めても何も出えへんでぇ~」
「ハハハハハ。久保先輩には話し相手になって貰うだけで十分やってぇ!」
「そうやろぉ~? 此方が何か貰わな割が合わへんなあ。フフフッ」
「そやから、新鮮な話を提供してるやろぉ~?」
「何言うてるんやぁ~!?」
「ハハハ。冗談、冗談。何時も感謝はしてるんやでぇ~。ハハハハハ」
「ところで話を戻すけど、内の研究所でも、普段目立たへんのに、施設とかの余興で被り物をしたら大変身して弾み捲くっている人がおるなあ?」
「中畑さんのことかぁ~?」
「そう!」
「あの人は変身している姿が本当なのかも知れんなあ・・・」
「いや、どっちも本当なんとちゃう? 穏やかな人やけど、弾みたい部分もある。普段は出し切れへん部分が被り物をすることによって自然と出せて、バランスが保たれているんやろなあ」
「ほな、神崎先生にも両面があって、何とかバランスが・・・」
「いや、あれはやっぱり極端やぁ~!?」
「結果的に亡くなったからそんな風に考えたくなる気持ちも分からんこともないけど、もしかしたらバランスが崩れて崩壊したわけではなくて、単にSMプレイ中の事故かも知れんでぇ~。それやったら、ある意味幸せなことかも知れん・・・」
「う~ん。そうかなあ。大人の世界って複雑やなあ?」
「いや、そうやなくて、あんたが単純過ぎるだけなんやぁ~!」
「きつ、きつ、きつ~い!」
誰にでも表と裏の顔があり
バランス保ち生きているかも