sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(11)・・・R2.4.19①

              その-10

 

 令和2年2月18日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、執務室に入る。既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを何やら熱心に見詰めていた。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 挨拶を交わした後、世界では新型コロナウイルス感染症のことで騒がれ始めていること、ファンドさんの一番の関心事である株価に大きな変動が起こり始めていること等、ひと通り世間話をし、慎二は自前のノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。

 迷うところがあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろに年季の入った256MBのUSBメモリー、「愛のバトン」を取り出して、「神の手」に挿し、休みの間に家で書き始めていた私小説っぽい作品、「明けない夜はない!?」の一部を取り出し、加筆修正を始める。

 

           明けない夜はない!?

              その1

 昭和50年代、世間はまだ高度経済成長期の真っただ中にあり、好景気に浮かれていた。郵便局(当時)の定額預金の利率は福利の効果もあって実質10%を超え、ちょっと頑張れば貯金が倍々ゲームのように殖やせた。貧乏人の子でも働けば普通に新築一戸建ての家が買えることを疑いもしなかった。青木健吾が国立浪花大学の理学部を卒業したのはそんな昭和58年であったが、人見知りが強く、就職への強い意欲も感じられなかったのが災いして、当然のように10社以上受けた就職試験の面接で悉く落とされた。

《あ~あっ、どうしたもんかなあ?》

 暫らくの間、近所のガラス工場でアルバイトをしたり、家庭教師をしたりして過ごしていたら、6月になって大学の研究室の指導教授から連絡があった。

 埼玉県にある受験関係の出版社、若草教育出版が理科の編集者を募集していると言う。

 確認してみると、給与、賞与、諸手当、休日等、悪くない。総合的に考えてむしろ世間並以上であった。

《そう言うたら、出版社は何処でも結構貰えるらしいなあ? そやけど、忙しいのとちゃうやろかぁ~!?》

 貧乏人の坊ちゃん育ち、極め付きの世間知らずの健吾には大きな不安があったが、取り敢えず受けてみることにした。

 それから数日後のこと、埼玉県の或る銀行の研修室を借りて若草教育出版の臨時入社試験が行われたが、受けたのは健吾ひとりで、健吾にしては珍しく殆んど緊張しなかった。

 筆記テストは大学受験対策用の問題であったから、難しくはあってもほどほどに書けたし、後から上司が言うことには、是非とも1人は増やす必要があったので、出身大学から考えて出来に関係なく採用することは決めていたそうだ。面接試験では試すような質問が全くなく、何時から出社出来るのか? とか、もう採用したものとしての質問であったのも頷ける。そんなことが飛びっ切り小心者の健吾を気楽にしていたようだ。

 7月半ばになって始めた仕事の方は大学受験対策用教材の編集で、レベル的には入試レベルであったから、東大、東工大、早稲田大等の入試を意識した難問であっても、全く手に合わなくはなかった。健吾が経験した受験勉強よりは大分高いレベルの問題もあるにはあったが、大学で学んだこと、買い集めた教科書、専門書、事典等を活用すれば十分に対応出来た。通信教育用に日常的にある月2回の締め切りは少々きつかったが、残業時間が月に40時間ぐらいで抑えられ、残業代はきっちり出たから、辛さよりも収入が増える有り難さの方が上回った。受験期の3か月ほどは入試問題の解答集と言う臨時の仕事が入り、残業が一気にもう50時間ぐらい増えて急にきつくなったが、予め言われていたので覚悟は出来ていたから、思っていた範囲で収まったし、それに見合う収入増も嬉しかった。

 ただ、この周期的な緊張感の連続が健吾には合わなかったようである。2年間ほどで心身の調子が整わなくなり、次第にこのままずっと続けて行けるかどうか、疑問に思えて来た。不安が高まった所為か? 軽い胃潰瘍にもなった。

 周りを観ても、またここ数年を観ても、やっぱりきつくなって来る人が多いようで、大学、予備校、高校の教職、執筆業等への転身が多かった。

 色々迷った末、健吾は一旦生まれ育った大阪に戻り、出直すことに決めた。

 そう決めると未練はなかったようで、2年半ほどで若草教育出版を辞め、大阪に戻って来た。

 そこまでは問題がなかったのであるが、父親の新吉は還暦を過ぎた左官職人で、既に仕事を半分に減らして週に3日ほどしか働いておらず、収入も若い頃の半分の月に20万円程度になっていた。母親の由美子は健吾の学費を稼がなくてもよくなって婦人服縫製のパートを辞めていたので、専業主婦となり、全く無収入であった。そんなわけで、2人は家を買うのを諦め、その頃でも珍しくなっていた風呂無し、共同便所の安アパート暮らしを若い頃と同様に続けていたから、自分達のことで精一杯であった。そこに再び入るのはきついので、健吾は出身校である北河内高校のそばにある風呂無し、共同便所の6畳ひと間で月1万2千円と格安のアパートを借りて独り暮らしを始めることにした。

《ここやったら失業保険と蓄えで数年はやって行けるけど、さて、これから何をしたものかなあ?》

 大して先が見えていない健吾は、取り敢えず公務員、教員等の試験を受けられるように、一般常識の勉強から始めることにした。それから、幼馴染の吉川治夫の勧めもあり、時間の余裕が出来たこの機会に自動車の運転免許を取っておくことにする。

 

 その辺りまでを見直して加筆訂正し、ちらっと時計に目を走らせてここで置くことにした。「愛のバトン」をそっと抜いた後、「神の手」を優しく閉じ、慎二が創作の余韻に浸ってしみじみしていると、

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

 慎二はちょっと自信を持ちながらメルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せて問いかける。

「どう、これぇ? 休みの間に書き始めていた小説みたいなもんなんやけど、自分としてはまあまあ書けてると思うんやけどなあ・・・」

「おっ、今度は小説ですかぁ~。それにしても毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 半分呆れ、半分感心しながら、

「どれどれ・・・」

 気の好いメルカリさんはさっと目を走らせて、

「ふぅ~ん。ブログさん、埼玉県にある出版社に勤めてはったんですかぁ~。毎朝、よう精が出るなあと思てたら道理で・・・」

 どうやら実際通りと受け取られたようである。

《然もありなん。でも、違うことを言っておかなければ・・・》

 慎二は慌てて否定に掛かる。

「違うってぇ~! これぇ、小説やってぇ~。全くの作り話やからぁ・・・」

 そう聴いてもメルカリさんはちょっと悪戯っぽい笑いを浮かべながら、

「フフッ。本当かなあ? 殆んど自分のことちゃいますのん!?」

 全否定は出来ないが、これから少々甘酸っぱいことも書き連ねようと思っている慎二としては、やはりここでは強く否定しておくことにした。

「いや全然違う! 俺が大学を卒業したのは昭和53年やし、ほら5年も違う。それに父親は塗装職人やから左官職人とは違う・・・」

「ハハハ。そんなん殆んど同じようなもんですやん。さあこれからどんな青い体験が出て来るんかなぁ!? 楽しみですねえ。ハハハハハ」

「違うってぇ・・・」

 それ以上否定するとかえって肯定しているように思われそうであるから、慎二はもう何も言わず、顔を真っ赤にして耳をひくひくさせていた。

 そんな与太話を聴いていたのか? 事務を担当する依田絵美里が微笑みながら慎二の机の上にお茶をそっと置いて行った。