その2
令和2年4月6日、月曜日の朝、新型コロナウイルス騒ぎの中、藤沢慎二は何時も通り通勤電車に乗って、東大阪市にある職場、心霊科学研究所東部大阪第2分室に通っていた。
大阪府の学校は5月6日まで休校になったと友達の森田春馬から聞いていたが、なるほど学生の影はない。
《と言っても、まだ学生さんは春休みかぁ~。フフッ。今はあんまり関係無さそうだなあ・・・》
森田とはずっと前から4月5日の日曜日辺りに花見に行こうかと約束していたが、4月2日の木曜日に問い合わせのメールが入った。
2人だけで車に乗って行くのであればそんなに関係ないような気もするが、花見に行くかどうか慎二に決めて欲しい、と言うことであった。
そう言われると迷うところであったが、世間では不要不急の外出を自粛するようにとの要請が浸透し始めている。大阪では感染者が日に日に増えている。ちょっと考えて慎二は、今回は見送り、少し落ち着いた頃に体力作りも兼ねて歩きに行こうと返事しておいた。
職場に就くと、執務室には正木省吾、すなわちファンドさんが既に来ていた。慎二が着くのは何時も大体7時50分頃で、これでも十分に早い方であるが、ファンドさんは更に30分ぐらいは早く来ているようだ。そしてiPhone片手に、ぶつぶつ言いながら、しきりにメモを取っている。
以前、ファンドさんの机の上に置いてあった紙が偶然目に留まり、何の気なしに見ると、ヤマダ電機、ケーズデンキ等、家電量販店がずらずら書いてあり、それぞれの後に数字が書いてあったので、何かを購入する為に相見積もりでも取るのかと思い掛けたが、それにしてはえらく違う。考えてみれば株価でも書いてあったようだ。
《今日もどうやら株価でも調べているようやなあ? ファンドさん、毎朝ご苦労なこっちゃなあ。フフッ》
そう思いながら慎二は自前のノートパソコン、「神の手」をおもむろに開く。
それは昨年の暮れにヤフーショッピングの中古屋で買ったものであった。今年の1月14日にWindows7のサポートが終わるということで、急遽Windows10が入った手頃なパソコンを探し始めたところ、officeまで入って安そうな中古が気に留まったのである。意を決してデスクトップパソコンと合わせて2台注文したところ、デスクトップパソコンはHP、ノートパソコンの方はNECの、何れもビジネス用パソコンが送られて来て、締めて5万円ほど。両方ともまあまあ程度が好く、値段から考えても十分に納得の行く買い物であった。
「神の手」と言うのは、慎二はちょっと気に入ったものにはこんな風に愛称を付けることにしている。ここから色々な物語が紡ぎ出されることを期待しての命名であった。入っているCPUは第3世代のCorei3であったが、メインメモリを8GBに増量し、記憶の為に入っていたHDDを512GBのSSDに取り換えてある。Windows10はプロで、officeはPowerPointまで使える2019が入っていた。
さて、ファンドさんが頻りに投資情報を調べている横で慎二が始めることはブログの更新であった。通勤電車の中でスマホにメモしておいたものを見直しながら起こして行く。始業までは1時間以上あり、ホッとひと息吐ける時間であった。
朝のひと時雑詠
朝から爽やかな青空が広がっている。
空気が冷たくて気持ちが好い。
そこまでは好いのであるが、透き通っている分、花粉が多目のようだ。
外に出ると、余計に鼻がむず痒くなって来た。
でもまあ、鼻をかむことによって色々と要らないものを外に出していると思うことにしよう。
なんて、不自由をすることが多いほど哲学的になると言うのは本当だなあ。フフッ。
と言うか、不自由をすると哲学が必要になると言うことか?
何れにしても、少しは考えるようになるから、悪くはない!?
不自由して少しは頭動き出し
不自由して少しは頭働かせ
それはまあともかく、この休み中にしたことと言えば、創作を幾つかしたし、パソコンを使い易くした。
その他には買い物がてらの散歩、読書、韓国ドラマ視聴と、十年一日の如しである。
それに週3日の仕事が入るから、これからの1年間はまだ退屈せずに好いが、その後についてはまだ分からない。
それも先へ先へと考え過ぎない方が好いような気がして来た。
少しは不自由を感じた方が好いアイデアが出るのかも知れない。
何事も焦って答えを出そうとしないことだろうなあ。フフッ。
それはまあともかく、今考えるべきことは今日の仕事についてである。
特に急ぐわけではないが、今の時期は今シーズンの仕事をし易くするのに頭を使った方が好い。
私の仕事の場合、経験上そうである。
後から焦らなくて済むし、更に発展させられる。
その分、仕事が少しは面白くなる!?
ただ、そうすると欧米的な考え方では仕事でなくなり、遊びとなるらしいから、ややこしい。
遊びにお金を貰うわけには行かないからと、下手をすればサービス残業に繋がり易い。
もっともそれは我が国のように組織側から求められるものではない!?
本人のポジティブな考え方としてであろう。
仕事から卒業した後、出来ればそんな時間を持ちたいものであるが、具体的には上にも書いたように、その時が来てからか、近付いてから考えることにしたい。
なんて書いていたら、隣に座った人が咳き込み、マスクをしていなかった。
マスクレス咳き込みマンに緊張し
そこまで書いて、慎二がまあまあ納得の行く顔をしてしみじみしていると、井口清隆、すなわちメルカリさんが入って来た。
「おはようございま~す」
「おはよう~」
「おはようございま~す」
ひと通り挨拶を交わした後、メルカリさんが「神の手」を覗きながらニヤリとし、
「藤沢さん、相変わらず朝から好調ですねぇ~」
「いや、まあ・・・」
慎二は見て貰いたい気もあるが、まだ恥ずかしさの方が大きい。
「それはまあええけど、何か掘り出しもんでもあったんかぁ~?」
話を逸らすと、メルカリさんが嬉しそうにスマホの画面を見せる。
「藤沢さん、これ、どうですぅ~? Windows7のパソコンなんですけど、officeが入ってて、PowerPointが使えて3000円! これやったら、買うてもええと思いませんかぁ~!?」
パソコンにあまり詳しくない慎二は世間でよく言われていることを思い出しながら並べ立てる。
「でも、Windows7のままやとセキュリティが危ないらしいし、使っているCPUが分からへんし、それにHDDやろぉ~? CPUが古いねんから、SSDやないと遅いんちゃうかなあ・・・」
それでも慎二より更にパソコンに疎いメルカリさんには十分凄く思えたようで、
「藤沢さ~ん、よう知ってはりますねえ・・・」
感心した目をしてくれる。
慎二はちょっと得意になり、今日の仕事は上手く行きそうな気がして来た。
すると2人の話が聞こえていたようで、ファンドさんがおもむろに口を開き教えてくれる。
「Windows10にアップグレードしたらよろしいやん。今でも無料で出来るらしいですよぅ~」
ファンドさんは大学でもパソコンを駆使していたようで、結構詳しく、この職場でも中心になって選定、設定等を担当していた。
メリカリさんの眼鏡の奥で、つぶらな瞳がきらりと輝いた。
「ほんまですかぁ~!? ほな、これ買っておこうかなあ・・・」
それでも少し迷いながらメルカリさんがスマホ片手に執務室を出て行った。もう少し迷ってから注文を入れたいようだ。この迷っている時がメルカリさんにとっての至福の時らしい。
その日の帰りのこと、何とか仕事を終えた慎二は兄の浩一やファンドさんのことを思い出していた。2人共話しぶりでは結構持てるようだ。職場で出会う機会が無くても、食べに行ったり、飲みに行ったりすれば相手ぐらい見付かるだろうと言うのである。人見知りの強い慎二からすれば信じられない話であった。
《俺も若い頃、見た目は今のファンドさんとあんまり変わらんかったし、今も兄貴とそんなには違わへん!? はずやぁ・・・。そやのに、兄貴なんかいまだに彼女がおりそうなこと言うてるしぃ・・・》
ちょっと羨ましくなり、遠い目をしていると、
「さようなら。お疲れ様で~すぅ!」
と言いながら、事務員の依田絵美里が軽やかに追い抜かして行く。
「お疲れ様ぁ~」
ぼそぼそと返した慎二は、自然と目がその美脚に惹き付けられて頭の中がモヤモヤし、続いて目に霞が掛かったようになって、絵美里が実は自分を秘かに思っているような話が浮かび始め、
《あっ、あかん、あかん! こんな風に俺は直ぐ見た目に惹き付けられ、空想の世界に遊び出すから、現実の世界では持てへんのやろなあ・・・》
見上げた東大阪の空は夕焼けがやけに眩しかった。