sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

草深い宿(チヂモン奇譚)・・・R2.4.6②

 永野伸介は数年前にたまたま訪れた村で行なわれていた盆踊りに飛び入り参加し、和太鼓の腹に染入るような響き、全体に落ち着いた色合いの浴衣、村人たちの厚い人情等にいたく感動してしまった。

 それからと言うもの、伸介は夏を待ち焦がれ、まとまった休みが取れると必ず盆踊りを求めて鄙びた土地を旅していた。

 或る夏のこと、伸介は伊豆半島中部のある村を訪ねていた。

 規模は決して大きくないが、言葉には言い表せない風情がある。

 浴衣に身を包んだ若者達の表情、動きに、都会にはない真摯なものが感じられ、そこに空気のように居るだけで何とも言えないほど幸せな気分になれるのだ。

 それだけのことで、伸介にそれ以上の底意があるわけではない。

 

 本当は盆踊り本来の意味からすれば、多少の含むものがあってもいいのであるが、伸介はその点生真面目で、ふわふわした雰囲気が感じられれば十分であった。

 そして、伸介が年の割に清潔な雰囲気を持っている所為か? どこの盆踊りに参加しても、拒否されることは先ずなく、大概は快く受け入れて貰えた。

 

 さて、伊豆半島中部の村での盆踊りを終え、バス停に向かう途中、雲行きが急激に怪しくなって来た。

《何だか風が温くなって来たし、どうもやばそうやなあ!?》

 そう思う間もなく、ピカッ、ドシャン。

 続いて激しい音を立てて雨が降り出した。

 初めての土地で、伸介はどこに隠れていいか分からず、取り敢えず頭を低くしながら駅への道を急いだ。

 びしょ濡れになり、諦めてスピードを緩めたとき、伸介の頭上に赤い傘が掛かり、耳元で柔らかい声がした。

「もう濡れたでしょうけど、よろしければどうぞ・・・」

「えっ!?」

 そう言った切り、伸介は固まってしまった。

 スラリとした浴衣美人で、少し伏せた目が旅情を誘う。

 黙ったまま暫らく歩いた後、その妙齢の女性は立ち止まり、恥ずかしそうに微笑みながら、

「あのぉ~、ここ、私の家ですから、ちょっとお待ち下さい・・・。父の傘をお貸ししますわぁ」

「いえ、そんな・・・。もう直ぐバス停でしょうし、もう十分濡れていますから大丈夫ですぅ」

「折角ですからお持ち下さい。高いものではありませんから、機会があれば返して下さい。それで十分ですから・・・」

「でも、悪いですぅ」

 そんな遣り取りをしているとき、焦れたのか? 奥の方から低い声がした。

「加奈子かぁ~? そんな大雨の中で話していないで、中に入って貰いなさい!」

「はぁ~い」

 父親の許しを得て、加奈子は柔らかい笑顔になった。

 どうしていいのか分からなくなり掛けていたところを納得の行く判断をして貰って、ほっとしたようである。

 伸介の目を優しく見詰めながら、決然と言う。

「どうぞぉ。狭い家ですけどぉ、雨宿りをして行って下さい!」

「はい。有り難う御座いますぅ」

 何時もなら他人の家へなど上がれない人見知りが強い伸介であったが、その父親と娘の関係が何となく懐かしいものに感じられ、即座に返事していた。

 中に入ると、如何にもと言った日本家屋で、声から推察される通りの渋さを持った父親が座っていた。

「どうも、突然お邪魔してすみません」

「いやいや。困っているときはお互いさまです」

 座ってから改めて、

「永野伸介ですぅ。旅の途中で雨が降り出し、こんな格好で申し訳ありません」

「橘譲治です。これは娘の加奈子です。急に雨が降り出したのですから、濡れて当たり前です。加奈子、タオルを出して差し上げなさい」

「はい」

「それからお茶も・・・」

 遠ざかる加奈子を追い掛けるように付け加えた。

「はい!」

「そんなぁ、雨宿りさせて頂ければ十分ですからぁ、気を使わないで下さい・・・」

 伸介は恐縮しきりであったが、勿論悪い気はしなかった。

 それから取り止めもない話をしている内に雨が小降りになり、やがて止んだ。

 伸介は惜しむ気持ちを隠しながら、その家をあっさりと辞した。
《橘加奈子さんかぁ~。いいよなあ・・・》

 戻ってからも暫らく忘れられず、伸介はお礼にかこつけて手紙を出したくなった。

 しかし、そこが気弱な伸介らしいところで、住所を聞いていない。
《仕方がないなあ・・・》

 悶々としている内に秋になった。

 それでいいのである。そんな風情、余韻を味わう為に毎年、鄙びた土地に盆踊りを求めて行っている。

 だが、このときだけはそれで済まなかった。どうしても加奈子のことが忘れられないのである。

 伸介は毎年秋になると、諦めて見合いをするのであるが、見合い中も加奈子のことが浮かび、ついつい比べてしまう。

《何や、この擦れた目はぁ~!? やっぱり都会に暮らしていると薄汚れてしまうんやなあ・・・》

 伸介は自分のことは棚に置き、会った瞬間から粗探しをしていた。

 そして、今回は珍しく自分から断わりの電話を入れた。

 何時もなら子どもの頃から指導を受け、今は見合いの世話までしてくれる書道塾の山畑先生から女性側の断わりの電話を受け、悔しい思いを我慢しながら聞くのが普通なので、山畑先生もびっくりしていた。

「どうしたのぉ? どうしても嫌なら仕方ないけど、そんなに直ぐに断っていいのかい? 美人だし、スタイルもいいし、キャリアもいい。多少気はきつそうだけど、君にはむしろそれぐらいでちょうどいい。今回は結構厳選した積もりなんだけどなあ・・・。君も今年で38歳だろぉ!? もう年なんだから、あんまり選んでばかりいては結婚出来なくなるぞぉ~」

 結婚に対して尻込みしているように見えるのか? 脅すようなことも言う。

「でも、何時も世話をして貰っていて、こんなことを言うのもなんですけどぉ、僕、この頃結婚に対してもっと自然でいようと思うようになったんですぅ。前より女性と普通に付き合えそうな気もして来てぇ・・・。だから、暫らくは見合いは止めようかなと思っていますぅ。今回お世話いただいた人がどうのと言うのではなく、そう言うことですからぁ、申し訳ないですが、先生の方から断わって頂けないでしょかぁ?」

「それは別に構わないけど、今、特に好きな人が居ないのなら、これを切っ掛けに付き合いを始めてみてもいいじゃないかぁ!?」

 伸介の心の用意が整って来たと見たか? 山畑はしつこく押す。

 それでも伸介が断るのを聞き、山畑は折れた。

 見合い結婚への道を自らの意思で断ち切った伸介は、大きな岐路に立ち、自分で判断出来た喜びに震えていた。そして不安におののいてもいた。

《よし! これからは自分で探すしかない・・・》

 そう決意した伸介の脳裏に浮かんでいたのは勿論、加奈子のことであった。

 早速伸介は一番近そうな休日を探す。

《今度の3連休辺りがよさそうやなあ!? 給料日の後やし、お金の心配もない。

 幸い宿の手配も出来て、伸介はその連休を心待ちにしていた。

 不思議なもので、肩の力が抜けたのか、伸介は職場で前より女性と気軽に話せるようになり、ときには好意を示されるようになった。

 しかし、伸介はどうしても加奈子と比べてしまう。

《どうもちゃうねんなあ。その下種な言葉遣いがあかんねん! 俺には合わへん・・・》

 気弱そうな伸介の目を見れば、そんな不届きなことを考えているなんて誰も想像しないのであるが、気弱であっても決して優しいわけではない。敢えて言えば、他人に優しいわけではなく、自分に優しいだけであった。

 

 そして、首を長くして待っていた3連休が来た。伸介は喜び勇んで予約していた新幹線に飛び乗った。

《さて、伊豆箱根鉄道修善寺まで行って、それからはバスだったなあ!?》

 それから加奈子とのことを思い出しつつ、心を温めている内に、実はあれ以上何もなかったことに気付く。

《困っている旅人への親切。ただそれだけのことなのかなあ? いや、あれはただの親切だけのことではない。見ず知らずの俺を家にまで上げてくれたんやぁ~きっと何か感じるものがあったはずやぁ! いや、彼女の優しさがそう思わせるだけのことなのかなあ? いや、そうやない! やっぱり特別な感情があったからこそ・・・》

 伸介は揺れに揺れていたが、それも楽しいひと時であった。

 そして、伸介は記憶にあったバス停に降り立った。

《ここから暫らく歩いてぇ~、それからあそこの角を曲がってぇ・・・》

 伸介は曖昧な記憶を掘り起こしながら、見慣れた小川、丘陵、店等を頼りに何とか目的の地点に辿り着いた。

 はずであった。

《うん? あれぇ~、ない!? もしかしたら、あれから大分経っているから、記憶違いちゃうかぁ~? いや、こんなに加奈子のことばかり考えていたんやぁ。間違えるわけがない!》

 それでも伸介は何度も確かめ、矢張り間違いではなかったことが分かる。

 それでは何故、ここには何もないのだ。家を取り壊し、更地にしたにしても、こんなに早く草むらになるものであろうか?

 そこに農夫が通り掛った。

「あのぉ~、ここにあった家、どうなったか分かりませんかぁ?」

 伸介は聞かずにはいられなかった。

「おや、お前さんもかい? これで何人目になるかのう・・・」

 お気の毒に、と言う目をする。

「どう言うことですかぁ?」

「さあ、わしにもさっぱり分からん。狐にでも化かされたのかのう?」

 そう言いながら農夫は立ち去った。

 それからも暫らく、伸介は未練ありげに草むらを眺めていたが、何か分かるわけでもない。仕方がないから溜め息を一つ吐き、それからゆっくりとバス停に向かった。

 その後ろ姿を確かめてから、農夫がゆっくり戻って来た。そして懐から緑の錠剤、チヂモンを取り出し、呑み込んだところ、見る見る小さくなった。

 それからおもむろに、首を傾げながら草むらに入って行った。

 そこには小さな家が数軒、立ち並んでいた。草むらまで入り込めば伸介にも分かったはずであるが、あったはずの位置に家がなく、丈の高い草が茫々と生えていると言うことだけで、そこまで気が回らなかった。そして、よく観れば、農夫の顔にも覚えがあったはずである。

 農夫は一軒の古い日本家屋に入り、声を掛けた。

「加奈子。あの男は行ったよぉ。それにしても、お前、一体何人に声を掛けたんだい? 何だか可哀想な感じがするなあ・・・」

「お父さん。結婚相手はやっぱり大事よぉ! しっかり選ばなければ・・・。それに、あれでいいのよぉ。幾ら勧められたからって、初めての家にあんな風にのこのこ上がり込み、でれでれと鼻の下を伸ばす奴なんて願い下げだわぁ。それに比べてこの人は・・・」

 そう言いながら加奈子は、艶っぽい目で横にいる男を見る。

 その男も満更でもなさそうである。家まで上がるのを断り、軒先を借りて休んでいると、お茶に入っていたらしい怪しげな薬でいきなり小さくされてしまった。そんな風に取り込まれたときは、わけが分からず、何だか不安そうであったが、ここでの生活も悪くないかと思うようになっていた。

 その頃、草むらの中の彼方此方の家では、新しく婿や嫁を迎えて、鄙びた中にも華やいだ笑顔に溢れていた。

 一方、バス停に着いた伸介は、漸く微かにあった違和感の意味に気付いた。

《そうやぁ!? さっき農夫、あのときの加奈子のお父さんに似ていた・・・。でも、なんでやろぉ? もしかしたら、加奈子は遠い昔に亡くなった村の娘で、あの農夫は加奈子のお父さんの末裔やろかぁ~? 加奈子に出会ったのはお盆だし、そんなことがあっても不思議ではない気もするなあ・・・》

 自分なりの決着に満足した伸介は、到着したバスに迷うことなく乗り込んだ。

 

        若さ故其々好きなことを言い

        勝手な恋に酔い痴れるかも