sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

熟年ブロガー哀歌(1)・・・R2.4.5①

               その1

 

 大林盛夫は今年で53歳になる。もう十分過ぎるほどベテランではあるが、いまだに自分探しに余念がない、しがないサラリーマンである。このまま無難に勤め上げればあと7年で定年になる。大幅な収入減は止むを得ないにしても、その後の仕事も期待していいだろう。

 しかし、大林は何か物足りないものを感じていた。

《小さいながら家も持ち、子どもらも独立した。ほぼ人生設計通りに進んでいる。これからは妻と第2の青春と洒落込めばいい。幸い妻は美しく、年の割に未だ十分若さを残している。それに、理由はそれだけではないが、私は妻を深く愛している。だけど、本当にこれでいいのかなあ!?》

 大林は心の何処かで、あんまり予定通りだと人生の下り坂を足早に下りて行きそうな気がし、淋しかったのである。

 そんなとき、帰り道で買ったスポーツ新聞の小さな広告が目に留まった。

 

   あなたの第2の青春を独り占めにしないで、
   みんなに分けてあげませんか?
   ぜひ私たちにお手伝いさせて下さい。

 

 何のことかと思い、読んでみれば、「熟年ブロガー養成講座」とある。

 世の中には淋しい老人が多く、然りとてプライドが高いから、簡単には友だちが見付からない。そんな老人もインターネットを通じてのやり取りなら殻を破り、自分を解放出来るから、メールの相手や興味をそそるブログの需要が高まるはずだ。その需要に応えられるのは人生経験豊かな熟年しかいない。熟年のあなたに必要なのはあとブログのテクニックだけだから、それは当社にお任せ下さい、ということのようだ。

《ふむふむ。ノートパソコン、プリンター、デジタルカメラ、それにテキスト、講義の入ったCD-R、6か月に亙るインターネットによる指導込みで50万円かぁ~。ちょっと高い気がするなあ!? でも、同時に出来る割のよい仕事を紹介するから支払いがぐんと楽になるはずです、かぁ~。それならいいかも知れない・・・》

 この頃書くことに興味を持ち出し、身辺雑記風の日記を付け始めた大林は惹かれるものを感じ、取り敢えず始めてみることにした。

 

 数日後届いた教材は、殆んどソフトが付属せず、そのままではインターネット検索と簡易ワープロとしてしか使えないような安物のノートパソコン、それぞれ1万円もしないようなプリンター、デジタルカメラで、梅田にあるヨドバシカメラ辺りで買えばポイントを有効利用して全部で10万円もあれば揃う代物である。それに本屋かコンビニにでも行けば500円で売っているCD-R付きブログ入門雑誌、アルバイト募集の案内チラシが入っていた。

「なっ、何だ、これはぁ~!?」

 勿論、大林はクーリングオフの手続きを取ろうとした。

 しかし、連絡先はもぬけの空だし、料金は振り込んでしまっていた。

「仕方がない。雑誌でも読んで、取り敢えず自分で始めてみるかぁ~」

 

 それから暫らくして、大林は何とか自力でブログを開設した。

 

            山麓通信

 私は生駒地方の山麓に住む中年オヤジです。大阪からひと山越えるだけでこんなにも違うのかと驚くほど静かなところで、のんびり暮らしています。

 ところが朝は一転、虫や鳥の声がうるさいほどなので、年の所為ばかりではなく、ついつい早起きになってしまいます。

 仕方がない。テレビでも見るか。

 そう思ってテレビをつけてみても、この頃では殺風景なニュースや、馬鹿馬鹿しい芸能ニュースなどが十年一日のごとく流されているだけで退屈で仕方がありません。

 そうだ!? 折角環境のいいところに住んでいるのだから、散歩をしてみよう。

 と言うわけで、私はこの頃早朝の散歩を楽しむようになりました。近所のワンちゃんたちともすっかり仲よしです。

 1年の実りを刈り取られた田んぼの落穂を求めて集う小鳥たちの鳴き声が耳に心地よく、その光景は矢田丘陵を越えて来た朝日に映えて眩しい。歌の一つも詠んでみたくなります。

 

       チュンチュンと落穂求める小鳥たち
       矢田山越えた朝日が照らし

 

 う~ん、今一ですね。でも、ここの恵まれた環境、ゆったりとした時間の流れは、私のような凡夫にでも詩心を起こさせずにはおかないところを持っているということでしょう。

 

 都会に繋がる、未だ鄙びた部分も残す近郊都市に住む平凡な中年オヤジの呟きのような日記であるが、それが親近感を呼んだのであろうか? 同世代からは幾らか評価され、好意的な書き込みや、返歌等が送られて来た。それに気をよくした大林は2、3日に1回ぐらいの割で新しい日記を追加して行こうと意気込んだ。

 他愛無い日記を独りで付けている分には簡単である。悪口でもぼやきでも何でもいいし、文章も自分が許す程度に整っていればいい。

 しかし、曲がりなりにも日記を公開しようとするとそうは行かない。内容にも文章にも多少は気取りたくなる。

 始める前は、公開していれば何れ誰かプロの目に留まり、本当に仕事が来るかも知れない、と言う色気もあり、それがエネルギーになったのだが、1回書くだけでもかなり苦労した大林は、数回書いただけでブログを続けるのが苦痛になって来た。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 15年以上前に書いたものを読み返し、少し加筆訂正している。

 

 給料が頭打ちどころか、下がり出し、これは60歳で退職するのは無理だなあ!? と思われ出した頃か?

 

 勿論、退職金も年々下がっていた。

 

 それでも子どもが巣立っている人はまだ好いが、私のように結婚が遅く、年の割に子どもが小さい場合も増えて来た。

 

 そして自分探しをライフワークにする人も!?

 

 自分を大切にする個の時代の到来である。

 

 そこにインターネットの発達により、発信の場が増えた。

 

 敷居も下がった。

 

 世の中誰も彼もが創作者、発信者になり始めたようだ。

 

 それなりの意見を持ち、評価、評論する人も増えて来た。

 

 これを書いた頃、私はまだインターネットには抵抗があり、始めていなかった。

 

 始めるまでの数年間、実は憧れもあり、指をくわえながらこんなことを書いていたようだなあ。フフッ。

 

        ネットにて繋がることを恐れつつ

        実は憧れ膨らむのかも