ここは山奥の村。初夏から晩夏にかけて都会の人達が緑陰を求めて遙々森林浴にやって来るぐらいの、緑となだらかな山並み以外には、取り立てて何もないところでした。
この村に1人の物静かな少女がいました。
山奥のこととて、その少女には、近所に同年代の友達がいませんでした。
当然、話し相手は年上の人ばかりになります。特に、両親共に働きに出ている昼間はそうでした。近所のお婆さんやお爺さんが話し相手で、いきおい村に伝わる昔話やあの世のことがごく普通に出て来ました。
昔から、人は寂しいとき、また人に話しかけるほど勇気が出ないときは、そっと独り言を呟いたり、身近なペットや植物に話しかけたりしてやり過ごして来ました。
その少女もご多聞に漏れず、お年寄りもいないときは近くの森の木々に話しかけていましたが、普段から異界のことにあまり違和感がなかったのか、その話しかけ方はまるで友達に対するそれのようでした。
やがて少女はお気に入りの木が出来たようで、暇さえあればその木の下に少女の姿が見かけられるようになりました。
「お早う。今日も本当にいい天気ね。木漏れ日がすごく気持ち好いわ。ありがとう」
そう言いながら少女は見上げ、よく茂った若葉の間からきらきらとこぼれ落ちるようにやって来た初夏の日差しに目を細めます。
その時、風もなさそうなのに枝葉がざわざわと揺れ出し、木漏れ日のシャワーがさらに美しく少女のしなやかな身体に降り注ぐような気がしました。
この辺りで、その少女の名前を夏美、その木の名前を良樹とでもしておきましょう。
「今日はね。面白い本を買って貰ったから、持って来たの。ゆっくり読んであげるわね」
それは町に住む叔父さんが買ってくれたアニメ絵本、「崖の上のポニョ」でした。昨夜読み進める内に、夏美には人間である宋介を好きになり、やがて少女に変身した魚の子ポニョのことがごく自然に感じられるようになって来ました。自分と良樹の間にもそんな心のふれあいがあるように思えていたので、この本を読んだときは何処か惹かれるものがあったのです。行きつ戻りつ、気になったところは何度も読んだ所為か、読み終えたのは夜中の3時頃。これまでそんなに夜更かしをしたことがありませんでしたが、頭は益々冴え渡り、ちっとも眠たくありませんでした。
《明日は良樹に是非読み聞かせてあげよう。良樹もきっと喜ぶはずだわ》
そう思いながら心地よい夢の世界に入ったのはもう空が茜色になり始めた頃でした。
辺りがすっかり明るくなり、お母さんとお父さんが谷間の畑に出掛けて行った後、夏美はお握り数個と「崖の上のポニョ」を持って、いそいそと良樹のところにやって来たのでした。
夏美が恵まれた自然に磨かれて透き通った声で読み始めると、アニメのキャラクター達が生き生きとして来て、今にも飛び出して来そうに感じられました。それを感じるのか、良樹も何時も以上にざわざわと枝葉を騒がせ、木漏れ日をきらめかせます。
時々、本を置いては語りかけ、返事を待つようにしばらく間をおいて、また読んだので、直ぐに昼になりました。
「続きはこのお握りを食べてからね」
夏美は本を置き、お握りを食べて一服している内に、眠たくなって来ました。今頃になって寝不足がこたえて来たようです。
やがて夏美は心地好い寝息を立て始め、良樹は邪魔しないように静かになり、優しい木漏れ日を数本、落とすだけになりました。
それから数時間、日差しが傾いて来た頃のことです。ピカッと光ったかと思うと、
ゴロゴロ、ドシャン! バキッ!
夏美が飛び起きて、寝ぼけ眼(まなこ)で辺りを見回すと、無残にも良樹が真っ二つに折れているではありませんか!?
「わーっ! 一体どうしたの?」
驚きとショックでしばらく呆然としていた夏美ですが、やがて近くで声が聞こえたような気がしました。
「う~ん。よく寝た」
ひとりの美しい少年が目を覚まし、懐かしそうな眼をして夏美の方を見ています。
それにしても静かな少年でした。そして、喋らなくても夏美と心が通じ合うのか、2人は直ぐに仲良くなりました。
自然の流れとして、このまま結婚にまで至れば話は丸く収まるのですが、やがて夏美にはその少年のことが少し気味悪く思えて来ました。初めて会ったにしては、何だか自分のことを知り過ぎているような気がし、落ち着かなくなって来たのです。
もしかしてストーカー!?
そんな気がして少年の方をチラッと見ると、少年は読んでいた「崖の上のポニョ」を静かに持ち上げ、莞爾と笑っていました。
森の木と会話楽しむ少女には
木の精何時か逢いに来るかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは10年以上前に書いたもので、ジブリアニメ、「崖の上のポニョ」は2008年の夏に公開されている。
我が家ではジブリアニメが公開される度に映画館で観て、アニメ絵本を買い、DVDを買っていた。
それでもテレビで放送されると観ていたし、録画もしていた。
それほど惹かれるものがあったようである。
今も子どもたちはアニメ好きで、インターネットの動画サイトで色々なアニメを観ている。
時々独り言が聴こえるから、何かに向かって話し掛けているのだろうか?
微笑ましいような、夢見る頃を過ぎて、ちょっとゾクッとするような。
まさに、過ぎたるは及ばざるごとし、だなあ。フフッ。
と言いつつも、我が家ではまだ子どもがコロナ禍による休校措置を喜んでいる・・・。