sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

笑う門には福来る⁉・・・R2.3.26②

 近頃、新型(豚)インフルエンザの件で我が国はほとんど何とか騒動に近い状態になりつつあるが、それから100年ほど後のこと、我が国民は益々面倒なことを嫌うようになり、自然とお上からの管理が徹底するように流れて行った。

 初めこそ彼方此方元気筋から文句も出て、それなりに煩かったが、元々決めて貰う方を好む国民性、お上が大きな流れを決めて、責任を取って貰えると、むしろその方が楽だと感じるようになった。それに、お上が決めて守らない人を漏れなく取り締まってくれれば、守らない人に対してムズムズする必要はないし、生真面目に守っている自分を損だなどとは思わず、むしろ誇らしく思えて来る。

 さて、管理の方法であるが、紙面の都合もあるので、一例として今回は笑納税に関することをお話ししよう。

 ネーミングだけ見れば冗談のようで、肩の力が抜け、どうでもいいような気にさせられるが、それも含めて、これが中々、優れものなのである。

 技術的には今でも可能なぐらいの低レベルなことで、国民全員に高感度なセンサーを取り付けることから始まる。それでも、全員となると結構大変なので、産まれた時点で産婦人科医は赤ちゃん全員の耳たぶに米粒ほどのセンサーを埋め込むように義務付けられた。国が動くのであるし、未来のことであるから、それこそ漏れなくである。そして、そこから随時送られる微弱な信号が超高感度解析機を通して徹底的に分析、判断され、政府に対して明らかに楯突くような情報は勿論、日常の色んなことが判断材料になり、評価が変わって来るのである。

 勿論、国民にはあんまりはっきり知らせると息苦しくなるから、笑いの量と質から国民全員の幸福度を測り、それを参考にした善政に自動修正されて行くと、もっともらしく伝えられている。そのカモフラージュも兼ねたネーミングとして笑納とされたのだ。

 もう少し具体的に言うと、怒り、喧嘩等、明らかに不機嫌さが伝わって来るものは当然のこととして、それ以外に、あまりに笑いが少ないと、軟硬様々な指導が入り、更に従わずにはいられないほど課税される。幸福を目指す善政に素直に従っていない罰としてである。また、あまりに笑いが多いと、突出して幸福を得ているということで、褒められはするが、課税もされる。いわば、贅沢税である。

 確かに、笑いの適当なコントロールは悪くない。笑いが少な過ぎるのは心身両面において不健康だし、多過ぎるのもまた直ぐに疲れ切り、退屈を覚えるようになるから不健康である。細く長い幸せを求める国民性としては的を射ていると言っていいだろう。

ただ、人間弱いようで、中々強いもの。センサーが出来れば、それを巧みに掻い潜る機械も開発される。国内で駄目なら海外で。海外で駄目なら地底か宇宙で。幾らでも方策があった。

 それでもやはり国と個人ではレベルが違う。徹底したら国が勝つのは何時の時代も自明なことであった。数年の内には騒動が治まり、お上が望むように、我が国は世界に先駆けて完全に笑いをコントロールされた幸福度最適量国家となった。

 しかし、人間は元々好奇心の強いもの。幾ら幸福に見えても、あまりに平板な生活が続くと、飽き飽きして来て退屈を覚えるものである。そしてわざと逆のことを考えたり、実際にやってみたりして、今の好さを再確認しようとする。たとえば現代でも我々にとっては便利になり過ぎて、少し前の生活を懐かしみ、都会の真ん中にわざわざお金を使ってまで再現してみたり、旅行、研修のように期間限定で味わったりするようなものである。

 そんな折、その未来国家に気の魔術師、正木剛が出現した。あるとき正木は、意思によって気の一部を肉体から外に出すことが出来るようになった。

 しばらくすると、他人の気も操作出来るようになった。

 これだけならば今の時代にもそれらしい人はいそうであるが、やがて正木は肉体から切り離す気の量、時間をほぼ完璧にコントロール出来るようになったのだ。逆に、直ぐに望む量の別の気を入れることも出来るようになった。

 これが一体何の役に立つのか!?

 少し考えれば分かるように、笑いが少な過ぎる人は、自分の笑えない気を外に出して、何処かから笑える気を適量入れればいいのである。また笑いが多過ぎる人は、過剰な気を出して、生真面目な気を適量入れればいい。

 ここで移す気を国産だけに限っていれば、元々素直な国民の凸凹を均して更にお上好みの国民に仕立て上げているだけのことで、面白くも何ともないが、今の時代でもこれだけ外国産の物が輸入され、臓器、精子等、人間に関することにさえ活発な交流が実現されているのである。未来において外国、更に宇宙までも視野に入れない手はないではないか!?

 と言うわけで、どこやらから怪しげな気が導入され、それで抜けた分を補填して、表向き均質な笑い、更に幸福度は保たれた。そして、無事抜け出た気は久々に自由を謳歌したと言うことである。

 えっ、気だけになってどうやって楽しむのか、だって?

 元々楽しむのは気であり、肉体があるから肉体を通した刺激が必要なだけのことなのである。気だけになれば自由に何処にだって飛んで行け、何だって直に楽しめるのさ。フフッ。

 ではどうしてその時代に気の魔術師が現われたのか、だって?

 必要は発明の母と言うように、皆が本音では求めていたからこそ、救世主として現われたのである。真に有り難いことではないか!? フフフッ。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 これは10年ぐらい前に書いたものである。

 

 新型インフルエンザは流行り、結構騒がれていた頃であった。

 

 その頃私は怪しげな小話ばかり書いていたようだ。

 

 今、新型コロナウィルスが流行り、もっと騒がれている。

 

 そして呪いのオリンピックやら、妖怪アマビエやら、何故か美輪明宏やら言われ出している。

 

 まさに時代は巡るだなあ。フフッ。

 

        コロナ禍や呪い妖怪揃い踏み

 

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