sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

純愛の時代・・・R2.3.15④

 桐野マリモには純愛がどんなものなのか? よく分からなかった。母親の末枝はそれを、「まだ中1なのに可哀想」と言うが、今一説得力がない。

 昭和40年代生まれともなると珍しい6人兄妹の末っ子で、末枝と名付けられた彼女は名前から想像出来るように、至極雑に育てられた。それが逞しくした面もあるが、寂しさ故もあって恋愛においてプラトニックな時代はごく短く、高2の夏に卒業した。

 この春に35歳になったばかりであるから、それでも周りに比べて極端に早かったわけではない。末枝が通っていたやんちゃな子が多い高校では平均的なところであった。
その末枝から見ても、プラトニックな時代を中1の初夏で卒業したマリモは早過ぎる。しかもまだ幼さを残す横顔から分かるように精神的にませているわけではない。まだ小学生っぽさも色濃く残るこの時期に、まともな純愛時代も経ないまま、いきなり大人の世界に足を踏み入れたようで、自分のことはさておき、末枝はマリモのことが不憫でならなかった。

 そんな気になったのも、末枝が最近韓国ドラマの魅力を知り、その世界にはまっているからだ。最初はその濃さに辟易することもあったが、やがて共通して流れる生真面目さ、素朴さに懐かしさを覚え、忘れ難くなった。

 それに比べて、我が国のバラエティーのあざとさ、安易さと言ったものが許せなくなり、その合間を縫うように散りばめられた薄っぺらでわざとらしいドラマにも興味を持てなくなった。自分たちが何か大事なものを置き忘れて来たような気にさせられるのだ。

 末枝の場合、最初の相手は勢いであった。スキンシップを伴う彼氏が居ないことを恥ずかしく思う風潮があって、紹介された相手は、少しでも早く、より多くの相手と関係を持ちたいだけの、フェロモンに操られた普通の男子で、多少は疑問に思わないでもなかったが、全く好意が生じなかったかと言えば、そうでもない。そうなってからも暫らくは付き合い、相手の気の多さに気を揉んだこともある。

 しかし、相手に心まで触れ合おうと言う気が薄いことを知り、自然と醒めた。

 それから先はお決まりのコースである。何人かと知り合い、その都度流れに任せたが、人生を共にしようと言う気までは起こらなかった。

 結婚したのも弾みである。親戚から紹介された相手の桐野純男がそれなりの年になっており、それなりの経済力と優しさを持っていたので、こんなものかと腰を落ち着けることにしたのである。

 日常生活は惰性である。そんなに胸弾むことがなくても、酷くなければ何とかやって行ける。それに、末枝のように純愛時代があまりなく、早くから性愛が日常化していたものにとって、いわゆる夫婦生活には多くを求めていなかった。

 それでも子どもは生まれ、居れば可愛いものである。今までに置いて来た大切な何かを感じさせてくれる。それが何かは、言葉が巧みでない末枝には上手く言えなかったが、心を切なく揺す振ってくれるものの大切さは十分に分かっていた。

 そうすると、一緒にマリモを成し、育てて来た純男が愛しくなって来た。それなりの年であるから、それなりの経験を持っているのが普通だし、自分のことを振り返ると、はっきり聞くのは憚られるのであるが、果たして本当にそうなのか? 純男にはそれすら疑われる初心(うぶ)さもあり、10歳ほど上なのに、反対に感じられることもしばしばであった。

 実は、韓国ドラマの魅力を知ったのも純男を通してなのである。先ずは王道の「冬のソナタ」から観始め、「美しき日々」、「ホテリア」、「初恋」と、次々に名作と言われた作品を観て行った。

 自由になる時間がより多く確保出来る分、今では末枝の方が中心になって観ており、「美しい時代」、「かけがえのないわが子」等、結構ディープなものまで観て、レンタルビデオ店のサロンでもまあまあの顔になっている。

 テレビに映し出されるヨン様をはじめ、イ・ビョンホンウォンビンヒョンビンソン・スンホン、イ・ジヌク、等々、彼らの肌の何とツルツルし、目の何と深く澄んでいることか!?

 それに比べて・・・、と隣に居る純男を見て思わないでもなかったが、ため息と共に自分を振り返ってみると、現実はこんなものかと思い、これはこれで悪くないと思えて来る。

 それに、切なさ、哀しさ等を感じ、純男と一緒に暮らすようになってからは末枝は心が揺さ振られるようになった・・・。

 そんなとき、マリモが自分よりも更に4年以上早く大人の世界に足を踏み入れ、純愛の切なさも知らずに来たらしいことが可哀想で、末枝は口惜しく思えてならなくなったのである。

 しかし、自分の出来なかったことを子どもに求めてはならない。親の真似易いところを子どもは真似るものなのだ。

 そう考えると末枝は、これからだと思えるようになった。

 なぁ~に、純愛が後からだって構わない。早く経験した分、まだまだ若いんだから、これから幾らだって機会がある。経験が心の目を曇らせることもあるかも知れないが、経験したことで過剰に美化したり、悪く思ったりすることが減る場合もあるだろう。ありのままに見た上で心が触れ合い、揺れることの大切さをより純粋に味わえるのではないだろうか!?

 そんな風に思っている内に末枝の頬を自然と涙が伝い落ち、その横顔は夕日を受けて神々しく輝いているように見えた。

 

        純粋に心の揺れる恋をして

        生きる楽しさ覚えるのかも