sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード34)・・・R2.2.23①

            エピソード34

 

 奈良県立西王寺高校の社会科教師、生田省吾はこの冬で35歳になる。まだ結婚はしていないが、この頃のご時世からすれば、そんなに遅いわけではない。

 ただ、一山越えるだけなのに大阪府に比べてグッと田舎っぽくなる奈良県(この辺り、東京都から一山越えた気がしなくてもかなり田舎っぽくなる埼玉県と置き換えても同様か?)に住んでいること、西王寺高校では男性に体育系の教師が多く、彼らは身体が健全である分、一般的に結婚が早いこと、生田が決して独身主義者ではなく、一日千秋の思いで伴侶が出来るのを自分でも待ち侘びていること等を考慮に入れると、矢張り遅れている感が強くなり、気の置けない同僚等からことある毎にチョンガーチョンガーと、からかうように言われてしまう。

 ちなみにチョンガーは韓国語で単に独身男のことを指し、普通に使えば差別用語でも何でもない。韓国ドラマでも普通に出て来る。これに対して差別意識を含んで出て来た言葉であるバカチョンカメラは死語と言うか、放送禁止用語のはずであるが、西王寺高校では両方とも同じレベルで平然と使われていた。

 要するに誰も意味するところまでは考えず、昔ながらの習慣で呑気に使い続けている。

 これと遠いようで近いかも知れないのが、奈良県では支援学校と言わず、相変わらず養護学校と言うことである。それも縁があって行ったある説明会で偶然聴いたことであるが、ご丁寧にも、「法律的にはもう支援学校となっていますが、ここは○○養護学校と言う支援学校です」などと言うから、《幾ら自分の方に悪意がなくても、またそれなりの理屈があっても、聞く方が嫌がる場合は考えないのかなあ?》と、ちょっと首を傾げてしまう。

 それはまあともかく、生田省吾が待ち侘びるだけで、何もアクションを起こさなかったわけではない。里崎真由に惹かれるまでの尾沢俊介同様、相性に頓着なく付き合おうとするから、すれ違ってばかりいたのである。

 おまけに俊介の場合は、決して自分から迫ったわけではなく、女子から積極的に迫られ、まあ好いかと思って付き合うだけのことであるからまだ仕方がないとしても、生田の場合は常に自分から迫っているのだから、笑うに笑えない。

 ただ、幾ら相性が合わなくても、それが分かるのは普通かなり知り合ってからである。だから容貌、雰囲気、経済力、学歴等の条件が普通であれば、下手な鉄砲も数撃てば当たる、などと言われる通り、何回かに1回は取り敢えず上手く行く場合があっても不思議はない。それなのに、生田が何回アクションを起こしても、振り向いてくれる女(ひと)は1人も居なかった。

 こう書いて来れば、生田が余程酷い容貌か? 雰囲気、経済力、はたまた家庭環境に何か問題があるのか? と思われるかも知れない。

 が、そんなことは少しもなかった。学歴の方は高校の教師をしているのだから、当然、大学を出ている。それも、安曇昌江と同じ中堅の地方国立である京阪奈大学文学部であった。経済力の方は大学卒の給料があるだけでなく、実家が明日香村に古くから家を構える、まあまあの土地持ちである。容貌の方も、年なりに多少額が上がり始め、お腹も年なりに緩み始めているぐらい。体格的には中肉中背で、総合すると、人並み外れて劣っているわけではない。

 それならば何故断られてばかりなのか? と言えば、先ず相手の容貌に拘り過ぎた。思春期の頃よりアイドルばかり追い駆け、自分の相手としてもそれを基準に選んだ。当然のように、安曇昌江にも入って来たばかりの時に早速声を掛け、その頃はまだ、何れ自分の女(おんな)になるものと思っていた左近寺周平に睨まれたので、一旦は諦めた。昌江の方はまだ自分のことで精一杯だったのか? 丸っきりその気がないようで、お茶にさえ付き合ってくれなかったのである。

 その後直ぐに、また別の女(ひと)に迫り、何人かに振られてから、幾ら美少女とは言え、3年生に上がる前の桂木彩乃にまで迫っているのだから恐れ入る。少し経ってからものにすれば、卒業して直ぐに結婚出来るから大丈夫! とでも思ったのであろうか?

 それから、自分は散々AVのお世話になり、風俗にもせっせと通っているくせに、女の方に清純さを求め過ぎていた。実は桂木彩乃が入学してから迫るまでに2年間も要したのは、まだ年端も行かなかったから、ではない。端正で大人っぽい容貌、および雰囲気、芸事を生業とする家庭環境と言ったことから、

《もしかしたらそれなりに遊んでるんちゃうかぁ~!? いや、きっと遊んでいるはずやぁ! あの高校生らしからぬ艶っぽいところから考えても、遊んでいないわけがないわぁ~》

 などと疑い、そのもやもやが自分の中で晴れるまでに2年の年月が必要だったということである。

 更に、まだまともな恋を成就したことがないものの常として、上限を22か23歳ぐらいに置いていた。だから西王寺高校には比較的大勢の若い女性教師が居るにも拘らず、新卒で入って来たばかりか、精々1年経ったばかりのものしか当てはまらず、そこに色んな条件を付け加えれば、ここ暫らくは対象になる女性が全く見当たらなくなっていた。

《仕方ないから(多少なりともそう思うことでもう十分にずれている?)、幾つかの必修条件から外れかけているものの、昌江なら特別に許しても好いかなあ? だって昌江はそれを補って余りある好い女やから、それぐらいの特権は認めてやってもええやろぉ》

 などと、傲慢極まりないことを勝手に思い直し、またこの頃頓に左近寺の影が薄れて来たことから、宴会で積極的に隣の席を占めたり、

「この後、みんなでカラオケやハイキングに行かない? 俺、この近くに好い店知っているから、2次会はどんと任せて・・・」

 なんて気さくに言って、薄い胸を叩いてみたり、また何回かやんわり迫ってみたりすることもあったが、この頃昌江はどうやら、あろうことか弓道部の部員、藤沢浩太と結構好い雰囲気になっているようだ。夜遅くに王寺で度々一緒のところを見かけるという声もちらほら聞こえて来る。

 それでもう許せなかった。

《今のご時世やから、そこまで行ってて清純性が保たれていることなんて、あるはずがないわぁ~!?》

 発信が得意である教師の常として、全て自分を基準に考えるから、手を繋ぐのが精一杯だし、お互いにそれで十分という、浩太と昌江が楽しんでいる明治期の書生とお嬢様のような恋なんて想像も出来なかった。

 もしそれが想像出来ていたとしたら、そんなものを恋とは認めないから、昌江のことをそんなにあっさりとは諦めなかったであろう。全てが終わってから事実を知り、地団太を踏むほど悔しい思いをしたが、それはまた後の話である。

 結局、西王寺高校内で間に合わせるならば、生田の相手になりそうなのは、生徒ぐらい。他には、少し範囲を広げても、生徒や教師の家族や親戚ぐらいしか考えられなかった。

 それでもそこはまめなので、大して用事もないのに、生徒や教師の家にせっせと訪問したが、それが噂にならないわけがない。生田の思い付く範囲に居る女性は全て、生田のことを面白がるだけで、結婚相手としては見てくれなくなった。

 しかし、それであっさりとめげるような生田ではない。今度は2年間の会費として大枚240万円、つまり月当たり10万円も支払って、大手婚活クラブ、「エクセレントdeキラメキーノ」のセレブやエグゼクティブのみを対象にしたコースに入った。

 ネーミングや条件はご大層で、結構な料金を要求されているが、中身は一定の条件を満たした者同士の集団見合いみたいなものが中心になっていた。月に1回は必ず、近畿一円の何処かで立食の婚活パーティーが開かれ、男性は全てある程度の収入か財産を条件に選ばれている。女性は容貌、家柄、財産は勿論、何より大事な条件として健康な処女であり、しかも妊娠可能かどうか厳正なる検査に合格した23歳以下のものと限られ、それを一つでもクリアー出来なくなったら、直ちにエグゼクティブコースから外され、一般コースに格下げされても文句を言えないことになっていた。

 その他男性には、色々なアドバイスを受けられたり、定期的なパーティーで気に入った女性との仲を取り持って貰えたり、オプションで、まだ一度もパーティーを経験していない新鮮な会員を紹介して貰えたりと、様々な特典が用意されている。その代り、女性は成婚料を別にして、料金が10分の1で済む。むずむずするような男女差を付けてあったが、本音では皆、現実に見合っていると承知していることであったから、勧められたにせよ自らこのコースを選ぶほどのものは、男女共に誰も何も言わなかった。

 現実的には女性側が積極的で、コースの内外お構いなしの露骨なアプローチも辞さずといった感じであるようだが、それも生田の条件に合っていた。婚活クラブの方でも、実状を承知してはいても、成婚したあかつきにはガッポリと別料金を取ることになっていたから、裏での勝手な動きは積極性のある自主的な行動と評価して、むしろ歓迎している様子であった。

《嗚呼、なんで今までこんなええところがあることを知らなかったんやろぉ~? もっと早く気付いていれば、昌江や彩乃みたいな、ちょっと可愛いからと言って、俺の値打ちが全く分からない女なんかに拘っていなくても、もっと条件のええ女と結婚出来てたのに・・・。でもまあ、まだそんなに禿げているわけでもないし、お腹もちょっとしか出てへんから、まだまだこれからやなあ、俺はぁ~! フフフッ》

 皺くちゃになったパンフレットを握り締め、係の女性の微に入り、細に入った説明を思い出しながら、明日にでも直ぐに結婚出来そうなほど、至極満足げな顔になっていた。

 しかし、神ならぬ愚かな人間が欲に駆られて浮かび上がらせた条件のみで背中を押されるように付き合い、結婚することが、相性の点で今までの少なくはない例に比べてどれほど勝っていると言えるのだろうか?

 その点に関して生田は、過去の幾多の失敗例に少しも学んでおらず、たとえ何とか成婚に至ったとしても、前途は大いに多難であることが容易に想像される。そんなところには全く想像が及ばない、中身的には相変わらず幼い生田であった。

 もっとも、経験豊かな教師に言わせると、真面目に仕事をする教師ほど、普段は生徒との付き合いが中心になりがちで、そうするとどうしても外(ほか)の大人の女性を生徒と比べてしまうそうだ。

 当然、番茶も出端で、生物的に一番勢いのあるピカピカの女生徒に比べて外の女性は多かれ少なかれくすんで見える。残酷なほどそれははっきりとした事実で、幾ら精神的に磨かれた昌江であっても敵わない。

 と言うわけで、男性教師がロリコン気味になりがちなのは普通のことであるらしい。
この項、偶々親しく話すようになった近所のベテラン現役教師から聴いた話を思い出しながら書いているのであるが、昨今の教師がらみの事件から考えて、うなずける話ではないか!? 更にその教師は、考えようによって幼稚さは純粋さにも繋がり、強ち悪いとばかりも言えない、とも言う。純粋さがあるからこそ、学校において子どもたちは理想を学べ、それが少しでも好い社会に繋がる可能性もある、と言うことだそうだ。

 遠い話である。遠い話ではあるが、可能性にかけられる喜びがあるからこそ、教師は生徒たちの大抵のことは許せるし、労働条件の割に安い月給でも嬉々として働く。決して無視出来ない話でもあるのだろう。

 また余計なことに熱くなってしまったかも知れない。人間という存在に迷い、生田と同じく晩婚であった筆者のコンプレックスに強く触れたのであろう。そう思い、笑って読んでくだされば幸いである。

 ともかく、これで生田は何とか結婚に漕ぎ着けられそうであるし、案ずるより産むが易し、大抵の場合、大して考えもせずに結婚したとしても(昔の写真交換による見合い結婚や、もっと極端な場合、話だけ聞いて決め、いきなり婚礼即床入りと言う例もある。その乱暴さ比べれば、短期集中型にせよ、また熱い心は持たずとも、お互いに冷めた頭で十分検討し合っているとは言えまいか?)、幾度となく肌を重ね、幾昼夜もの時間を重ねて行く内に、何とかなるものである。女性側の選択肢が極端に狭かった昔に比べ、今では離婚率がかなり上がっているとは言え、それでも4分の1(※)。残りの4分の3は何とかにせよ持っているわけだし、聞くところによると、恋愛結婚より見合い結婚の離婚率の方が低いらしい。昔のように強いられることが少なくなっているから、全く我慢強くなく、我慢する気もない刹那的な2人が、熱情に駆られて体を求め合うことにどれほどの真実があるのか!? 勘の鋭い純粋な時ならともかく、行間を問わなくなった現在の表面的でドライな言葉の世界に慣れ、また欲呆けの激しい若い頃の恋愛の延長線上での結婚より、周りに冷静で計算高い大人が取り巻く見合いによる結婚の方がまだまし、という気がしないでもない。

(※書いた当時のことで、今は3分の1に上がっているらしいが、それでもこの数字はその年に結婚した数と離婚した数の比だそうで、結婚した数が減れば当然離婚率が上がる。他に人口1000人当たりの離婚件数とかいう統計も注目されているらしく、此方で比べると、日本は決して高くないそうだ。)

 なんて、ここまでを書いて来ると、自分でも一体どっちやねん? と言いたくもなる。それほど結婚は難しい、ということである。

 それはそうであろう。無限とも言えるほど多数の中から自分と相性の合う相手を見付けるのは並大抵のことではない。だから、時間に制約のある人間が相性の点では適当なところで折り合いを付け、その他の人間が決めた、真に人間的な条件を打算的に検討し合った末、結婚し、何とか我慢しながら慣れて行く、ということで仕方がないのかも知れない。生活の知恵という奴である。

 そんな中、浩太と昌江、西木優真と桂木彩乃、それにまだなり切れていないとは言え、尾沢俊介と里崎真由と、3組もの相性が好さそうなカップルが身近に誕生するのは稀有のことである。しかも、浩太、優真、俊介は掛け値なしの親友であるから、偶然に偶然が重なり、在り得ないほどの例になる。

 いや、現実は韓国ドラマのようには行かない。偶然に偶然が重なるにはわけがあり、それはもう必然と言っていい。そうなった理由、出方に違いがあるにせよ、浩太、優真、俊介共に世間離れしており、その点で共通していたから親友になれた。これで先ずひとつ偶然ではなかったことに繋がる。それから悠久の世界に繋がる弓道を嗜む昌江と真由、日舞により同様の世界に繋がる彩乃、3人にも日常と違う世界が身近に存在するという強い共通点があるから、これでまた一つ偶然ではなかったことが分かる。同じような空気を持つ者同士6人。言葉の世界の外にある鋭い勘が損なわれていない、という点では共通していた。その鋭い勘で別の細かいニュアンスの違いをお互いに感じ合い、それぞれのカップルとして結実して行ったということであろう。どの点で3パターンに分かれたのか? 更に細かい分析については、焦らずに追々楽しむことにしよう。

 

        偶然が重なり合うと必然に

        鋭い勘が惹き合うのかも